新道遺跡 ― 2024年07月21日 00:37
新道遺跡(しんみちいせき)は、神奈川県大和市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
中原街道が境川を超えた場所、和田川との間の河川敷の低地面から台地上に登った崖面上の標高57mの地点に立地する。令和2年度からこれまでに3次にわたる発掘調査が行われている。、縄文時代までの遺跡は主に「くろぼく」と呼ばれる黒色土(富士黒色土層)の中から発見された、これまで累計で石器・礫集中24ヵ所、礫群100基、遺物は石器2488点、礫4829点がある。第三次調査では石器・礫集中4ヵ所、礫群23基、石器305点、礫1104点が新たに発見された。また出現期の尖頭器がみつかった。
調査
旧石器時代の遺跡である新道遺跡は、この黒色土の下に厚く堆積する黄褐色のローム層いわゆる関東ローム層(主に箱根火山や富士山の火山噴出物が堆積した火山灰)中から発見される遺跡である。層は上層からL1~L5層(Lはローム)、B0~B5(Bは黒色帯)と名付けられている。L3層下部には今から約2万9千年前に南九州の姶良カルデ ラが大噴火したときの火山灰が確認されている。有機物は酸性度の強い関東ローム層によって全て土に返されて無くなってしまう。住居址などのような明瞭な遺構が出ない、旧石器時代の調査では出土した1点ごとの出土位置と深さが重要なデータとなる。 「文化層」はある一定の土層に広がりを持つ遺物群を意味する。新道遺跡の第1次調査で、3時期にわたる文化層が確認され、年代としては25,000年前から21,000年前頃までに生活痕が見つかった。
第Ⅰ文化層(B1層上部)
約21000年前。石器の集中部であるブロックが4ヵ所、焼け礫のまとまりである礫群3基がみつかった。遺物は石器348点、礫84点の計432点が出土し、生活面としてはB1層上部に位置する。石器は主に信州産と考えられる火山ガラスの「黒曜石」である。
第Ⅱ文化層-B1層下部
約23,000年前頃に相当し、石器ブロックが1ヵ所発見された。ナイフ形石器、スクレイパー、クサビ形石器等在地の石材である凝灰岩を主に用いる。
第Ⅲ文化層-B2L層上部
約25,000前頃に相当する。石器ブロックは8ヵ所、礫群が42基発見された。遺物は石器698点、礫1,325点がL2層からB2L層にかけて出土した。再利用のために礫が移動しているとみられる。本遺跡の主体部となる。
礫の利用
礫群は拳大の川原石を集めて火をたき、その石の熱を使って今で言うバーベキューや葉などで食料を包んで石蒸し料理を行っていた調理場所の跡と考えられている
遺構
- 石器・礫集中4ヵ所、
- 礫群23基
遺物
- 石器2788点、
- 礫4829点
指定
アクセス
- 名称:新道遺跡
- 所在地:神奈川県大和市上和田地内
- 交 通:高座渋谷駅 徒歩32分 2.2km
参考文献
- 堤隆(2011)『列島の考古学 旧石器時代』河出書房
- 堤隆(2007)「後期旧石器時代の社会--可塑性のある遊動社会」 (特集 社会の考古学) -- (日本先史時代と社会) 季刊考古学 (98) ,pp.21-26
- 麻生順司(2022)「2万五千年前の旧石器時代の生活とは」『ミドリ』No127、(公財)かながわトラストみどり財団,pp.2-5
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