ホケノ山古墳 ― 2025年01月05日 00:37
ホケノ山古墳(ほのけやまこふん)は奈良県桜井市にある全長90メートル、後円部径60メートル、高さ8.5メートルの纒向型前方後円墳である。纒向古墳群に属し、箸墓古墳の東に位置する。
概要
3世紀中頃に造られた最古級の纒向型前方後円墳である。前方後円墳が定型化する直前の古墳とされる。 後円部側に周濠状遺構が巡る。埋葬施設は長さ5mの刳抜式木棺である。後円部の主体部西側に6世紀末頃の横穴式石室がある。前方部東斜面に木棺直葬の埋葬施設。後円部は3段築成。古墳時代前期の大規模集落の纒向遺跡から南東端に位置する。被葬者は不明である。 全面に葺石で覆われ、3 段築成、周壕があり、サークル状杭列が前方部にある。中心主体部は、後円部中央に南北主軸で設けられた「石囲い木槨」である。「石囲い木槨」はわが国で初めて確認された構造の埋葬施設で、木材で構成した木槨部分と、その周囲に石を積み上げて構築した石囲部分の二重溝造となっている。 木槨内部には、長さ約5m、幅1m内外のコウヤマキ製の長大な刳抜式木棺をおさめる。バラスとやや大ぶりの河原石を混用した棺床施設を有する。木棺の表面は一部が焼けている。木槨は弥生時代の大型墳墓では類例が知られているが、前方後円墳で確認されたのは初めてであった。使用された石材はハンレイ岩、黒ウンモ花崗岩を主体としており、すべて近くの纒向川から採取できるものとされた。
調査
これまで4回の調査が行われた。
- 第1次調査- 1995年11月6日から1996年2月6日
- 第2次調査- 1996年11月26日から1997年3月28日
- 第3次調査- 1998年1月20日から1998年1月28日
- 第4次調査- 1999年9月10日から2000年9月20日
第1次調査
墳丘の東から西にかけて9本のトレンチを設けた。推定墳長80m、後円部径60m、後円部高8.5m、前方部長20m以上、前方部高3.5mとされた。後円部の短い前方後円墳である。 土器群は外堤側に集中しており、古墳築造後に投棄されたものと推定される。布留0式初期段階とみられる。
第2次調査
調査のため4個所のトレンチを設けた。墳丘と周濠の規模を確認する調査であった。葺石直下の大型壺は複合口縁壺と判明した。墳長は78m以上、後円部径58m、前方部長20m以上と判明した。
第3次調査
ホケノ山古墳の後円部の断面調査を行った。前方部の相当部分が地山を利用して作られていることが判明した
第4次調査
1999年(平成11年)9月より橿原考古学研究所と桜井市教育委員会により第4次調査を実施した。纒向遺跡にある纒向型前方後円墳の中では唯一の葺石を有する古墳である。埴輪はなく、おびただしい数の河原石と柱跡の痕跡が検出された。木槨材に大量の水銀朱が塗布されたと考えられており、棺床の河原石や木槨側板や柱の掘り方の充填土に痕跡がある。
規模
- 墳丘形状 前方後円墳 纒向型前方後円墳 帆立貝式前方後円墳
- 築成 前方部:段築の可能性あり
- 墳長 80m
- 後円部径 径55m 高8.5m
- 前方部 長25m 高3.5m
遺構
- 木槨墓 石囲い木槨
- 木棺
遺物
- 画文帯同向式神獣鏡 1面
- 内行花文鏡(破片)
- 素環頭大刀 1
- 鉄刀1点
- 鉄製刀剣 10口
- 鉄製農工具
- 鏟形鉄製品
- 二重口縁壷
- 銅鏃
- 鉄鏃
- への字形鉄製品
- 壺形土器
鉄器
近畿から鉄器が出土しないという主張が一部でされているが、ホケノ山古墳からは多量の鉄製品が出土している。
鉄鏃
鉄鏃の出土数は75点以上(未発掘場所を考慮すると80点以上を想定)、柳刃式と腸抉柳刃式の2種類がある。なお銅鏃は80点以上が出土している。いずれも矢の先端に用いられた。
刀剣類
素環頭太刀が1点出土した。残存長55cmである。ほか鉄刀1点、鉄剣6点以上を確認した。
鏟形鉄製品
全長15cm、刃部は緩い弧を描く。朝鮮半島の鉄鏟に形状が似る。朝鮮半島(国立金海博物館)のサルポと同じである。サルポは、水田に水を引き入れる水路を作ったり、草取りをする際に使用していた農具である。朝鮮半島でも、支配層の墳墓に副葬品として埋葬されている。これは当時の稲作が被葬者の支配下にあったという象徴的な意味が含まれているという。
への字形鉄製品
用途不明であるが、18点以上が確認されている。類例は椿井大塚山古墳(京都府)、国守古墳(山口県)に見られる。
積石木槨
白石太一郎(2000)は、ホケノ山古墳で見つかった「石囲い木槨」はそれまでに例がないと指摘する。土壙内に長さ7m、幅2.7mの石室状施設を組み立てその中にコウヤマキをくり抜いた木棺を置いた。さらに「石囲い木槨」の上に二重口縁壺を20個以上置いていた。箸墓古墳に代表される定型化した大型前方後円墳の出現以前の築造と見られる。しかし、銅鏃の形式は前期古墳のものに近いことから、時期差はそれほど大きくないと指摘した。ホケノ山古墳の年代はⅢ世紀の第2四半期から中葉の間と判断した(白石太一郎(2000))。この木槨に影響を与えたのは、弁韓地域の木槨墓以外には候補はないと判断した(白石太一郎(2000)、p.118)。実際に伽耶の竪穴式石槨と類似した壁体構造であり、類例は金海良洞里98号墳や昌寧校洞3号墳、大邱城下里1号墳、霊岩沃野里1号墳などの朝鮮半島南部地域で見られる(鄭仁?・呉東?・尹享準(2021))。床面の横木、床面の敷石は壁体と同じ大きさの石材が、木槨周辺で確認されているが、この点は韓国・城下里1号墳と類似する。また、木蓋の使用は韓国・良洞里93号墳と共通している。なお、ホケノ山古墳は、弥生時代の木槨と古墳時代の竪穴式石室の間をつなぐ古墳的な棺槨をもつ初期的で過渡期的な様相として捉える見解がある(岡林孝作(2016))。
横穴式石室
6世紀末頃にホケノ山古墳の墳丘を利用して構築された。玄室は盗掘を受けており、天井石はすべて持ち出されていた。
年代の検討
画文帯同向式神獣鏡
棺内から出土した画文帯同向式神獣鏡は年代を示す有力な手がかりとなる。不老長生の神仙世界を描く銅鏡は後漢末の3世紀初頭頃に製作された可能性が高い。240年にわが国にもたらされたと推定されている三角縁神獣鏡は出土していない。年代の下限と上限によって、ホケノ山の築造時期を絞り込むことができる。画文帯神獣鏡は、北部九州に替わり近畿地方に分布の重心を移した中国鏡である。画文帯同向式神獣の分布は九州22、四国11、近畿77、中部14、関東12と近畿が最多である。紀年銘のある画文帯同向式神獣鏡は167年(後漢永康元年)から274年(西晋太始十年)までである。文様が類似した鏡は2つあるとされる。1つはBullコレクション(アメリカ、中国出土)の古代鏡であり、もうひとつは中国江蘇省盰眙県順河公社朱楼大隊出土鏡とされる(奈良県立橿原考古学研究所(2001))。大塚によれば、貞柏里三号墳(平壌)からも同型式の鏡が出土しているとする(大塚初重(2021),p.156)。絵柄が右回りであることから、大塚初重(2021)は後漢の末期に作られた舶載鏡であると見る。これらから画文帯同向式神獣鏡は中国で製作されたとみて良い。 3世紀前半以降は中国鏡の輸入は九州から畿内中心に移ったとみられる。
土器
周壕内から見つかった土器片は布留0式であるため、奈良県立橿原考古学研究所はホケノ山古墳は3世紀前半の築造と見ている。土器は壺形土器であるが、棺内副葬品ではなく、これらは墳丘から周濠へ落ち込んで出土したものである。布留0式の年代は西暦270年から290年の間とされる。
墳形
茸石を備えた前方後円墳としては箸墓古墳より古い。現時点で最古の前方後円墳に位置づけられているホケノ山古墳は、弥生時代の墳墓と、古墳時代前期の前方後円墳との中間的な様相をもっているため纒向型前方後円墳とされる。 「邪馬台国の会」は石囲い木槨(割竹形木槨)を持つことは『魏志倭人伝』の「棺あって槨なし」の記述と矛盾することから、築造は4世紀であると主張する。しかし木槨は弥生時代の大型墳墓に類例がある(楯築墳丘墓、西谷三号墓)ので、その主張は成り立たない。
放射性炭素年代測定
木棺の樹種はコウヤマキであった。木棺表面の炭化木材を採取し、C14炭素年代測定の加速器質量分析法(AMS)を実施した(アメリカで測定)。測定に用いた 試料が芯材が外皮の近い部分かで数百年の差が生じる。しかし炭化部分は木材の表面が焼けていた。炭化部分は棺の側面のため加工は少ないと判断された。測定は5サンプル行ったが、そのうちNo1とNo5が最も表皮に近い部分として採用した。なお全体(No1からNo5)の測定値のばらつきは最大50年であり、比較的安定している。No1はAD30年から245年、No5はAD55年から235年であった(確率95%)。つまり木棺の伐採年は幅の狭い方を取ればAD55年からAD235年となる。土器の年代より測定結果は少し古くなるが、土器は築造後に設置された可能性が高いので、木棺の年代測定の方がより信頼性が高いと思われる。
考察
ホケノ山古墳に見られる墓制が弁韓地域からもたらされたものであるなら、弁韓地域から支配層の集団的流入が考えられる。3世紀初頭に突然に纏向遺跡が作られた事を考えるなら、集団移住説は現実味を帯びる。しかし、前方後円墳は弁韓地域にはないので、謎は残る。纏向遺跡に来たのは、岡山の支配層集団と弁韓地域の技術者の混成部隊だったのではなかろうか。
アクセス等
- 名称:ホケノ山古墳
- 形式:前方後円墳 (纒向型前方後円墳)
- 所在地: 奈良県桜井市箸中636
- 交通: JR巻向駅から徒歩15分
参考文献
- 大塚初重(2021)『邪馬台国をとらえなおす』吉川弘文館
- 奈良県立橿原考古学研究所(2001)『ホケノ山古墳調査概報』奈良県立橿原考古学研究所
- 白石太一郎(2000)『古墳の語る古代史』岩波書店
- 岡林孝作(2016)「古墳時代木棺の棺内空間利用と機能」日本考古学協会編 (42),pp.1-20
- 鄭仁邰・呉東墠・尹享準(2021)「古代日韓における古墳築造技法の比較検討」奈良文化財研究所学報 第100冊,pp.45-113
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