曲り田遺跡 ― 2025年07月05日 00:09
曲り田遺跡(まがりたいせき)は、福岡県糸島市二丈石崎にある弥生時代の集落遺跡である。稲作開始時期の集落遺跡である。「石崎曲り田遺跡」とも言われる。
概要
日本列島の初期農耕文化をもつ遺跡であり、板付遺跡、菜畑遺跡とともに,弥生期の生活研究に欠かせない資料を提供する。稲作開始期の集落である。日本最古の鉄器などのほか、調査当時において、それまで稲作開始期のものとされていた土器よりもさらに古い土器群(曲り田古式土器)や、大陸系磨製石器などの遺物が発見された。
調査
1979年、1980年、1981年の発掘調査により稲作の始まりを裏付ける土器群や石器、竪穴式住居、支石墓、甕棺墓などが発掘された。方形、長方形の住居址が多数発見される。紀元前4世紀の住居跡から日本列島で最古の鉄器が発見された。土器は、当時において最古の弥生土器と呼ばれていた「板付Ⅰ式」より古く、「曲り田古式」が最古の弥生土器となった。 現在の野球場グラウンドに隣接した場所に弥生時代の住居跡がある。
遺構
遺構は弥生時代の住居跡30がほぼ中央に分布する。いずれも方形プランである。弥生中期前半から後期後半の住居跡11が検出された。墓地は支石墓1、弥生前期の甕棺墓11を検出する。このほか奈良時代から平安期の掘立柱を検出する。
稲作開始時期
昭和55年の菜畑遺跡(佐賀県唐津市)、曲り田遺跡(福岡県二丈町)などの発掘調査によって、今まで突帯文土器の出ていた層から水田の跡と農耕具、稲作の始まりを証明する大陸系磨製石器などが発見された。これらから稲作開始期の土器編年が再考され、「弥生時代早期」の時期を新設することが学会に提唱された。 弥生時代は近年の水田稲作の発掘により、紀元前9世紀は弥生時代の始まりとされている。 佐原眞は「水田稲作の開始が弥生時代の開始である」と定義した。したがって曲り田遺跡は弥生時代の遺跡となる。
遺構
- 集落
- 墓地
遺物
- 弥生土器
- 石器
- 須恵器
- 土師器
- 夜臼式土器、
- 紡錘車、
- 大陸系磨製石器群
- 炭化米
- 籾圧痕土器
- 弥生土器
- 青銅器
- 土師器
指定
アクセス
- 名称:曲り田遺跡
- 所在地:福岡県糸島市二丈石崎312
- 交 通:JR筑肥線「一貴山駅」徒歩26分/糸島市コミュニティバス JA西部支店前より徒歩8分
参考文献
- 藤尾慎一郎(2014)「弥生鉄史観の見直し」国立歴史民俗博物館研究報告 第185集
- 福岡県教育委員会(1983)「石崎曲り田遺跡」
- 福岡県教育委員会(1983)「石崎曲り田遺跡 Ⅱ」今宿バイパス関係埋蔵文化財調査報告 第9集
- 福岡県教育委員会(1985)「石崎曲り田遺跡 Ⅲ」今宿バイパス関係埋蔵文化財調査報告 第11集
- 佐原眞編(1997)『弥生土器1:弥生文化の研究 第3巻)』雄山閣出版; 第2版
歩揺 ― 2025年07月05日 00:10
歩揺(ほよう)は衣服や冠に取り付けて歩行する度に揺れる視覚的効果を狙った装身具である。
概要
鴨稲荷山古墳では金銅製冠と金銅製飾履が同時に出土している。同時に亀甲文様を刻んで、歩揺などの装飾を施した半筒形の金属器2点が石棺に納められていた。 金銅製冠の魚形歩揺は冠などにもぶら下げて、「ゆらゆら揺れる」ことを目的にした仕組みとされる。宝冠に、魚形の歩揺や円形の歩揺が付けられ、帯部に菊綴飾と亀甲文の彫込金銅製飾履がつけられていた。原品は東京国立博物館と京都大学が収蔵するが、壊れやすいので展示できないとされる。復元品は高島歴史民俗資料館が展示する。 金銅製飾履は儀式のときに足が付かないほどの高い椅子に着座して履き、足をぶらぶらさせて歩揺をきらめかせたという説もある。
考察
歩揺が揺れると、金属同士があたりチャリfチャリと音が出たにちがいない。視覚効果と音響効果で威厳と荘厳さを演出したのではなかろうか。とすると王の出現と歩揺は関係があるに違いない。豪華な金銅冠や金銅製飾履を持つ被葬者は、朝鮮半島にルーツを持ち、倭国では大王やその周囲につながる人物が想定される。 馬は古墳時代に導入されたとみられるので、弥生時代に馬に取り付けた歩揺はないはずである。
出土例
- 金製歩揺 新沢千塚126号墳、奈良県橿原市、古墳時代5世紀、東京国立博物館
- 魚形歩揺 鴨稲荷山古墳出土、滋賀県高島市、古墳時代、高島歴史民俗資料館
- 銀製魚形歩揺 天王塚古墳、古墳時代・6世紀前半、和歌山県立紀伊風土記の丘
- 金銅製歩揺付飾金具 藤ノ木古墳出土、奈良県斑鳩町、古墳時代後期
参考文献
葡萄唐草文 ― 2025年07月05日 23:51
葡萄唐草文(ぶどうからくさもん)は葡萄の房、つる、葉などで模様を構成する唐草文である。
概要
古代の葡萄栽培は、数千年前に古代エジプトやメソポタミア、ギリシャ、ローマ 中唐のアッシリアで始ったといわれる。ワイン造りはギリシア、ローマ、ササン朝ペルシアなどで行われた。エジプトでは紀元前3000年に葡萄栽培が始まったとされる。 日本では奈良時代に僧侶の行基が中国から薬として葡萄を伝えたとの説がある。 唐草文は植物の蔓や葉が互いに絡み合っている図を抽象化して文様にしたものである。 唐草という植物はない。葡萄唐草文は日本では風呂敷の文様にもなっている。 葡萄の蔓に葉と房を配して連続的に展開した文様である。西アジアでは葡萄を不死の生命の象徴と考えていた。中国では染織・金工・漆芸品などの模様に多用された。葡萄は多くの実をつけることから豊穣を象徴する植物である。山口恵子(2005)は特徴を第一に蛇行と旋転、第二に繰り返しと反覆によって,連続性が保たれていることを挙げる。また唐草文様の起源は古代エジプ トのロータス(睡蓮)が始まりだといわれていると指摘する。古代ギリシャでは優美な線を持ったパルメット唐草となり、壷絵などの装飾や建築装飾に多用された。 日本に伝わると、正倉院の錦など布製品の模様となった。江戸時代には木綿の布団、争伏紗、風目敷等、藍染作品に唐草文様が頻繁に使われた。
出土
- 葡萄唐草文軒平瓦破片 -戒那山出土、京都国立博物館
- 葡萄唐草文鴟尾 - 奈良国立博物館、奈良時代
- 褥 葡萄唐草文錦 - 東京国立博物館、奈良時代・8世紀、重要文化財
- 正倉院裂 - 赤地葡萄唐草文綾 - 京都国立博物館、奈良時代、
- 葡萄唐草文錦 - 正倉院、
- 縹地葡萄唐草文錦 第16号(東大寺屏風2-3) - 北倉 182
- 紫地狩猟文錦 第12号(東大寺屏風1-5)- 正倉院、北倉 182
参考文献
- 山口恵子(2005)『「唐草文様」風呂敷のシルクロードの旅』日本衣服学会誌
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