注口土器 ― 2024年08月21日 00:36

注口土器(ちゅうこうどき)は縄文時代後期遺構に現れた土器様式である。小さな壺の胴部に注ぎ口が着いた形状といえる。
概要
胴部の中央に注口がつく。胴部は急須の形や算盤玉の形になることが多い。注口は瓶などの内部の液体を器にこぼさずに注ぎやすくするための経路である。縄文時代の初期では注口部が小さいものがあり、片口状の注口部もつくられた。 縄文時代後期以降になると今日の土瓶に似た形の注口土器が現れ、東北、関東地方でさかんにつくられた。弥生土器や須恵器では注口土器はほとんど作られていない。縄文時代の注口土器の多くは形状が整い、文様は精緻なものがある。渦巻文、磨消縄文、をもつものがある。
用途
作りの丁寧さ、文様の緻密さから特殊な用途に使用されたと考えられている。 注口土器の用途は次の2通りが言われている。
- 祭祀具説 水や酒等の液体を用いる祭祀に使用された説
- 病気平癒説 薬草などを煎じて病人の口に注ぐのに使用した説
出土
- 注口土器 青森県十和田市米田字獺ノ沢出土、縄文時代(後期)・前2000~前1000年、東京国立博物館
- 注口土器 伝青森県八戸市是川遺跡出土、縄文時代 4000年前~3000年前、九州国立博物館
- 注口土器 神奈川県横浜市鶴見区東寺尾出土、縄文時代(後期)・前2000~前1000年、東京国立博物館
- 注口土器 外塚遺跡、縄文時代、
考察
注口土器は土師器では作れたが、より高温となる須恵器では作りにくかったのではなかろうか。 それが弥生時代に数が少ない理由と推察する。水を注ぐための土器への需要はあったであろうから、少ないのは技術的な理由ではなかろうか。 金属器の水を汲み置きする器は、奈良時代に青銅器の「水瓶」が作られた。後代には「水注」が登場した。平安時代では灰釉手付水注がある。日本で初めて高火度施釉陶器の灰釉陶器を作り出し、水が漏れないようにした。青磁水注は唐時代の9世紀に登場した。 水の汲み置きが一般的に使われたのは江戸時代からである。朝鮮・高麗時代の12~13世紀では鋳造の水注が作られている(九州国立博物館)。
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