備中国分寺跡 ― 2025年07月25日 00:08
備中国分寺跡(びっちゅうこくぶんじあと)は岡山県総社市にある古代の寺院跡である。
概要
低丘陵のゆるやかな南麓に位置する東西160m、南北178mの寺院跡である。備中国分寺は聖武天皇が741年(天平13年)に仏教の力を借りて天災や飢饉から人々と国を守る (鎮護国家)ことを目的に建てられた官寺の一つであった。 敷地の周囲は底面の幅約1mの築地によって区画されていた。創建当初の国分寺跡は現在の国分寺境内と重複する。建物は南門や中門が発見されており、ともに5間×2間である。1971年(昭和46年)に岡山県教育委員会が実施した発掘調査によって、南門跡、中門跡、建物跡、築地土塀などが確認されている。金堂跡や講堂跡は現在も寺の境内地のうちに含まれており、その位置や規模などは明らかではない。 出土品は軒丸瓦や軒平瓦のほかに、鬼瓦や鴟尾などがある。 出土した土器などから、中世初期まで存続したと推定されている。備中国分寺は、中世には廃寺となったが、その後江戸時代中期に至って清水山惣寺院住職増鉄和尚が、領主蒔田氏から再興の許可と国分寺の跡地を賜り、江戸時代・1717年(享保2年)から19年の歳月を費やし、日照山国分寺として再建したものである。建設費用は銀360貫目、金に換算すると5,000~6,000両と言われる。 現存する伽藍はすべて再興後に建てられた建築である。 岡山県唯一の五重塔がある。
調査
遺構
出土遺物
指定
- 昭和43(1968)年2月15日 国指定 史跡
- 1968年2月15日 - 重要文化財 五重塔
アクセス
- 名称:備中国分寺跡
- 所在地:〒719-1123 岡山県総社市上林
- 交通:JR伯美線総社駅から総社バス「吉備路もてなしの館」下車、徒歩約15分
参考文献
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 葛原克人(1975)「備中国分寺」『仏教芸術』103
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