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デーノタメ遺跡2024年07月22日 00:03

デーノタメ遺跡(でのためいせき)は、埼玉県北本市内にある、縄文時代の集落跡遺跡である。

概要

埼玉県の中央部にある大宮台地の北部に位置する。縄文時代中期後葉から後期前葉に営まれた関東最大級の環状集落遺跡である。後期集落は弧状に展開し、弦長で約270mと大規模である。それぞれの集落に伴う低湿地遺跡も良好に残されている。 小河川「江川」に面し湧水による溜池を中心として扇型に広がる台地とその低地に広がる。江川下流域は縄文時代の集落が密集する。5km圏内に縄文時代中期の集落は4個所ある。 集落はかなり大きく、縄文中期集落は長径210mである。関東最大級の大きさとなる。また、この遺跡は台地の下が低湿地遺跡であるため、漆塗土器やクルミ、トチノキの種実など、通常の遺跡では残らない有機質の遺物等が大量に出土する。縄文時代中期と後期の2つの低地遺跡がある。この低地遺跡は、当時、集落の水場として使われていたと考えられ、縄文人たちが暮らした痕跡がある。

遺跡名

遺跡名「デーノタメ」は、昭和40年代までこの地にあった湧水による50mプールほどの大きさのため池「デーノタメ」の名前が由来である。2説ある。 1 湧水のことを「デスイ」または「デイ」とも言うため「出水のため池」が由来。 2 北側の台原地区を「デエッパラ」と呼ぶので「台原のため池」。

調査

平成12年の土地区画整理事業に伴う4度の発掘調査で発見された。約5000年前の縄文中期から約3500年前の縄文後期まで1500年に渡り人々の生活が営まれた。中期集落の調査により中央に広場をもつドーナツ形の集落が存在した。後期集落の調査では、遺跡に湾入する谷の地形に沿い弧状に展開する集落が確認された。後期集落の規模としては大きく、長さは約270mある。地層の花粉を分析すると、当初、低湿地にはハンノキが生えていたが、食料を確保するためにハンノキを伐採し、意図的にクルミに植え替えたようである。大豆や小豆を食べていただけでなく、栽培もしていたらしいとわかってきました。デーノタメ遺跡の大豆は長さが1㎝以上で野生の豆より大きく、栽培されたものとみられる。

遺構

  • 環状の竪穴建物 - 25棟、縄文中期
  • 木組遺構 - 後期
  • トチ塚 - 後期

遺物

  • クルミ型土製品
  • 伏甕 - 深鉢土器
  • 浅鉢土器 ヒスイの大珠
  • 縄文土器
  • 石器
  • 漆塗土器片
  • 木胎漆器
  • 漆糸等20
  • ミニチュア磨製石斧3

指定

国の文化審議会(島谷弘幸会長)は2024年6月24日、埼玉県北本市の「デーノタメ遺跡」を国史跡に指定するよう盛山文部科学相に答申した。北本市は2025年度以降、遺跡に公園を整備する方針である。

アクセス

  • 名称:デーノタメ遺跡
  • 所在地:北本市大字下石戸下字久保耕地643番1ほか
  • 交 通:北本駅 徒歩27分/25km 

参考文献

  1. 文化庁(2021)『発掘された日本列島』共同通信社
  2. 渡辺清志(2014)「環状盛土が現われるまで」『平成25年度東京・神奈川・埼玉埋蔵文化財関係財団普及連携事業公開セミナー』資料、平成26年1月23日
  3. 楡井尊(2020)「北本市デーノタメ遺跡の花粉分析結果(楡井,2013)の訂正」埼玉県立自然の博物館研究報告
  4. 埼玉県北本市教育委員会(2019)「デーノタメ遺跡総括報告書」北本市埋蔵文化財調査報告書 第22集(第一分冊、第二分冊)