雷下遺跡 ― 2024年10月29日 00:25
雷下遺跡(かみなりしたいせき)は、千葉県市川市にある縄文時代早期後葉の貝塚と遺跡である。
概要
千葉県市川市の北西部、国分川の右岸台地の下部の標高6mの低湿地に位置する。 貝層は第9貝層から第1貝層の9層からなる。貝層やその周縁部からは茅山上層式から下沼部式を主体とする条痕文系土器や敲石類を主体とする礫石器が出土している。縄文時代の丸木舟や棒状木製品、編組製品、骨角歯牙貝製品や動植物遺体などの低地遺跡特有の資料が出土した。第5貝層からは周産期人骨や幼児下肢骨が検出された。線刻文様のある骨角歯牙製品の優品などが出土した。
調査
すべての貝層でハイガイが6割以上で、それ以外ではハマグリ、マガキ、アカニシが多い。貝層から採取した試料の年代測定から約10000年間の時間幅で続いていた。 堅果類集積遺構は0.4m×0.5m、深さ0.1mの規模で、500点以上のドングリの種実が格納されている。木道状遺構は加工材と思われる多量の木片が含まれる。何らかの足場であった可能性がある。石器の出土は少ない。動物骨はシカを中心として、イノシシ、タヌキ、イタチ、イルカが含まれる。魚骨はクロダイ、スズキ、ボラ、フグ、コショウダイ、サメ、トビエイなどである。
丸木舟
砂礫層2から丸木舟が出土した。表面の加工跡、焦跡、内側の湾曲に加え、尖った形状の先端部と舟底との境界部分がみつかり、丸木舟と判断された。年代は丸底の尖底土器と砂礫層2から縄文時代早期とみられていた。丸木舟本体の一部を採取し、14C年代測定を行ったところ、6665±35BP CALと判明した。較正年代は7500cal BPである。神の木台式の測定値より古いとされ、土器の年代観からも妥当とされた。それまで最古とされた島根県島根大学構内遺跡の出土例より古い。
遺構
- 竪穴状遺構
- 堅果類集積遺構
- 縄文時代貝層
- 縄文時代集石遺構4
- 縄文時代灰・炭化物集中地点98
- 縄文時代土坑1
- 縄文時代遺物集中地点13
- 木道状遺構
遺物
- 旧石器時代石器
- 縄文土器(早期から後期)
- 縄文時代石器
- 縄文時代丸木舟
- 縄文時代木製品
- 縄文時代編組製品
- 縄文時代骨角歯牙貝製品
- 縄文時代動植物遺体
- 縄文時代人骨
- 動物骨
- 土師器
- 旧石器時代石器
- 縄文土器
- 石器
- 玦状耳飾
指定
考察
丸木舟は旧石器時代から作られていたことは、ボラ、フグなどの漁業からしても想像できていた。伊豆半島からは神津島は見えるが、千葉の鋸山に登れば、伊豆大島が見えるので向かうことができる。伊豆大島につけば、そこから神津島は見えるので、向かうことができる。
アクセス等
- 名称:雷下遺跡
- 所在地:千葉県市川市国分七丁目1121-30の一部
- 交 通:北総線北国分駅から徒歩20分。1.5km。
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