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雨の宮一号墳2025年09月17日 00:02

雨の宮一号墳(あめのみやいちごうふん)は石川県鹿島郡中能登町にある前方後円墳である。日本100名墳に選出されている。 「雨の宮古墳群1号墳」ともいう。

概要

能登半島の中央部を東西に横切る邑知地溝帯付近の眉丈山山中にあり、1号墳は、墳丘長64メートルの県内で最大規模の前方後方墳である。墳丘の主軸は東西方向で、前方部は東に向く。短い前方部で、墳長64mに対して、前方部高さは推定6.5mで、高さがある。埋葬施設は粘土槨で7.2m、幅2mの規模である。主軸は南北方向である。盗掘抗がある。1号墳の前方部にはかつて天日陰比咩神社の社殿があった。

調査

1990年代に墳丘表面の全面発掘が行われた。棺は長さ6.3m、幅2mの割竹形木棺である。副葬品は神獣鏡1面、車輪石4(緑色凝灰岩製、外径、内孔とも卵形である)、石釧15(最大直径11cm)、琴柱形石製品 1、管玉14個、方形板革綴短甲1領、銅鏃 52本、鉄鏃 約30本、直刀7本以上、剣3本以上、短剣7本以上、鉄斧2個、靫1点(漆が塗られる)、漆製品などであった。墳丘の裾部3箇所から壺、高坏などが出土しており、葬送儀礼での使用品とみられる。墳頂部は通称「雷ヶ峰」と呼ばれる。1959年7月21日から26日、明治大学文学部考古学研究室が墳丘を実測した。後方部に木棺直葬で棺の身蓋の前後端に縄掛突起の痕跡がある。 倭製神獣鏡の鏡面に布が付着し、板状の木片が残ることから、木箱に納め布で包装していたとみられる。貴重品との認識があったようだ。神獣鏡1面、鉄短甲・鉄剣・銅鏃・鉄鏃などの金属製品165点、車輪石・石釧・小型の琴柱形石製品・管玉などの碧玉(緑色凝灰岩)が重要文化財に指定された。

規模

  • 形状 前方後方墳
  • 築成 前方部:2段、後方部:2段
  • 墳長 64m
  • 後円部 径45×36m 高6.5m
  • 前方部 幅推定35m 長推定28m 高推定6.5m

外表施設

  • 葺石 あり -安山岩・花崗岩の割石角礫

遺構

  • 主体部
  • 室・槨 粘土槨
  • 棺 木棺直葬

遺物

  • 倭製鏡 神獣鏡1
  • 車輪石4
  • 石釧15
  • 管玉14
  • 琴柱形石製品 1
  • 鉄剣 短剣7
  • 鉄刀 大刀7
  • 鉄鏃 約30
  • 銅鏃 52
  • 革綴短甲 方形板1
  • 靫1
  • 斧2
  • 漆製品(盾?)1
  • 赤色顔料

時期

  • 古墳時代前期後半(4世紀中頃~後半)

被葬者

  • 能登一円を支配した人物と想定

指定

  • 1982年(昭和57年)10月12日 史跡指定
  • 2008年7月10日 - 重要文化財

展示

  • 雨の宮能登王墓の館

アクセス

  • 名 称:雨の宮一号墳
  • 所在地: 〒929-1602 石川県鹿島郡中能登町能登部上7
  • 交 通:西日本旅客鉄道 能登部駅 から徒歩56分 3.6km

参考文献

高橋貝塚 (南さつま市)2025年09月17日 00:03

高橋貝塚 (南さつま市)(たかはしかいづか)は鹿児島県南さつま市に所在する弥生時代後期の貝塚である。

概要

南九州の代表的な弥生後期の貝塚である。万之瀬川の支流の堀川の右岸の砂丘内縁の河岸段丘上にある貝塚である。弥生前期の高橋式士器の標式遣跡となっている。ゴホウラ貝、オオツタノハ貝輪などから南西諸島と西北九州の貝の交易ネットワークの中継地点とともに加工場所と見られる。標高10~11mの地点に貝塚があり,周辺の水田からの比高差は約 7m である。再整理により、弥生前期中葉より古い縄文晩期の夜臼式土器、弥生時代前期前葉の突帯文土器が下層にあることを発見した。石包丁の素材は対馬産菫青石ホルンフェルスが 使われ、柱状片刃石斧の石材には朝鮮半島南部の層灰岩が使われていた。有明海湾岸からの搬入と見られる。遺跡の出土石器数の分布から,多くが「壱岐島→福岡平野→二日市地峡帯→佐賀平野」へ持ち込まれて使用された。弥生中期の層で有明海沿岸からの搬入品が確認されたことから、弥生中期まで高橋貝塚は中継地点として機能していたと考えられる。貝塚形成は西北九州系農耕民の入植の初期段階での食料獲得状況を表している。貝輪交易の中継地として使用され始めた時期には水田稲作は定着せず,狩猟・漁労に依存していたとみられ、その頃の時期に高橋貝塚が形成された。その後水田稲作の収量が安定し,周辺の地域の生産物の交換経済に組み 込まれた結果,定着性が高まり,弥生中期集落が形成された。

調査

1962年(昭和37年)8月2 日(木)から8月12日に金峰町教育委員会の調査が行われ、河口貞徳らによる発掘調査が行われた。1963年に発掘調査が行われた。貝塚のほかに住居跡や土坑がみつかった。1963年(昭和38)年)8月は県教育委員会・金峰町教育委員会の援助を得て河口貞徳らが調査した。調査期間は8月15日(木)から8月27日(火)である。1965年には『考古学集刊』で発表され、高橋1式土器~高橋4式土器が設定された。 最下層は夜臼式土器を含む突帯文土器の時期であるとされ、綾羅木Ⅲ式土器は貝層から出土しており,年代的に整合する。 遺物は、土器として甕形土器、甕形土器、壺形土器、彩色壺形土器、突帯文土器、壺形土器、縄文時代晩期土器(夜臼式土器)、弥生時代前期土器(高橋Ⅰ式・Ⅱ式,板付Ⅰ式・Ⅱ式を中心とする)、弥生時代中期前葉土器が出土した。少量の擬無文土器が混入しており、朝鮮系無文土器の中で後期無文土器と言われる一群である。福岡平野や佐賀平野、熊本平野に集中している。 貝製品としてゴホウラ、ゴホウラ貝輪未製品、骨角貝製品、管玉、鹿角、牙製品、骨鏃がある。そのほか釣針、鉄器など。 石器として、紡錘車、石剣、石槍・尖頭器、打製石斧、磨製石斧、柱状片刃石斧、石鎌、石鏃、石包丁、穿孔具、石錐、石匙、磨石・敲石,石皿,砥石,軽石製品、朝鮮式磨製石鏃、などが出土した。

遺構

  • 貝塚
  • 土坑
  • 溝状遺構
  • 礫集中

遺物

  • 夜臼式土器
  • 高橋Ⅰ式土器
  • 高橋Ⅱ式土器
  • 板付Ⅰ式土器
  • 板付Ⅱ式土器
  • 土製品
  • 石鏃
  • 石包丁
  • 磨製石斧
  • 柱状方刃石斧
  • 穿孔具
  • 石錐
  • 石匙
  • 打製石斧
  • 磨石
  • 敲石
  • 石皿
  • 砥石
  • 軽石製品
  • 骨角器
  • 貝製品
  • 管玉
  • 鉄鏃
  • 鉄滓

指定

展示

アクセス

  • 名称:高橋貝塚
  • 所在地:鹿児島県南さつま市金峰町高橋
  • 交通:JR伊集院駅より鹿児島交通バス枕崎行乗車、塘または金峰中前下車徒歩20分

参考文献

  1. 鹿児島県立埋蔵文化財センター(2024)「高橋貝塚1」鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書(226)
  2. 鹿児島県立埋蔵文化財センター(2024)「高橋貝塚1」鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書(226) 鹿児島県立埋蔵文化財センター(2025)「高橋貝塚1」鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書(229)