堂ケ谷戸遺跡 ― 2024年11月13日 07:50
堂ケ谷戸遺跡(どうがやといせき)は東京都世田谷区にある旧石器時代から近世までの複合遺跡である。「堂ヶ谷戸遺跡」(ケがヶ)とも書く。
概要
東京都の東部は、台地(段丘)と低地となる。台地は武蔵野台地と呼ばれ、古多摩川により形成された扇状地性の武蔵野段丘と呼ばれる地形面が西から東へ広がる。多摩川の支流である谷戸川と仙川の合流点付近まで張り出す台地の先端部から基部にかけての武蔵野段丘上の標高38mに堂ケ谷戸遺跡は立地する。遺跡の範囲は最大で東西約38m、南北540と推定されている。武蔵野段丘上には大蔵遺跡、総合運動場遺跡、下山北遺跡、下山遺跡などの集落遺跡がある。また台地斜面には堂ケ谷戸横穴墓群、岡本原横穴墓群などがある。
顔面把手付土器
口縁部に顔面装飾のある把手を配している土器であることから「顔面把手付土器」と称される。顔面部と胴部がともに表された土器の出土は世田谷区では始めてであった。 2019年(平成31年)2月に実施された堂ヶ谷戸遺跡第61 次調査4号土坑から土偶装飾と抽象文が付された土偶装飾・抽象文付土器が出土した。高さ15.4cm の小形の土器である。樽形の小形土器で、口縁部の一部が欠損しているが、ほぼ完形である。口縁部直下の無文帯、最大径部分に3本・底部直上に2本の横走する隆帯で2つの施文域が配置される。三角形状の隆帯を組み合せた三角形区画と菱形区画が見られる。隆帯の内側に角押文があり、胴下半部に長い切り込み、短い切り込みが上下に連続的に施される。新道式2段階に比定される。抽象文はサンショウウオ文・みずち文と呼ばれ、下向きの三日月状の胴部に円やC字形の頭部を持つ。土偶装飾付土器の出土遺跡としては、他に国立市南養寺遺跡、町田市木曽中学校遺跡、同藤の台遺跡がある。
第64次調査
第64次調査は2023年に行われ、縄文時代中期中葉から後葉の住居跡11軒、土坑16基、ピット38本を検出した。遺物は縄文土器、石器、土製品を検出した。住居跡から検出された土器は23号住居跡で勝坂3式期、282号住居跡は加曽利E2式期、288号住居跡は加曽利E1式期であった。住居跡は弧状に展開していた。また遺跡で弥生時代の方形周溝墓が検出された。
調査
遺構
- 住居
- ピット
- 集石
- 屋外炉
- 炉穴群
- 土坑
遺物
- 縄文土器 - 勝坂III式/阿玉台式/加曽利E1式/夏島式
- 礫
- 石器
- 土製品
- 顔面把手付土器
指定
考察
アクセス
- 名称:堂ケ谷戸遺跡
- 所在地:東京都世田谷区岡本2丁目33
- 交通: 二子多摩川駅から徒歩25分 /2km
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