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水子貝塚2026年01月15日 00:29

水子貝塚(みずこかいづか)は、埼玉県富士見市に所在する縄文時代の貝塚である。

概要

埼玉県、東京都を流れる荒川右岸の武蔵野台地上②所在する縄文時代前期の大規模な貝塚である。縄文時代前期の縄文海進の時期に、内陸部に形成された代表的な貝塚である。 直径約160メートルの広場を中心として約50個所の小貝塚が分布する。各小貝塚は主として淡水産の貝塚で構成される。*調査 1894年(明治27年)10月25日にこの地を訪れた遺跡探索を趣味としていた元棚倉藩主の阿部正功によって発見され、『東京人類学会雑誌』第10巻、第106号に紹介された。 1937年(昭和12年)秋、酒詰仲男は安部立郎の報告した地名表から水子貝塚を認識し、和島誠一等とともに2カ所の貝層を伴う竪穴住居を発掘した(第1次調査)。 1939年(昭和14年)10月、東京考古学会による発掘調査が行われ、最大の貝塚の竪穴住居が発掘された(第2次調査)。 1967年(昭和42年)1月に行われた第3次調査では貝塚の下から縄文時代前期の竪穴住居前期黒浜式の竪穴住居1軒、諸磯b式の竪穴住居1軒などを発見した。1967年までの3回の調査により縄文時代前期の小貝塚が環状に分布していることを発見した。遺跡から約60ヵ所の小さな貝塚が発見された。貝の種類はヤマトシジミが大部分であった。ほかにハマグリ、サルボウ、カキなどがある。 廃棄された竪穴住居の跡地に形成された貝塚と見られる。1939年(昭和14年)10月には東京大学人類学教室の調査が行われ、最大の貝塚とその下の住居跡が発掘された。江坂輝弥は「水子式土器」の土器型式名を提唱した。 煮炊きに使われた煤けた土器が見つかった。1つの住居跡から、屈葬された30代女性の人骨と、若い雄犬の骨がみつかった。

遺跡公園

史跡指定地39,346.85 ㎡のうち、98.4%を公有地化し、1994年(平成6年)6月に「縄文ふれあい広場 水子貝塚公園」が開園した。隣接地に水子貝塚資料館があり、資料館と史跡、自然が一体となった野外博物館である。

遺構

  • 貝塚
  • 竪穴住居

遺物

  • 縄文土器
  • 石器
  • ケツ状耳飾
  • 軽石製品
  • 鮫歯製垂飾
  • 犬牙製垂飾
  • 埋葬人骨

展示

  • 水子貝塚公園(資料館)

考察

指定

  • 1969年9月9日 - 国の史跡指定

アクセス等 

  • 名称  :水子貝塚
  • 所在地 :埼玉県富士見市大字水子2003番地1
  • 交 通 :東武東上線みずほ台駅東口 徒歩 15分/1.2km

参考文献

  1. 富士見市教育委員会「史跡水子貝塚整備基本計画」

赤山陣屋跡遺跡2025年12月22日 23:40

赤山陣屋跡遺跡(あかやまじんやあといせき)は、埼玉県川口市にある縄文時代の遺跡である。

概要

赤山陣屋跡遺跡は東を綾瀬川、西を芝川にはさまれる谷地形が発達した大宮台地の最南端にある鳩ヶ谷支台に立地する。遺跡周辺は各水系への分水嶺となっている。縄文時代のトチの実の加⼯場であったと推察される「トチの実加工場跡」が検出された。西側低湿地は綾瀬川へつづく浸食谷の奥に位置する。

調査

1980年代前半,東京外かく環状道路の開発に伴う調査により、「台地平坦面-斜面-低湿」が横断的に調査され、縄文時代草創期から晩期にわたる遺構や遺物が検出された(宮内慶介、小林竜太(2021))。縄文時代後期末葉から晩期中葉の安行式期に西側低湿地東側において「トチの実加工場跡」や「板囲い遺構」などの木組遺構が作られた。「トチの実加工場跡」遺構は、長軸9.0m,最大幅2.4m,最小幅1.9mの長方形の木組遺構である。木組遺構に近接して人為的に破砕されたトチノキの種皮が集積した「トチ塚」が2基検出された。遺構内および周辺から大型粗製土器が大量に出土し、さらに堅果類の加工具と考えられる磨石や叩石、台石などが出土した。

水場遺構

水場遺構は赤山陣屋跡遺跡の発掘調査を最初として、東日本を中心に多くの確認事例が報告されている。渡辺誠(1975)は用語の統一のため水場遺構を「アク抜きなどを主とする植物質食料の処理・加工の場であり、台所的な場所である」と再定義した。江原英(1996)は寺野東遺跡をもとに、水場遺構の形態を(1)木を組んで造っているものをA類、(2)谷への人為的な造作によるものをB類、(3)谷へかかる斜面を形成して谷の流水を利用するものをC類に分け、さらにA類を細分化して4分類とした。佐々木由香(2000)は堅果類の加工処理に限定されない多様な低地利用の存在を指摘し、単に堅果類の加工処理の場と理解されてきた「水場遺構」を「水場空間」・「水場施設」・「水場遺物」という3レベルに分類し、再定義した。

遺構

縄文

  • 土坑
  • 柱穴
  • 炉3
  • 集石1
  • 建物

遺物

旧石器時代

  • ナイフ形石器
  • スクレイパー
  • ナイフ形石器
  • 国府型ナイフ形石器
  • 槍先形尖頭器
  • 有茎尖頭器
  • 敲石
  • 礫器
  • 剥片
  • 石核
  • 細部調整のある剥片
  • 尖頭器状石器
  • 磨石
  • いも石

縄文時代

  • 縄文土器
    • 条痕文系土器
    • 安行式土器
    • 加曽利E式土器
    • 加曽利B式土器
    • 堀之内式土器
    • 称名寺式土器
    • 勝坂式土器

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :赤山陣屋跡遺跡
  • 所在地 :埼玉県川口市大字赤山字曲輪448
  • 交 通 :

参考文献

  1. 小林政史(2010)「赤山陣屋跡遺跡のナッツ類加工場から出土した縄文晩期深鍋の使い方」
  2. 佐々木由香(2000)「縄文時代の「水場遺構」に関する基礎的研究」『古代』108:pp.93-126
  3. 江原英(1996)「栃木県寺野東遺跡の遺構について『考古学ジャーナル』405、ニューサイエンス社、pp.11-22
  4. 宮内慶介、小林竜太(2021)「埼玉県川口市赤山陣屋跡遺跡の縄文時代後・晩期のトチの実加工場跡」の構造復元」明治大学黒耀石研究センター
  5. 渡辺誠(1975)『縄文時代の植物食』雄山閣

彦崎貝塚2025年12月22日 00:32

彦崎貝塚(ひこざきかいづか)は、岡山市にある縄文時代前期から晩期にかけての貝塚である。

概要

遺跡の三方は山に囲まれており、旧児島湾の南岸に所在する。旧児島湾岸は、西日本屈指の貝塚密集地域として著名である。縄文時代前期及び後期の標識となる「彦崎式土器」が出土している標識遺跡としても全国的に広く知られた遺跡である。標高約6mの小さな丘陵上にある。縄文前期後半の彦崎Zi式期に最大規模の貝塚を形成した。他の遺跡と比較できる精度の高い基礎データを得ている。

調査

1948年5月30日、31日に坂詰仲男、平田英文、仁部野藤樹による試掘が行われた。縄文時代前期の盤状集石が検出された。その成果を受け、第1回の発掘調査として、東京大学人類学教室の鈴木尚、坂詰仲男、中島寿雄、広島大学池田次郎、岡山清心学園平田英文らによる調査が行われた。縄文人骨8体、土器、石器、骨角器等を検出した。

岡山市教育委員会(旧灘崎町教育委員会)が平成15年から平成18年度に実施した史跡指定に向けた範囲確認調査では、南北100m、東西80mに及ぶ縄文時代前期の貝塚を検出した。 縄文時代前期から後期に渡る遺構、遺物が出土し、時期ごとの集落の変遷を確認できる資料を得られた。同一地点に重層的に形成された厚さ1.7mの貝層が確認された。25体の屈葬埋葬人骨、丘陵先端部の低湿地部でドングリ貯蔵穴が確認された。 大規模で遺存状態のよい遺跡として知られる。

放射性炭素年代測定

資料1(炭化物・材)と資料2(生試料・材)の年代測定を行った。資料1はBC18,900(95 .4 %)からBC18,250であった。最終氷期の最寒冷期(旧石器時代)である。資料2はBC1390(95 .4 %)BC1120であった。こちらは縄文時代後期後葉であろう。彦崎KⅡ式の出土層と同じなので、土器編年と一致する。

遺構

  • 土壙墓
  • 炉址
  • 貯蔵穴
  • 柱穴
  • 動物遺存体埋納遺

遺物

  • 縄文土器
  • 石器
  • 骨角器
  • 貝製品
  • 土製品
  • 動物遺存体

展示

考察

指定

  • 2008年3月28日  国史跡に指定

アクセス等 

  • 名称  :彦崎貝塚
  • 所在地 :岡山県岡山市灘崎町彦崎2994
  • 交 通 :JR彦崎駅から徒歩11分(800m)

参考文献

  1. 岡山市教育委員会文化財課(2007)『彦崎貝塚』岡山市教育委員会
  2. 岡山市教育委員会(2006)『彦崎貝塚 範囲確認調査報告書』

飛田給遺跡2025年12月21日 00:31

飛田給遺跡(とびたきゅういせき)は、東京都調布市にある旧石器時代、縄文時代、奈良時代、平安時代の複合遺跡である。

概要

府中崖線上の立川段丘面縁辺部に位置する。湧き水の得られる「はけ上」に遺跡が分布する。縄文時代の集落跡(集石土坑、埋甕、縄文土器など)や、中世・近世の墓域(地下式坑、集石土壙墓など)、武士の時代の遺構が見つかっている。特に縄文時代前半から終末の間に集落が営まれている。前半期の住居は遺跡の東側に多い。

土器埋設

飛田給遺跡では縄文時代の25軒の住居のうち8軒で土器の埋納が見られた。住宅内にあることから、屋内埋甕または住居内埋甕と呼ばれる。これらは竪穴住居の出入口に埋設されている。その目的は幼児埋葬施設説、胎盤埋納説などがあるが、定説はない。

敷石住居

飛田給遺跡では3軒の敷石住居が発見されている。うち2軒は近接しており、ともに柄鏡状に河原石が散乱していた。それぞれの突出部に埋甕が設置されていた。主体部と突出部の境に石皿が立てられていた。

調査

遺構

旧石器時代

  • 尖頭器
  • 掻器

縄文時代

  • 縄文土器
  • 土偶
  • 耳飾り
  • 垂飾
  • 土坑2
  • 竪穴建物14
  • 竪穴2
  • 集石36
  • 配石3
  • 埋甕4
  • 土坑5
  • 集石土坑1
  • 配石1

遺物

旧石器

  • 石鏃
  • 土器
  • 石器
  • 打製石斧
  • 土製品

縄文時代

  • 縄文土器
  • 土偶
  • 土製円盤
  • 耳栓

展示

  • 調布市郷土博物館

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :飛田給遺跡
  • 所在地 :東京都調布市飛田給2-32-11
  • 交 通 :京王線「飛田給駅」から徒歩5分

参考文献

  1. 調布市遺跡調査会(1999)『調布市埋蔵文化財調査報告38:東京都調布市飛田給遺跡・飛田給北遺跡』調布市教育委員会
  2. 調布市市史編集委員会(1990)『調布市史 上』調布市

四軒在家遺跡2025年12月15日 00:12

四軒在家遺跡(しけんざけいせき)は、東京都国分寺市にある縄文時代から古墳時代の遺跡である。

概要

多摩川左岸の台地上に立地する。2001年(平成13)年7月から2002年3月にかけて行われた区画整理事業に先立つ四軒在家遺跡の第2次発掘調査により、10基の古墳が検出された。比較的残りのよい「四軒在家1号墳」は外周径20m~21mの円墳で、四軒在家公園(国立市矢川3-10-1)に移築保存されている。

調査

1997(平成9年)の四軒在家土地区画整理事業のため試掘調査したところ、西側から縄文時代の遺物と古墳時代後期の古墳が9基検出された。2001年(平成13)年7月から2002年3月にかけて発掘調査を行い、調査区南西端でさらに1基の古墳を検出した。縄文時代の遺構は竪穴状遺構1棟、集石遺構2基が確認された。五領ヶ台式土器、新道式併行期の土器が多量に出土した。古墳の周溝覆土から小型の有舌尖頭器が出土した。古墳はいずれも6世紀から7世紀の築造と見られる。1号墳石室は長さ3.7m幅1.4m、周溝は外径19m、内径17mである。、2号墳石室は長さ5.6m幅1.25m、周溝は外径19m、内径16mである。3号墳石室は長さ4.8m幅1.25m、周溝は外径18m、内径17mである。4号墳石室は長さ4.8m幅1.50m、周溝は外径21m、内径18mである。5号墳石室は長さ4.8m幅2.40m、周溝は外径23m、内径17mである。石室を検出できたのは5号墳までである。古墳は調査後に削平された。出土した直刀、鉄鏃等の武器や、玉類耳環、切子玉、棗玉、管玉、勾玉の装飾品はくにたち郷土文化館に保存展示される。

遺構

  • 集落
  • 敷石住居
  • 土坑
  • 包含層
  • 住居1
  • 埋設土器2
  • 集石4
  • 土坑2
  • ピット1

遺物

旧石器

  • ナイフ形石器
  • 有茎尖頭器

縄文時代

  • 縄文土器(勝坂式土器)
  • 縄文土器(加曽利E式)
  • 勝坂式土器
  • 阿玉台式土器
  • 称名寺式土器
  • 敲石
  • 石皿
  • 剥片
  • 打製石斧
  • 石鏃
  • スタンプ形石器
  • 打製石斧
  • 磨石
  • 石錘

古墳時代

  • 土師器
  • 須恵器
  • 直刀
  • 刀装具
  • 刀子
  • 鉄鏃
  • 両頭金具
  • 鉄製品
  • 耳環
  • 切子玉
  • 棗玉
  • 管玉
  • 勾玉
  • 丸玉
  • 小玉

展示

  • くにたち郷土文化館

考察

指定

  • 平成21年4月1日 国立市指定有形文化財・考古資料 830点

アクセス等 

  • 名称  :四軒在家遺跡
  • 所在地 :東京都国立市谷保6231
  • 交 通 :南武線「矢川駅」から徒歩12分(850m)

参考文献

  1. 国立市遺跡調査会(2000)『国立市文化財調査報告44:東京都国立市四軒在家遺跡』国立市教育委員会
  2. 東京都教育委員会(2002)「東京都遺跡調査研究発表会27発表要旨」平成14年2月3日

入間町城山遺跡2025年11月25日 00:31

入間町城山遺跡(いりまちょうしろやまいせき)は、東京都調布市にある縄文時代、古墳時代、鎌倉時代の複合遺跡である。

概要

調布市の南東部、武蔵野台地の縁辺部で先端の舌状台地の上にある遺跡である。遺跡の海抜は50m前後で、崖下との比高差は15mである。遺跡範囲は東西約400メートル、南北約650メートルである。旧石器時代の石器集中、礫群、縄文時代中期の竪穴住居跡は32軒、弥生時代中期から古墳時代前期の竪穴住居跡は83軒、古墳時代後期から奈良時代の竪穴住居跡は150軒以上、掘立柱建物跡は30棟が出土した。

土器群は縄文時代中期中葉の勝坂2式・3式土器、阿玉台式土器や、勝坂式と阿玉台式との折衷土器が出土した。古墳時代中期の集落はすべて飛鳥時代のもので、7世紀初頭に集落が形成され、7世紀中頃に最盛期があり、奈良時代に入る前に廃絶した。行政単位の編成にともない、集落全体で移動したことがうかがえる。

調査

遺構

  • 竪穴建物2
  • 土坑
  • 落とし穴
  • 集石9
  • 炉穴2
  • ピット24
  • 石器集中
  • 礫群

遺物

旧石器

  • ナイフ形石器
  • 剥片
  • 槍先形尖頭器
  • スクレイパー
  • 抉入石器
  • 細部調整のある剥片
  • 使用痕のある剥片
  • 石核

縄文時代

  • 縄文土器
  • 石器

展示

考察

指定

  • 令和3年3月31日 調布市指定有形文化財

アクセス等 

  • 名称  :入間町城山遺跡
  • 所在地 :東京都調布市入間町2-28-21
  • 交 通 :仙川駅から徒歩26分(1.9km)

参考文献

根津山遺跡2025年11月24日 00:47

根津山遺跡(ねづやまいせき)は、東京都世田谷区にある縄文時代の遺跡である。

概要

根津山遺跡は約1万数千年前の縄文時代草創期の土器が出土した遺跡である。 公園になる前は、大正時代末期から実業家の根津嘉一郎の所有地であったことから「根津山」と呼ばれた雑木林である。1956年に都立公園として開園し、「羽根木」という当時の地名にちなんで「羽根木公園」と名が付いた。1965年に世田谷区に移管された。古代は「羽根木公園」の中心部に野鍛冶(鍛冶職人)の「六郎次」が住んでいたと伝えられるため「六郎次山」とも言われる。 根津山遺跡は羽根木公園の隣接地の崖下の民家にある。南北100m、東西50mの範囲と見られる。約1万数千年前の縄文時代草創期前半の遺物である。世田谷区内で出土した縄文時代草創期の土器は、根津山遺跡から出土した5点のみである。

調査

1952年、直良信夫、江坂輝弥、佐藤敏也らが根津山遺跡で宅地造成の切り崩し造成中に礫群、尖頭器、礫器、削片石器を発見した。1978年2月20日から28日の緊急調査で民家に隣接する延長64mの崖面の擁壁工事に際し、立会調査を行った。幅3mの取付道の断面を削ったところ、北側の面に炉穴(1から5号炉穴)があり、磨石、土器片が採取された。南側断面から土坑が検出された。

1号炉穴

全体の1/2が残存しており、径80cm以上、深さ40cmである。覆土中から縄文時代草創期から使用され始めた有茎尖頭器が出土し、焼土上面から条痕文土器と打製石斧が出土した。

2号炉穴

径60cm、深さ23cmである。覆土中から礫器1点が出土した。

3号炉穴

40cm×30cmの不整円形である。遺物は無かった。4号炉穴、5号炉穴とも遺物は無い。

1号土坑

ナイフ形石器1点が出土した。

隆線文土器

1号炉穴東側Ⅲ層から出土した土器破片5点である。幅4mm前後の丸いヘラ状の工具を押し引きし、高さ1mm、幅2mmの隆線を3条以上つける。器厚は3mmから5mmである。色は赤褐色または淡褐色である。 隆線文土器は関東地方では大宮遺跡(杉並区)前原遺跡(小金井市)、西之台B遺跡(小金井市)、ナスナ原遺跡(町田市)、多摩ニュータウンNo426遺跡(八王子市)、橋立岩陰遺跡(秩父市)、小岩井渡場遺跡(飯能市)、ハケ上B遺跡(富士市)、瀬戸遺跡(千葉)、花見山遺跡(横浜市)、西鹿田遺跡(群馬県)、大谷寺洞窟(栃木県)などがある。どこでも出土するものではないので、貴重である。

条痕文土器

縄文早期の土器破片42点が出土した。色は淡褐色、橙褐色で、少量の繊維を含む。報告者は野島式土器とみた。

遺構

縄文

  • 炉穴
  • 土坑

遺物

旧石器時代

  • ナイフ形石器
  • 槍先形尖頭器
  • 剥片
  • 角錐状石器
  • 礫器

縄文時代

  • 隆線文土器 - 縄文土器
  • 条痕文土器

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :根津山遺跡
  • 所在地 :東京都世田谷区代田4-38
  • 交 通 :小田急線梅ヶ丘駅から徒歩6分

参考文献

  1. 世田谷区遺跡調査会(1980)『根津山遺跡・狐塚古墳ほか』世田谷区遺跡調査報告1
  2. 根津山・六郎次山遺跡調査会(1986)『根津山遺跡群』
  3. 白石浩之(1976)「先土器終末から縄文草創期前半の尖頭器について」『考古学ジャーナル』26