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大清水上遺跡2025年05月13日 00:22

大清水上遺跡(おおすずかみいせき)は岩手県奥州市にある縄文時代前期後葉の集落遺跡である。

概要

遺跡のある胆沢町は岩手県の南西部に位置する。大清水上遺跡はJR東北本線水沢駅から西へ約20km、岩手県奥州市の胆沢扇状地と呼ばれる扇状地性地形のほぼ扇頂部に位置する。 縄文時代前期後の環状集落である。

調査

2000年から2006年にかけて岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが発掘調査したところ、完全な形の環状集落がみつかった。遺構は直径20mの広場を中心として大型住居が放射状に配置されていた。合計72棟の住居がみつかった。多くの土器石器のほか、イチジク型土製品、燕尾形石製品など珍しい遺物が出土した。土器のほとんどは大木5式土器であった。大木4式、大木6式も見られる。

住居跡

大型住居跡から炉跡が1棟から数カ所が見つかった。炉はすべて地床炉である。床面から壁に向かってスロープや階段が作られた。部分的に壁が外側に張り出している。ほとんどの住居は建て替えられている。大型住居の面積最大の物は101号住居の長径16.6m、短径7.7mである。

遺構

  • 住居74
  • 土坑203
  • 落とし穴99
  • 埋設土器7
  • 焼土14
  • 石器集中部1
  • 捨て場2
  • 竪穴建物
  • ピット15
  • +集石1
  • 焼土3

遺物

  • 縄文土器(大木4式+大木5式+大木6式(中期前葉か晩期))
  • 土製品(イチジク形土製品1+土玉148+土偶8+耳栓5)
  • 石器
    • 打製石斧
    • 磨製石斧
    • 剥片
  • 石製品
    • 燕尾形石製品2
    • 石剣29
  • ケツ状耳飾11
    • 有孔石製品

考察

展示

指定

所在地等

  • 名称: 大清水上遺跡
  • 所在地:岩手県奥州市胆沢区若柳横沢原原
  • 交通:

参考文献

  1. (財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター(2006)「大清水上遺跡発掘調査報告書」岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第475集

清武上猪ノ原遺跡2025年05月12日 07:53

清武上猪ノ原遺跡(きよたけかみいのはるいせき)は宮崎県宮崎市清武町にある縄文時代の遺跡である。

概要

清武町は、県内最大の宮崎平野の南端に位置する。清武上猪ノ原遺跡は宮崎県清武町船引の標高62mから63mのシラス台地上に位置する最大規模の縄文時代草創期の集落遺跡である。地質は宮崎平野の基盤である宮崎層群の上位にシラスや火山灰が堆積したものである。 大量の遺物があること、重量のある磨石や石皿が出土していることから、清武上猪ノ原遺跡では縄文時代草創期に定住生活が行われていたことと推測される。「定住生活」を始めた頃の人々の生活を復元していく上で非常に重要な遺跡であり、全国的にも類例の少ない歴史的遺産とされている。

調査

縄文時代草創期では国内最多の竪穴住居14棟、集積遺構56基、土坑19基などが出土した。縄文時代草創期と判定された理由は、(1)貝殻押圧文土器や隆帯文土器が出土したこと、(2)一部の住居の土から桜島薩摩火山灰(約11000年前の桜島の噴火、桜島北岳)が含まれていたこと、(3)住居から見つかった炭化物を放射性炭素年代測定したところ約1万1700円前とされたこと、などである。縄文時代早期の遺物包含層中から1624点の石器が出土した。石鏃、尖頭状石器、石錘、スクレイパー、剥片、砕片、石核、石斧などである。平面形が楕円形で、床面に逆茂木の痕跡と考えられる小穴が検出された土坑を陥し穴状遺構と判定した。竪穴住居跡の平面形は不整楕円形・不整円形・不整方形などである。炉跡が検出された住居跡は5棟あり、そのうちの1棟は石組炉であった。すべての住居跡が同時期に存在していたわけではないことは、住居跡から出土した炭化物を放射性炭素年代測定法で測定すると、11720±40BP~11380±60BPと年代幅のある測定値が得られたことから言える。

矢柄研磨器

矢柄研磨器は弓矢の柄を製作する道具であるが、今まで東日本で広く分布するが九州では珍しい。岡谷丸山遺跡(長野県岡谷市中央町)、相谷熊原遺跡(滋賀県東近江市)で出土しており、縄文時代草創期に突如現れて消えたと考えられている不思議な石器である。

遺構

  • 集石59
  • 連穴土坑9
  • 落とし穴7
  • 落とし穴
  • 焼礫

遺物

  • 貝殻押圧文土器
  • 隆帯文土器
  • 知覧式土器
  • 塞ノ神式土器
  • 岩本式土器
  • 前平式土器
  • 押型文土器
  • 平栫式土器
  • 石鏃
  • 石錐
  • 削器
  • 石斧
  • 敲石
  • 磨石
  • 剥片
  • 石核
  • 輪状耳栓
  • 石鏃
  • 尖頭器
  • 石斧
  • 石皿
  • 異形石器
  • 土製耳飾

考察

展示

  • 清武埋蔵文化財センター

指定

所在地等

  • 名称: 清武上猪ノ原遺跡
  • 所在地:宮崎県宮崎市清武町船引上猪ノ原
  • 交通:

参考文献

  1. 清武町教育委員会(2008)「清武上猪ノ原遺3」県営農地保全整備事業船引工区にかかる埋蔵文化財調査報告書
  2. 清武町教育委員会(2008)「清武上猪ノ原遺 第5地区」清武町文化財調査報告書第27集

南方前池遺跡2025年05月02日 00:22

南方前池遺跡(みなみがたまえいけいせき)は鹿児島県指宿市にある縄文時代から弥生時代にかけての複合遺跡である。

概要

縄文晩期にトチ、ドングリなどの食糧を貯蔵していた穴が残されていた。当時の生活を知る貴重な遺跡である。近藤義郎、潮見浩他(1957)は、発見された10の穴倉から推定された木の実の量は殻付きで約30石から40石で、粉末にすると10石ほどになり、一定期間当時の人々の食料をまかなえるとした。

調査

調査では遺跡の下層で、縄文時代晩期の貯蔵穴10基が発見された。貯蔵穴は直径約1メートルの円形で、深さ70~130センチメートル。池底で霍乱状態にあった弥生包含層の下方に縄文時代晩期の包含層が、広がっていた。トレンチの断面に木の実を収めた穴倉が発見された。発掘当初は南北約10m、東西約6mの範囲に10穴が見られた。貯蔵された木の実はイチイガシが多い(近藤義郎(1995))。 穴の上部は植物を用いて覆い、粘土で密封した状態が見られた。穴の下側には、イチイガシやトチのドングリが大量に収められていたが、湧き水が潤していたので残りのよい状態で検出された。縄文時代の食物貯蔵の方法が明らかになった。

洗い場

遺跡の上方約十数メートルに泉があり、カシの実やトチの実などのタンニン、サポニンなどのアク(苦み、渋み)を除去する場だったとみられる。遺跡からはアク抜きが必要の無い、栗、クルミ、シイの木は出土していない。

遺構

  • 貯蔵穴8

遺物

  • 植物遺存体(木実+蔓+アンペラよう編物+木材)
  • 木製品
  • 縄文土器
  • 弥生土器
  • 土師器
  • 石器

考察

展示

  • 赤磐市山陽郷土資料館

指定

  • 昭和32年5月13日 岡山県指定史跡

所在地等

  • 名称: 南方前池遺跡
  • 所在地:岡山県赤磐市南方
  • 交通: JR瀬戸駅から約5km/R瀬戸駅からネオポリス東6行きバス約5分「舟廻」下車、徒歩約15分

参考文献

  1. 近藤義郎(1995)『南方前池遺跡』山陽町教育委員会
  2. 近藤義郎、潮見浩他(1957)「縄文晩期における植物質食料の貯蔵」日本考古学協会第19回研究発表要旨

南摺ヶ浜遺跡2025年04月24日 00:40

南摺ヶ浜遺跡(みなみすりがはまいせき)は鹿児島県指宿市にある縄文時代晩期から古墳時代にかけての複合遺跡である。

概要

層位は17層まである。9層a、9層bが、古墳時代の文化層である。 縄文時代晩期では上加世田式土器・入佐式土器などの土器、打製石鏃、打製石斧などの石器が出土している。弥生時代後期から古墳時代にかけて、壺棺墓16基,甕棺墓1基,円形周溝墓12基,土坑墓72基,立石(板石)25基が検出された、弥生時代の後半から古墳時代にかけての大規模な墓地である。甕棺は一般の土器より丁寧な作りであることから、葬送用に特別に作られたものと見られる。死者への意識がみえる。宇宿上層式土器と呼ばれる土器片が出土する。奄美大島の宇宿貝塚で初めて見つかった土器である。縄文時代の後期の土器である。北はトカラ列島の中之島付近、南は沖縄本島まで分布する南方系土器である。指宿と南西諸島とのつながりを証明する。

人骨

2007年度の発掘調査で南摺ヶ浜遺跡の壺棺墓から3体、円形周溝墓から1体、土坑墓から1体の合計5体の人骨が出土した。出土人骨の所見から、1号壺棺墓に埋葬されたのは新生 児期から幼児期の間の年齢の子供と考えられている。1号壺棺墓の壺は、脚部が折れた高坏形土器を蓋とする。43号土坑墓には、出土人骨の所見から、壮年から熟年期の人物が埋葬されていた。壺棺墓には幼児期までの人物が、円形周溝墓や土坑墓には成人期の人物が埋葬されていた(竹中正巳・下野真理子(2014))。

調査

遺構

  • 壺棺墓
  • 甕棺墓
  • 立石(板石)
  • 円形周溝墓
  • 土坑墓

遺物

  • 上加世田式土器
  • 入佐式土器
  • 刻目突帯文土器
  • 打製石鏃
  • 楔形石器
  • 石錐
  • 石匙
  • 削器
  • 磨製石斧
  • 打製石斧
  • 石皿
  • 磨石
  • 敲石
  • 石錘
  • 異形石器
  • 突帯文土器
  • 入来式土器
  • 磨製石鏃
  • 中津野式土器
  • 東原式土器
  • 笹貫式土器
  • 丹塗研磨土器
  • 二重口縁壺
  • 須恵器
  • 磨製石鏃
  • 砥石鉄鏃
  • 鉄剣
  • 鉄刀
  • 人骨

考察

展示

指定

所在地等

  • 名称: 南摺ヶ浜遺跡
  • 所在地:鹿児島県指宿市十二町字黒ヶ岡
  • 交通:

参考文献

  1. 鹿児島県埋蔵文化財センター(2009)「南摺ヶ浜遺跡」
  2. 竹中正巳・下野真理子(2014)「鹿児島県指宿市南摺ヶ浜遺跡から出土した古墳時代人骨」南九州地域科学研究所所報第30号、pp.13~16

今宿五郎江遺跡2025年04月22日 00:19

今宿五郎江遺跡(いまじゅくごろうえいせき)は弥生時代の環濠集落遺跡である。

概要

今宿五郎江遺跡福岡市西部の今宿平野に位置する。糸島平野東部の海岸部にあたり、東を叶岳・長垂山、西を高祖山の山塊に固まれた狭小な小平野である。標高416mの高祖山から北へ延びる丘陵の末端部に立地する。弥生時代中期から後期の集落遺跡である。環濠は弥生時代初め頃に掘削されたとみられる。南北280m、東西200mの範囲の環濠である。環濠の東側で1ヶ所陸橋が確認され、集落の入口と見られる。環濠から土器・木製品が多量に出土した。環濠は弥生時代後期には埋まった。環濠に水が流れた痕があり、水を流す機能があったと考えられる。西側の調査では環濠に連結する井泉が検出された。井泉の水は環濠から下流に流れ込む構造となっていた。 遺物には瀬戸内海地域からや畿内系土器、四国系土器のほか、楽浪郡で作られた土器、銅製品、鉄製品が混じる。中国の銭貨(貨泉)5点、鉄製の斧や鎌など金属製品も発見される。

調査

今宿小学校の老朽化した木造校舎の改築工事で昭和59年7月3日に当該地の試掘調査を実施した。埋土下から弥生時代後期の遺物包含層が検出され、その下層より土壙、円形ピットなどが検出された。Ⅰ層は弥生時代後期から古墳時代中期の遺物層で、約50個の土器片が出土した。二重口緑をもつ壷型土器が見られる。Ⅱ層壷型土器、甕形土器、鉢形土器、脚付き甕、高杯、器台、手軽土器が出土した。龍が1点出土している。編み方は鹿部と休部で異なる。鹿部は経条、緯条ともに0.4cm程の材を用い、2本を1単位とし、4本超え、4本潜り、2本送りに編み込む。

遺構

  • ピット
  • 環濠
  • 土坑
  • 杭列
  • 井戸3
  • 土壙墓1

遺物

  • 器台
  • 石錘
  • 石製紡錘車
  • 鉄製品
  • 弥生土器
  • 木製農具
  • 木製工具
  • 木製容器
  • 鉄斧
  • 銅鏃
  • 銅製鋤先
  • ミニチュア土器
  • 手捏土器
  • 木器
  • 金属製品(鉄斧+銅鏃)
  • 土製品
  • 石器
  • 石製品
  • 玉類
  • 鉄鎌
  • 蛤刃石斧
  • 滑石製石錘
  • 土師器
  • 青磁
  • 土師器皿
  • 畿内系土器
  • 四国系土器
  • 瀬戸内系土器
  • 東海系土器
  • 半島系土器
  • 木製品(短甲漆塗り筒型容器
  • 容器
  • 農具
  • 工具柄
  • 紡錘車
  • 杓子
  • 木鏃
  • 建築材
  • 盾など
  • 堰製品(錘石包丁)
  • 鉄鎌

考察

展示

指定

所在地等

  • 名称: 今宿五郎江遺跡
  • 所在地:福岡県福岡市西区今宿五郎江
  • 交通:

参考文献

  1. 福岡市教育委員会(1986)「今宿五郎江遺跡Ⅰ」福岡市埋蔵文化財調査報告書第132集
  2. 福岡市教育委員会(1991)「今宿五郎江遺跡Ⅱ」福岡市埋蔵文化財調査報告書第238集

西ヶ原貝塚2025年04月20日 00:13

西ヶ原貝塚(にしがはらかいづか)は東京都北区にある縄文時代の貝塚である。

概要

貝層東側の貝層は住居跡内等に形成された後期の中・小規模の貝層のみで、大規模な面貝層が形成された西側とは対照的な様相を呈している。弥生時代の遺構はすべて後期で、周溝墓群を挟むように同期の住居跡が分布する。現在の飛鳥中学校付近に西ヶ原貝塚があったという説明板が立っている。貝塚は昌林寺、北区立飛鳥中学校校庭、東側一帯に広がる。

調査

1951年の酒詰仲男の表面調査により馬蹄形分布の大規模な遺跡であることが判明した。 その後の2007年、2008年、北区教育委員会の調査で遺物は縄文時代早期から晩期、住居は中期・後期・晩期、墓は後期のものを発見した。遺構は住居、貯蔵穴、貝塚、墓がみつかっている。住居は34軒以上がみつかったが、同時に存在したのは数軒程度とみられる。 貝塚は中期から晩期に形成され、範囲は140m×180mであることが判明している。 出土した骨角器は鹿の骨から取ったもので3800年前から3400年前の遺物である。サイズは長さ11.5cm、幅5.5cmとなる。墓壙に埋葬された保存状態の非常に良好な成人人骨3体、土器に埋葬された胎児骨1体が出土した。

遺構

  • 住居跡31
  • 竪穴状遺構4
  • 埋設土器6
  • 焼土跡36
  • 土坑127
  • ピット2262
  • 貝層49

遺物

  • 土器(早期前半・前期・中期後半・後期・晩期前半)
  • 石器(磨製石斧・打製石斧・石鏃)
  • 土製品(土偶・耳飾)
  • 骨角製品(鏃・銛・腰飾)
  • 貝製品(垂飾・貝輪)
  • 獣骨
  • 魚骨
  • 貝類
  • 人骨

考察

2007年の発掘調査で、縄文時代後期初頭の称名寺式の土器に収められた胎児骨を発見した。米田教授によれば、胎児骨の放射性炭素年代をそのまま較正すると4568~4440年前となる。土器編年では、骨が納められていた称名寺式よりもひとつ古い、縄文時代中期加曾利E4式期(4520~4420年前)に相当する年代である。しかし骨のタンパク質で炭素と窒素の安定同位体比(δ13Cとδ15N)を測定したところ。胎児骨では母親が摂取した魚貝類を通じて海洋リザーバの炭素が約34%含まれていると推定された。3割が海洋由来の炭素なので、胎児骨の年代は海産物のせいで150年ほど古くなった。再計算すると、4412~4296年前という年代になり、称名寺式土器の年代と一致する。 海辺の遺物や遺骨を年代測定するときは海洋リザーバ効果に注意する必要がある。

展示

指定

所在地等

  • 名称: 西ヶ原貝塚
  • 所在地:東京都北区西ケ原3-5-7/12 飛鳥中学校内
  • 交通:

参考文献

  1. 北区教育委員会(2004)『北区埋蔵文化財調査報告34:西ヶ原貝塚』北区教育委員会
  2. Yoshida, K. et al. (2010) Pre-bomb marine reservoir ages in the Western Pacific. Radiocarbon 52:pp.1197-1206.

池内遺跡2025年04月19日 00:32

池内遺跡(いけないいせき)は秋田県大館市にある縄文時代の遺跡である。

概要

大館市の中心部からやや南で、JR花輪線東大館駅の南東1.6kmにあり、西に流れる米代川の右岸に形成された河岸段丘上とその斜面に立地する。池内遺跡が立地する台地は、最大150m、最小40m、平均120m の間隔をもち、北東から南西に200m の長さで張り出している。 池内遺跡は縄文時代前期の集落跡で、居住域、貯蔵域、墓域、捨て場が確認されている。

調査

池内遺跡の発掘調査は、平成4年度から平成7年度まで4カ年にわたり実施されている。平成4年度では平成4年5月11 日から開始し、土坑60 、柱穴様ピット多数を検出した。フラスコ状土坑から円筒下層式土器のほか、大木式土器を検出した。遺構では円形土坑プラン23 と柱穴プラン多数を検出した。北東側の杉林地区でも方形の竪穴住居跡プラン4と円形土坑プラン1を検出した。 遺構プランは、竪穴住居跡プラン32(うち方形プラン9 )、円形土坑プラン72 、性格不明プラン2の計106 遺構と柱穴様ピット多数を検出した。

平成5年度では平成5年4月19 日から発掘調査を再開した。竪穴住居跡プラン2 (S 1 307、S1 308) 、円形土坑プラン数基を検出した。縄文時代の竪穴住居跡3軒、土坑4基、T-pit 3基、現代の竪穴状土坑(室) 1基、柱穴様ピット多数などを、またC-2区では竪穴住居跡3軒、フラスコ状土坑4を検出した。

平成6年度は平成6年5月16日から調査し、縄文時代の遺物を多量に確認した。土坑7基、フラスコ状土坑3墓、フラスコ状土坑1基(S K F 507) の底面から縄文時代後期の壷形土器がl個体出土した。円形あるいは楕円形の竪穴住居跡プラン7、土坑プラン6を検出した。埋土中から下半を欠損する岩偶がl点出土した。フラスコ状土坑では、円筒下層式の深鉢形土器と大木式の深鉢形土器が共伴出土した。ニワトコなど多量の植物穂子とクルミの核、クリなどの堅果類、獣骨が出土した。

平成7年度は平成7年4月20 日から調査開始し、彫刻されたクルミ、漆を塗った木片、植物遺存体、クルミ、クリ、トチノキ、桜皮、木片、多量の種子、獣骨、魚骨、を検出した。ニワトコの純層(厚さ2cm) 数カ所、ドーナツ状の木製品(直径10cm) 1点、切断された木材、自然木、加工材、樹皮、クルミ、クリ、植物種子、獣骨、魚骨、貝などが出土した。 横倒しになっていた大木の下から破断面が新しい漆塗り木製品の破片が出土した。ニワトコ集中土壌から琉泊の玉を1偶発見した。

4年間で検出した縄文時代の遺構は、竪穴住居跡79 軒、土壌墓45 基、フラスコ状土坑171 基、土坑177 基、掘立柱建物跡63 棟、T -P i t 22 茶、土器埋設遺構9基、捨て場5カ所の、計566 遺構と捨て場5カ所であった。彫刻されたクルミは本邦初である。高台付漆塗りは県内初例である。

遺構

  • 竪穴建物
  • 土壙墓
  • フラスコ状土坑
  • 土坑
  • 掘立柱建物
  • Tピット
  • 埋設土器
  • 捨て場

遺物

  • 深鉢土器
  • 壺形土器
  • 石器
  • 石製品
  • 木製品
  • 彫刻されたクルミ
  • 建物構造材
  • 植物遺存体(種子堅果樹皮)
  • 動物遺存体(魚骨、獣骨、貝、昆虫)

考察

展示

指定

所在地等

  • 名称: 大津保畑遺跡
  • 所在地:秋田県大館市池内字上野56から110
  • 交通:

参考文献

  1. 秋田県埋蔵文化財センター(1997)『秋田県文化財調査報告書268:池内遺跡』秋田県教育委員会