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神仙思想2025年07月11日 00:10

神仙思想(しんせんしそう)は不老不死を実現した超自然的な神仙が中国から遠くの山に住んでいるという、中国の伝説的な信仰である。

概要

神仙思想の誕生

神仙思想は中国の古来の民間思想に由来し、早い段階で山・海・霊物への信仰や不死願望が存在した。戦国時代(BC475年からBC221年)に神仙思想が成立した。前4世紀から前3世紀頃に複数の時代にわたり徐々に編纂された『山海経』には仙人の住む崑崙山や霊獣、不老長寿の植物・動物が記述されており、神仙世界の原型となっている(神話的段階)。『山海経』は西王母について「西王母は人のようで、豹の尾、虎の歯でよく嘯き、おどろの髪に玉の勝をのせ、天の厲と五残を司る」と記述する。

神仙思想の社会的背景

戦国時代後期には社会混乱から個人の救済欲求が高まり、不老不死や社会からの隠逸を希求する思想が支持を得た。方士が登場し、霊薬・煉丹・飛翔・長寿などの修行法を説いた。 やがて、秦の始皇帝、漢の武帝などの提唱により、神仙思想が盛んとなった。崑崙山、西王母、蓬莱山など神仙思想のモチーフはこの時代の産物である。漢の武帝は、神仙思想に深く傾倒し、崑崙や蓬莱などの霊山への巡礼とともに仙人の探索を命じた。徐福が「蓬莱の不老不死の薬」を求めて東方に出発したのはこの頃である。 後漢時代に葛洪による『抱朴子』において、神仙思想はより体系的となった。神仙思想は道教理論の中核となり、神仙になる方法として煉丹・房中術・清静無為が説かれ、仙界の階層が論議された。『抱朴子』は「(仙人は)天に昇り、日月の光を踏み、・・・黄金を溶かした水を飲み、青々とした芝草、赤い石英を食べ、玉で作った家に住み、大空を逍遙することができる」と、空想的な仙人の姿を描いている。

神仙のイメージ

神仙思想の神仙には「西王母」と「東王父」とがある。崑崙山に住む西王母は、全ての仙女(女仙)を統括する。3000年に一度だけ開花し実を結ぶする桃(仙桃)や仙薬を保有しており、これらを食べると長寿になれるという伝説がある。東方の蓬莱山 上に住む東王父は男の仙人を統率する。「東王公」「東父」ともいう。山東半島のはるか東の海中に蓬莱山などの神仙境があるとされる。三角縁神獣鏡では「西王母」と「東王父」は羽が生えた図像として描かれる。

道教と神仙思想

神仙思想は道教思想の基礎となっている。道教は、神仙思想・老荘思想・黄老思想・五斗米道など数多くの思想を取り入れて成立した多神教である。 不老長生とは、肉体を健全にし、生命の永遠を願うもので、道教は不老長生を目的とした。道教では不老長生を得るための手段の一つとして、種々の儀礼を行う。儀礼には、道教の戒律を受けた道士によって行われるものと、法師など道士以外の人々により行われるものがある。

三角縁神獣鏡にみる神仙思想

日本で出土する三角縁神獣鏡には西王母、東王父、崑崙山、蓬莱山など霊獣など神仙思想のモチーフが描かれる。神には西王母と東王父が描かれ、獣には龍・虎・鳳凰などの霊獣が描かれる。三角縁神獣鏡の意味は、その持ち主が天の意志を受けた支配者であることを示す支配関係を表している。三角縁神獣鏡は古墳時代の有力者の副葬品として埋葬された。鏡の文様は、死後に葬られた人物が神仙となりし、永遠に生きることを願う装置である。神獣は死者を護り、霊界へと導く案内者となる。即ち三角縁神獣鏡は古墳での祭祀や葬送、王権儀礼で重要な役割を果たした。

日本書紀にみる神仙思想

  • 日本書紀巻第六 垂仁 九十九年秋七月戊午朔
  • 田道間守、於是、泣悲歎之曰「受命天朝、遠往絶域、萬里蹈浪、遙度弱水。是常世國、則神仙祕區、俗非所臻
  • (大意)(垂仁は逝去し)田道間守は常世の国から帰国した。持ち帰ったのは非時の香菓である八竿八縵(橘を串に刺したものと、葉付きの枝)であった。常世の国は遠く波を越え、川を渡った。常世の国は神仙が隠れるところである。

神仙思想の日本への影響

日本では中国の「仙人になるための修行」「丹薬による肉体の不死」は、強い関心をもたれなかった。日本ではアニミズム的な神道的世界観があり、不老不死を求めることはなかった。 日本では道教的要素として、陰陽五行・方位神・祭祀儀礼は受容されたが、道教自体の体系はは制度宗教とはならなかった。日本では死者は「祖霊」や「御霊」と扱われたが、仙人として不老不死を願う思想は根付かなかった。 しかし散発的であるが神仙思想が象徴的に現れる。例として法隆寺金堂壁画には神仙思想につながる「登仙」「飛翔」のイメージを雲に乗る天人、舞楽を奏でる姿で表している。 『竹取物語』には蓬莱・不老不死の薬・仙界という神仙思想の要素が取り込まれる。神仙思想を理解していた証拠である。陰陽道においては、道教的な神仙的要素(方位神、呪術、神々の名前)が取り入れられている。高松塚古墳の壁画には青龍・白虎・朱雀・玄武の四神が描かれるが、中国の神仙思想に由来する「方位神・霊獣」である。正倉院宝物の螺鈿細工や漆器には鳳凰、龍、麒麟、霊獣、雲文様、山岳文などの神仙思想のモーチフが登場する。

考察

神仙思想における蓬莱山が山東半島のはるか東の海中にあるという地理的情報は『魏志倭人伝』の邪馬台国の位置と関係があるのではないだろうか。『魏志倭人伝』の行程を(放射状説を取らないで)そのまま解釈すれば、山東半島のはるか東の海中になるからである。日本に大陸から伝わった蓬莱山の神仙思想は後代まで影響を与えた。江戸時代の画家である鈴木鵞湖は「蓬莱山図」を描いている。多くの仙人たちが鶴や鳳凰、龍に乗って天空から舞い降り、亀や魚に乗って集う姿が描かれる。

参考文献

  1. 陳仲奇(2001)『道教神仙説の成立について』総合政策論叢 1pp.149-170
  2. 大形徹(2000)「神仙思想研究小史 神仙思想はどのように研究されてきたか(1)」中国研究集刊 27,pp.1-23
  3. 大形徹(2005)「神仙思想の成立に関する研究」文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書
  4. 高馬 三良(1994)『山海経-中国古代の神話世界』平凡社
  5. 横手裕(2002)『中国道教の展開』世界史リブレット96、山川出版社
  6. 藤田 友治(2002)『古代日本と神仙思想』五月書房
  7. 津田敬武(1916)「古墳發掘の所謂神獸鏡を論じて佛敎渡來以前の宗敎思想に及ぶ」『考古学雑誌』 1巻1号,pp.273~280
  8. 辰巳和弘(2005)「神仙思想の伝来と倭化」万葉古代学研究所年報(3),pp.82-92

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