北小松遺跡 ― 2024年12月23日 00:20
北小松遺跡(きたこまついせき)は宮城県大崎市にある縄文時代早期から弥生時代にかけての遺跡である。
概要
北小松遺跡は大崎平野の北寄りにあり、湖沼や沼地が広がっていた地域である。遺跡は昭和28 年に発見された。昭和32 年の開田工事では泥炭層や貝層から多数の縄文土器や石器のほか、抜歯された人骨やシジミ、タニシ等の淡水産貝類、動物の骨(埋葬犬骨)等が出土した。 平成21年度の調査で、新たに掘立柱建物、土坑墓、集石遺構、北西斜面で再葬墓と見られる土器埋設遺構を発見した。大半は縄文時代晩期末葉とみられる。多くの墓で人骨が残り、屈葬とみられる。縄文土器を頭に乗せたり、足に被せた遺骨が見られる。また何も載せない遺骨もある。 2011年の調査では縄文時代の遺物包含層(Ⅵ層)や遺構出土の遺物に、深鉢・浅鉢・壺などの土器類、土偶・土版などの土製品、石鏃・石錐・磨石などの石器類、石棒・石刀などの石製品類、櫛・籃胎漆器などの木製品類、簪・垂飾などの骨角牙製品、ニホンジカ・イノシシなどの動物遺存体、自然木・種子や種実などの植物遺存体が出土した。 縄文時代遺構の検出状況や遺物の出土状況の検討から、集落はいずれも丘陵部・微高地の突端部の平坦面に分布すると考えられた。縄文時代の集落は、晩期後葉から末葉が最盛期であったと考えられる。 まとめると縄文土器は、深鉢、浅鉢、台付浅鉢、四脚付鉢、壺、蓋、スプーン型土製品、装身具、土偶が見られた。また石製品では石鏃、石錘、石匙、石斧、凹石、砥石が出土している。
集落構造
丘陵中央部に施設は存在せず、空閑地(広場)であり、建物は広場を囲うように配置されていた。建物の外側に、土坑墓や埋葬犬骨、土器埋設遺構(再葬墓)、集石遺構などの葬祀 にかかわる遺構が配置され、その外側の低地部には捨場である遺物包含層が形成された。計画的な配置と見られる。
位置付け
北小松遺跡は、ほぼ同時期の集落跡の愛宕山遺跡・諏訪遺跡・宮沼遺跡などと比べても、遺構の種類や数が豊富で、集落規模が大きく存続期間が長いため地域の拠点的な大集落であったと考えられる。弥生時代前期になると集落規模が縮小した。弥生時代前期に大規模洪水が発生したと見られるので、その影響と考えられる。約1,000 年続いた拠点集落は終りを告げた。
遺構
旧石器時代
- 有茎尖頭器
- スクレイパー(サヌカイト製)
縄文晩期+弥生前期
- 包含層
遺物
- 縄文土器
- 弥生土器
- 土製品
- 植物遺存体(クルミ))
- 土製品
- 石器
- 石製品
- 石鏃、
- 石錘、
- 石匙、
- 石斧、
- 凹石、
- 砥石
- 骨角牙製品
- 木製品
- 動物遺存体
展示施設
指定
考察
アクセス等
- 名称: 北小松遺跡
- 所在地: 宮城県大崎市田尻小松新欠下
- 交通:
参考文献
- 宮城県教育委員会(2008)「北小松遺跡ほか」宮城県文化財調査報告書第216集
- 宮城県教育委員会(2011)「北小松遺跡」宮城県文化財調査報告書第226集
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