ピリカ遺跡 ― 2025年10月08日 00:10
ピリカ遺跡(ぴりかいせき)は北海道瀬棚郡今金町にある旧石器時代の遺跡である。 「美利河1遺跡」ともいう。
概要
1978年(昭和53年)美利河ダムの建設時の土質調査で見つかった遺跡である。北海道南部の渡島半島北部の日本海寄りの山間部で、後志利別川の上流域に所在する。今金町の北東端で長万部町との境界付近にある。 東西1000m、南北200mの範囲に石器が分布する。石器は、表土下に堆積する厚さ約1mの粘土層の中の三層でみつかった。下層は峠下型の細石刃核と荒屋型彫刻刀形石器があり、中層から湧別技法に類似する細石刃核と蘭越型細石刃核の石器群、上層からは有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器と局部磨製や打製の石斧などからなる石器群と、有舌尖頭器がみつかった。細石刃を特色とする石器群から有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器などの各種尖頭器への変遷を層位的に検証できた。典型的な原石産地遺跡の様相が示されている。石器群の遍歴を明瞭にたどることができる代表的な遺跡である。生活痕跡の不明瞭な旧石器時代であるが本遺跡は焚火跡あるいは典型的な石器製作跡を良好に残している。
調査
発掘調査は1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)にかけて、財団法人北海道埋蔵文化財センターにより行われた。A地点・B地点から総数11万点をこえる旧石器時代の石器が出土した。粘土採取を断念し、遺跡は現状のまま保存されることとなった。
1987年(昭和62年)・1988年(昭和63年)、遺跡の「範囲確認調査」を行い、1m四方の試掘坑を等間隔に600ヶ所設定して発掘した。遺跡は丘陵一帯の約12万5千㎡に及ぶことが判明した。その後、1991年(平成3年)、農地造成のための発掘調査を今金町教育委員会が行い、2200点の遺物が出土し、C地点では長さ30cmにもおよぶ大形石刃が数多く出土した。 1996年から2003年(平成15年)には、国学院大学文学部が考古学実習の一環として、C地点から北東へ50m離れたK地点の発掘調査を行った。この地点では、約120㎡というせまい範囲から約35,000点の石器が出土した。 2000年から2002年(平成12年~14年)に史跡整備事業にともない、D地点とE地点(計438㎡)の発掘調査を行い、計約46,300点の石器類が出土した。 ほかに石・石皿・敲石・磨石なども出土している。遺構としてはエゾマツ・グイマツ・ハイマツなどの針葉樹を焼いた炭粒のまとまりを7か所、焼けた土のまとまりを7か所が発見された。
遺構
- 石器ブロック
- 石器集中
遺物
- 細石刃核
- 細石刃
- 尖頭器
- 両面加工石器
- 彫器
- 掻器
- 削器
- 錐形石器
- 鋸歯縁石器
- 抉入石器
- 石刃
- 石核(峠下型)
- 細石核尖頭器(広郷型)
- 細石核
- 石核
- 石刃
- 掻器
- 彫器
築造時期
- 旧石器時代
展示
- ピリカ旧石器文化館
考察
指定
- 1994年4月26日 史跡名勝天然記念物
アクセス等
- 名称 :ピリカ遺跡
- 所在地 :北海道瀬棚郡今金町字美利河238番地
- 交 通 :
参考文献
- 北海道今金町教育委員会(2002)「ピリカ遺跡Ⅱ」今金町教育委員会調査報告5
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