根古谷台遺跡 ― 2024年11月28日 00:11

根古谷台遺跡(ねごやだいいせき)は栃木県宇都宮市にある縄文時代前期の環状集落遺跡である。
概要
鬼怒川の支流である姿川と武子川に挾まれた細長い台地の先端部に位置する縄文時代前期の大規模な集落跡である。遺跡は東西約300m、南北約150mである。広場の中心部に339基の土坑墓が配置され、土坑墓を囲むように竪穴住居、長方形大型建物、方形建物跡、掘立柱建物が配置される。 昭和61年、昭和62年、宇都宮市営の霊園墓地建設に先立って発掘調査が行われた。墓壙の周囲を多数の竪穴住居や長方形大型建物や方形建物、掘立柱建物などの特殊な建物跡群が環状に取り囲む。長方形大型建物が15棟検出された。発見当時は縄文時代で最大の建物と言われた。現在では三内丸山遺跡でよい大型の建物が見つかっている。 竪穴住居についても長さ8mを越える6本の主柱と多くの炉があり、頻繁に建て替えられる非常に大型のものであった。方形建物跡は、主柱4本を方形に配置し、外周を溝状に続く隅丸方形の柱がめぐる。遺跡の規模の割に出土遺物が少ない。土器は黒浜式土器が大部分である。一部に諸磯a式土器がある。土器はコンパス文を多用した土器が見られる。 国の重要文化財に指定された石製玦状耳飾等は宇都宮市役所の12階で展示される。
将軍塚古墳
駐車場脇に直径約30m・高さ約2.4m、2段築成の将軍塚古墳(円墳)が見える。出土した須恵器、土師器、鉄器は隣接の資料館で展示される。
墓壙
広場の中心部に339基の土坑墓(墓壙群)が配置される。中心に空白部があり、その周囲に5から10の墓壙が楕円状に並んでいた。穴は楕円形と円形であり、小さく浅いものがほとんどである。北西隅のまとまった8基から石製の玦状耳飾、管玉類などの装身具がみつかった。
建物跡
中心の墓域(土坑墓)を囲むように竪穴式建物、長方形大型建物、方形建物跡、掘立柱建物が建て替えを含めて69棟みつかった。長方形大型建物は、①炉の跡がない、②地表面が柔らかい、③踏み固められた床面、④出土品が少ないという特徴がある。柱穴は2列10本ある。これは住居として使われたものではなく、地域の集会場としての役割が推定されている。竪穴式建物の最大のものは、長軸13m以上の2棟がある。J5号は長軸15.2m、面積は約150m2である。最大の1号は長軸23.1m、短軸9.8mである。発掘調査報告では仮設的な建物で、墓域に関わる葬送儀礼、墓前祭祀、祖先崇拝儀礼の建物としている。
遺構
- 礫群
- 土坑
- 竪穴建物
- 落し穴状遺構 - 12基
遺物
- 根古谷台遺跡土壙出土品
- 石製玦状耳飾 4個
- 石製丸玉 2個
- 石製小玉 5個
- 石製管玉 13個
- 石匙 5個、
- 石鏃 3本
展示施設
- うつのみや遺跡の広場
- 資料館
指定
- 1990年(平成2年)06月29日 - 重要文化財(考古資料)
- 1988年(昭和63年)5月17日 - 国史跡史跡
考察
竪穴住居は入母屋であるが、梯子をかけて出入りするよう復元されている。梯子で出入りする竪穴住居はあまり見たことがない。この復元の是非は問われるかもしれない。 長方形大型建物はかなり広いもので、15名以上多人数が入ることができる。何に使ったかは分からない。弥生時代なら穀物倉庫かもしれないが、縄文時代では長期貯蔵ができないので、倉庫ではなさそうである。池上曽根遺跡の神殿と類似する葬送儀礼、墓前祭祀、祖先崇拝儀礼の場かもしれないが、それを裏付ける遺物はない。
アクセス等
- 名称: 根古谷台遺跡
- 所在地: 〒320-0855 栃木県宇都宮市上欠町170
- 交通:JR宇都宮駅西口から 関東バス楡木車庫または運転免許センター行きで「聖山公園入り口」バス停下車
参考文献
- 宇都宮市教育委員会(2018)「根古谷台遺跡」(縄文時代編)
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