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小林敏男2025年07月13日 00:19

小林敏男(こばやし としお、1944年 - )は、日本古代史学者、歴史学者。大東文化大学名誉教授。専門は日本古代史。博士(歴史学)。大東文化大学兼任研究員。

経歴

1944年、長野県長野市で生まれる。1970年、神戸大学文学部国史学科を卒業する。1978年、東京教育大学大学院文学研究科(日本史学)博士課程で単位取得退学した。1995年11月8日、「古代王権と県・県主制」で國學院大學より博士号を得る。鹿児島県立短期大学教授を経て、大東文化大学文学部教授。2015年に定年退官。6月11日、名誉教授。

研究内容

著書『日本古代国家形成史考』では、日本古代国家形成期(時代としては5世紀前後が中心)の国家論、王朝交替説とその方法論、日本書紀の紀年論、記・紀の方法論を論じる。著書『日本国号の歴史』では、「日本国号」の成立に関して、いつ誰が、どう定めたのか、それまでの「ヤマト」「倭」から名称を変更した理由や意味・由来を中国や朝鮮との関係を辿りつつ考察している。2014年以降は近代思想史の論考もある。

講演

  • 1993年7月  東京都中野区の「古代を学ぶ会」「女帝について」と題して講演
  • 1994年4月 よみうり・日本テレビ文化センター浦和「古代史講座」を開講(月、2回)
  • 1994年9月 東京都中野区の「あけぼの会」「善光寺の謎」と題して講演
  • 1995年1月 朝日カルチャーセンター(横浜)「騎馬民族説と日本古代国家の形成」と題して講演
  • 1995年1月  朝日カルチャーセンター(湘南藤沢)「王朝交替説」と題して講演
  • 1995年9月  東京都中野区の「あけぼの会」「善光寺の成立」と題して講演
  • 1995年11月 東京都府中生涯学習センター「河内王朝論」と題して講演
  • 1995年12月 東京都府中生涯学習センター「継体新王朝論」と題して講演
  • 1996年3月  東京都中野区の「古代を学ぶ会」「南西諸島の平家伝説」と題して講演
  • 1996年6月  埼玉県の県信連「騎馬民族説と古代の日本」と題して講演
  • 1996年10月 東京都中野区の「あけぼの会」「伊勢神宮の謎」と題して講演
  • 1997年10月 東京都中野区の「あけぼの会」「日本のなりたちと日本文化論」と題して講演
  • 1998年10月 東京都中野区の「あけぼの会」「継体新王朝説」と題して講演
  • 1999年1月  東京都中野区の「古代を学ぶ会」「ヲケ・オケ二王と忍海部女王」と題して講演
  • 1999年7月  朝日カルチャーセンター(横浜)「王朝交替はなかった」と題して講演
  • 2000年6月14日、東京都中野区「あけぼの会」「フダラク渡海海」と題して講演
  • 2001年6月21日、東京都中野区あけぼの会「神武天皇即位年について-辛酉革命説を中心に-」と題して講演
  • 2002年12月14日、国際シンポジウム「東アジアから見た日本古代国家の起源」(東アジアの古代文化を考える会主催)「日本の古代国家形成過程-五・六世紀を中心に-」と題して基調報告。討議。
  • 2002年12月19日、板橋グリーンカレッジOB会「日本人の成り立ちと邪馬台国」
  • 2003年6月19日、東京都中野区あけぼの会「邪馬台国と女王国」と題して講演
  • 2004年6月8日、東京都中野区あけぼの会「古代女帝の特質について」と題して講演
  • 2005年6月15日、東京都中野区あけぼの会「飯豊郎女-女帝の起源-」と題して講演
  • 2006年6月22日、東京都中野区あけぼの会「武蔵国造の乱・再論」と題して講演
  • 2007年6月22日、東京都中野区あけぼの会「日本という国号について」と題して講演
  • 2008年3月8日、シポジウム「水林彪著『天皇制史論』をめぐって」奈良女子大学COE研究会「水林彪著『天皇制史論』の論点と問題点」と題して報告、討論。
  • 2008年4月19日、東アジアの古代文化を考える会「日本という国号について」と題して講演
  • 2012年2月25日、明治大学古代学研究所・東アジア石刻文物研究所「白村江以後の「日本」国号問題――「祢軍墓誌」の発見に寄せて」と題して講演(新発見百済人「祢氏 (でいし ) 墓誌」と7世紀東アジアと「日本」:シンポジウム)明治大学駿河台キャンパス・リバティタワー1階 1011 教室
  • 2018年11月15日、「元号~その歴史と今~」講演。
  • 2018年6月15日、歴史文化学会「歴史文化学科の創設と大東文化大学と題する講演
  • 2019年7月11日、よみうりカルチャー浦和・日本古代史講座(『続日本紀』をテキストとして各記事を逐一読んでいく、その解釈と問題点さらに論争点を講義する
  • 2021年5月14日、「“伝説”から学ぶ古代東国史」大東文化大学地域連携センター
  • 2024年10月4日、「飛鳥時代にみる聖徳太子と推古女帝の登場」大東文化大学地域連携センター

著書

単著

  • 小林敏男(1988)『古代女帝の時代』校倉書房
  • 小林敏男(1994)『古代王権と県・県主制の研究』吉川弘文館 ,
  • 小林敏男(1994)『古代天皇制の基礎的研究』校倉書房
  • 小林敏男(2006)『日本古代国家形成史考』校倉書房
  • 小林敏男(2007)『日本古代国家の形成』吉川弘文館
  • 小林敏男(2010)『日本国号の歴史』吉川弘文館
  • 小林敏男(2014)『明治という時代―歴史・人・思潮』雄山閣
  • 小林敏男(2019) 『国体はどのように語られてきたか 歴史学としての「国体」論』勉誠出版
  • 小林敏男(2022)『邪馬台国再考 ――女王国・邪馬台国・ヤマト政権』筑摩書房

共著

  • 上田正昭, 熊谷公男, 小林敏男, 徐建新, 奥野正男(2004)『シンポジウム 倭人のクニから日本へ―東アジアからみる日本古代国家の起源』學生社

論文

  • 小林敏男(2019)「袮軍墓誌銘の「日本」と白村江の戦い白村江戦前後(再考)」大東文化大学紀要. 人文科学 (57), pp.288-269
  • 小林敏男(2018)「白髪首刎らるるとも恨みなし : 神澤杜口が橘南谿に語ったこと」青淵 (827),pp. 34-37
  • 小林敏男(2017)「ハンセン病と渋沢栄一 : いわれなき批判への反論」青淵 (819), pp.26-29
  • 小林敏男(2017)「東アジアと日本 : その歴史と文化」大東文化大学紀要 人文科学 (55), pp.308-289
  • 小林敏男(2016)「祢軍墓誌銘の「日本」と白村江戦前後」大東文化大学紀要 人文科学 (54), pp.272-255
  • 小林敏男(2015)「天皇の統治権を考える :「ウシハク」と「シラス」を通して (小林敏男教授退任記念号)」日本文学研究 (54),pp.1-21
  • 小林敏男(2007)「古代における神と仏」佐々木宏幹編『民俗学の地平-桜井徳太郎の世界』岩田書店
  • 小林敏男(2005)「古代初期日朝関係史--とくに好太王碑文辛卯年条を中心として(下)」大東文化大学紀要 人文科学 (43), pp.71-84
  • 小林敏男(2004)「継体王統出現の歴史的背景 (特集 古代社会の諸問題)」東アジアの古代文化 (121), pp.66-78
  • 小林敏男(2004)「古代初期日朝関係史--とくに好太王碑文辛卯年条を中心として(上)」大東文化大学紀要 人文科学 (42), pp.67-87
  • 小林敏男(2003)「邪馬台国と女王国」人文科学 8, pp.170-141

潤地頭給遺跡2025年07月13日 12:21

潤地頭給遺跡(うるうじとうきゅういせき)は福岡県糸島市にある弥生時代中期から中世までの複合遺跡である。

概要

福岡県の北西部にあり、『魏志倭人伝』に伊都国として記された糸島半島の中央部の標高3mから4mの微高地に位置する。糸島平野のほぼ中央部に位置する。弥生時代中期を中心とする360基の甕棺墓、井戸枠に転用された2世紀未の準構造船、玉作工房が見つかっている。

調査

平成14年7月に調査区内の遺構の状況と内容を知るため約1ケ月間をかけて全域を対象とした試掘調査を行った。弥生時代前期末~中世にかけての複合遺跡と判明した。本調査は平成15年1月15日~平成16年3月19日の 約1年2ケ月をかけて実施した。

玉作工房

範囲は一部が調査区外であるが、検出された3世紀頃の玉作工房の遺構として約30棟が検出された。南北130m、東西80m、9600m2の広大な面積に33軒の工房があった。平面は隅丸の四角形または不正隅円長方形であり、周囲に円形の溝を巡らす建物が多い。上屋の構造は切妻屋根を葺き下ろしたいわゆるテント状の簡易建物とみられる。 弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて玉作りが行われたことを示す。玉作工房は周囲に円形の溝を巡らせる竪穴建物であり、東西100m、南北130mの広い範囲に広がっている。遺構から出土した石材として碧玉、水晶 メノウ、鉄石英、蛇紋岩、玉作り用の砥石がある。 碧玉ろ水晶は別々の建物跡からみつかった。工具として砥石、叩き石、鉄製加工異などがあり、いずれも住居内や排 水溝、土坑から出土した。

井戸

井戸は径60cm、深さ2mであり、6枚の部材により円形に作られている。井戸枠内から長頸壺、短頸壺、庄内式土器など20点がみつかった。井戸枠は準構造船を転用したものであった。船体断面がU字形であり、残存長は1.5m、幅82cm、厚さ3.5cmである。両舷に臍穴が見られ、溝を切って仕口をはめ込む仕口が作られている。船尾部分とみられる。樫原考古学研究所の福田さよ子の鑑定によれば、船底と舷側が杉材、船尾部はクスノキであった。全長は約6mと推定されている。

遺構

弥生+古墳+奈良+中世

  • 掘立柱建物
  • 大溝
  • 甕棺墓
  • 土壙墓
  • 玉作工房
  • 竪穴建物
  • 井戸
  • 火葬墓
  • 祭祀土坑

遺物

  • 弥生土器
  • 石剣
  • 石庖丁
  • 石斧
  • 石鏃
  • 投弾
  • 甕棺
  • 銅訓
  • 銅鏡
  • ヒスイ製勾玉
  • 碧玉
  • 水晶
  • メノウ
  • 鉄石英
  • 蛇紋岩
  • 井戸転用準構造船
  • 剣装具
  • 須恵器
  • 土師器
  • 鉄鏃
  • 金槌
  • 蔵骨器
  • 動物遺存体
  • 掘立柱建物

指定

展示

  • 伊都国歴史博物館

考察

弥生時代に丸木舟ではなく準構造船が見つかったことは重要である。韓国への往復に使われたのであろうか。玉作り工房の製品はどこに出荷されたものであろうか。

アクセス等

  • 名称: 潤地頭給遺跡
  • 所在地:福岡県糸島市潤地頭給
  • 交通:

参考文献

  1. 前原市教育委員会(2005)「潤地頭給遺跡」前席市文化財調査報告書 第89集

佐伯有清2025年07月13日 20:50

佐伯有清(さえきありきよ、1925年3月2日 -2005年7月19日)は日本の歴史学者である。専門は古代史。

概要

先祖は富山藩の儒者とされる。父の佐伯有三で、青山学院で英語を教えていた。 佐伯有清は数多くの著作や論文がある。平安時代に編まれた有力氏族の系譜を調査した全10巻の「新撰姓氏録の研究」で知られる。1962年に1巻目を出版後、その研究は2001年まで及んでいる。古代史研究に欠かせない価値ある史料の研究となったとして、1984年に「日本学士院賞」を受賞した。佐伯有清が残した膨大な図書を綾瀬市内に私設図書館「佐伯有清記念歴史図書館 清心館」を開館した。蔵書一覧が掲載されているホームページにはアメリカ・イギリス・インド・中国など海外からの検索がある。

経歴

  • 1925年、東京都赤坂区生まれ。
  • 1952年、名古屋大学文学部国史学科卒業
  • 1952年、母校の法政大学第二高校に赴任、後に校長
  • 1957年、東京大学大学院国史学専攻修了
  • 1962年、文学博士。
  • 1971年 、北海道大学教授
  • 1983年、成城大学教授
  • 1995年、成城大学教授退任。勲三等瑞宝章受勲
  • 2005年、没

著書

  • 佐伯有清(1971)『研究史邪馬台国』吉川弘文館
  • 佐伯有清(1975)『古代史への道』吉川弘文館
  • 佐伯有清(1985)『日本古代氏族の研究』吉川弘文館
  • 佐伯有清(1988)『三国史記倭人伝 他六篇 朝鮮正史日本伝 1』岩波書店
  • 佐伯有清(1989)『円仁』吉川弘文館
  • 佐伯有清(1995)『日本古代の政治と社会』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2000)『新撰姓氏録の研究 本文篇 』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2002)『高丘親王入唐記: 廃太子と虎害伝説の真相』
  • 佐伯有清(2007)『最後の遣唐使』講談社
  • 佐伯有清(2013)『慈覚大師伝の研究』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2017)『悲運の遣唐僧』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2017)『魏志倭人伝を読む』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2021)『日本古代氏族事典』雄山閣
  • 佐伯有清(2021)『古代東アジア金石文論考』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2024)『円珍』吉川弘文館

参考文献