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瓊瓊杵尊2025年09月30日 18:19

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は日本書紀、古事記に登場する降臨神話の神である。 日本書紀では天津彦彦火瓊瓊杵尊、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊、天津彦根火瓊瓊杵尊と書かれる。古事記では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命、天津日子番能邇邇藝命である。

概要

天照大神の孫で、天忍穂耳尊の子である。皇孫、天孫ともいう。天照大神の命を受け、高天原から日向の高千穂の峰に真床覆衾にくるまれて地上に天下った。このとき瓊瓊杵尊は天照大神から八咫鏡・草薙剣・八坂瓊勾玉を賜った。これが三種の神器のはじまりである。瓊瓊杵尊は国津神の有力神である猿田彦神に導かれ、九州日向の高千穂の峰に降臨する。これを「天孫降臨」という。高天原から地上(葦原中国)に降り立ち、瓊瓊杵尊は稲の籾を授かり、地上に広めたという伝説は農業(水田稲作)の開始神話と言われる。 木花開耶姫(このはなさくやひめ、国津神)の美しさに一目惚れした瓊瓊杵尊は求婚したが「私は答えられない。父の大山津御神が答えるでしょう」というので、瓊瓊杵尊は大山津御神に結婚を申し出たところ、大山津御神は喜んで木花開耶姫の姉の石長媛をつけて多くの品物をつけて送り出した。しかし、石長媛は醜くかったので、瓊瓊杵尊は石長媛を帰してしまった。大山津御神は「子孫が花のように栄え、その命が岩のように永らえるようにと、姉妹そろって差し上げたのに」と嘆いた。「あなたの子孫の命は木の花のようにはかないものとなるでしょう」と予言する。木花開耶姫が一夜で子をはらんだことをあやしんで瓊瓊杵尊は「自分の子ではない」といったため、姫は怒って産屋に火を放ち、「腹の子がまことにあなたの子ならば、この火の中からでも生まれてまいりましょう」と宣言し、火照命(海幸彦)、火須勢理命,火遠理命(山幸彦)の3神を無事に産んだ。木花開耶姫は火の中でも無事に出産したので、安産の神とされる。 また「ニニギ」は稲穂がにぎにぎしく成熟することから、豊穣の神とされる。まもなく予言通り瓊瓊杵尊は亡くなる。

考察

木花開耶姫は日本神話で最も美しいとされる美しい神とされ、瓊瓊杵尊が降臨するより前から日本列島に住んでいたことになる。つまり縄文系の美人だったのであろう。梅原猛は「渡来人の王である瓊々杵尊と、土着の王の娘・木花咲耶姫との結婚」とする。瓊瓊杵尊が農業をもたらしたことは、朝鮮半島から水田稲作の技術が伝わったことを象徴的に表しているのであろう。神話によれば、大王の祖先は渡来系と在来系(縄文系)との混血だったことになりそうだ。実際にDNA分析によれば、弥生時代や古墳時代に混血が見られる。

参考文献

  1. 『日本書紀』岩波書店
  2. 梅原猛(2000)『天皇家のふるさと日向をゆく』新潮社

上田正昭2025年09月07日 00:32

上田正昭(うえだまさあき、1927年4月29日 - 2016年3月13日)は日本の歴史学者である。専攻は日本古代史。勲二等瑞宝章。

概要

1927年4月29日、兵庫県生まれ。1950年、京都大学文学部史学科卒業。1962年、京都大学大学院文学研究科。京都大学教授。大阪女子大学学長、島根県立古代出雲歴史博物館名誉館長、世界人権問題研究センター理事長を歴任する。 学生時代に折口信夫や三品彰英に師事し、日本の古代文化の研究に従事する。 東アジア全体を視野に入れた古代史研究で知られている。日本古代の歴史と文化を幅広い視野で多面的に研究し、また、アジアの中の日本という新たな歴史像を構築したとされる。 日本古代史を東アジアの歴史のと連動させて解明した。百済・加耶系の漢人、新羅系の秦人、高句麗系の高麗人の役割、「帰化」と「渡来」の語を明確に区分した。徹底した文献史料批判に基づく実証主義を基盤とする。国文学・神話学・民俗学・宗教史学・考古学など、多方面にわたる深奥な学識を駆使して、古代日本を解明した。 東アジア古代史に関する国内外での国際学術シンポジウムに、たびたび出席し、国際交流を図った。 京都帝国大学文学部史学科の卒業論文は「日本古代史に於ける氏族系譜の成立に就いて」。

経歴

  • 1927年、兵庫県生まれ。
  • 1944年(昭和19年)4月、國學院大學専門部で折口信夫らに師事。
  • 1947年、京都帝国大学文学部史学科入学。西田直二郎、三品彰英氏に師事。
  • 1950年、京都大学文学部史学科卒業。
  • 1963年10月、京都大学教養部助教授
  • 1970年 『日本神話』で毎日出版文化賞
  • 1971年3月、京都大学教養部教授
  • 1983年4月、京都大学埋蔵文化財研究センター長
  • 1991年 大阪女子大学学長、
  • 1997年、大阪府立中央図書館名誉館長
  • 2007年、島根県立古代出雲歴史博物館名誉館長
  • 2016年3月13日、没。

授賞

  • 2000年 南方熊楠賞
  • 1998年 福岡アジア文化賞
  • 1997年 大阪文化賞 1-992年 江馬賞
  • 1970年 毎日出版文化賞

著書

  • 上田正昭(1970)『日本神話』岩波書店
  • 上田正昭(1986)『藤原不比等』朝日新聞社
  • 上田正昭(1993)『日本古代国家成立史の研究』青木書店
  • 上田正昭(1995)『大和朝廷』講談社
  • 上田正昭(2012)『私の日本古代史上下』新潮社
  • 上田正昭(2013)『渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か』角川学芸出版
  • 上田正昭(2014)『日本古代史をいかに学ぶか』新潮社
  • 『上田正昭著作集 全八巻』角川書店、
    • 上田正昭著作集1  古代国家論
    • 上田正昭著作集2  古代国家と東アジア
    • 上田正昭著作集3 古代国家と宗教
    • 上田正昭著作集4 日本神話論
    • 上田正昭著作集5 東アジアと海上の道
    • 上田正昭著作集6 人権文化の創造
    • 上田正昭著作集7 歴史と人物
    • 上田正昭著作集8 古代学の展開

参考文献

  1. 上田正昭(2011)『アジアのなかの日本再発見』ミネルヴァ書房

小林達雄2025年09月04日 00:13

小林達雄(こばやし たつお、1937年11月2日 - 2025年8月22日)は日本の考古学者である。國學院大学文学部名誉教授で、新潟県立歴史博物館名誉館長。 博士(歴史学)(國學院大學)。

概要

1937年、新潟県長岡市で生まれる。1961年3月、國學院大學文学部史学科を卒業する。 1966年、國學院大学大学院文学研究科考古学専攻、博士課程を満期退学する。 東京都教育庁文化課に入り、その後、文化庁文化財調査官に転任する。 1978年に調査官を退任し、國學院大學文学部助教授に就任する。1985年に國學院大學文学部教授に昇格する。1994年3月2日、学位論文『縄文土器の研究』で博士(歴史学)を取得する。1998年4月、新潟県企画調整部参与となる。2000年8月 新潟県立歴史博物館館長(非常勤)となる。2007年4月、新潟県立歴史博物館 名誉館長となる。2008年、國學院大學を定年退官し、名誉教授となる。2025年8月22日、肝臓がんのため東京都内の病院で死去する。

業績

縄文時代の第一人者と言われ、縄文人は狩猟採集生活だけではなく、高度で豊かな文化を持っていたと説く。様式論・器形論・用途論・生態論・文様論を駆使して、土器や土偶のデザインなどを根拠に縄文人の豊かな精神世界を描き出して、新しい縄文像を提示し、縄文文化の現代的な意義を提言した。縄文人の世界認識を読み解き、新しい視点での問題提起を行った。考古学への情熱を熱く語るが、押し付けない姿勢もあった。

表彰

  • 1990年、濱田青陵賞

著書

  • 小林達雄(2008)『縄文の思考』筑摩書房
  • 小林達雄(2000)『縄文人追跡』日本経済新聞出版
  • 小林達雄(1999)『ミュージアムの思想 小林達雄対談集』アム・プロモーション
  • 小林達雄(1999)『縄文人の文化力』新書館
  • 小林達雄(1994)『縄文土器の研究』小学館
  • 小林達雄(1989)『縄文のかたちとこころ』毎日新聞社
  • 小林達雄(1988)『古代史復元』講談社
  • 小林達雄(1982)『日本の美と文化』講談社

監修・編

  • 小林達雄監修(2013)『縄文の力』平凡社
  • 小林達雄編(2007)『考古学ハンドブック』新書館
  • 小林達雄編(2006)『古代翡翠文化の謎を探る』学生社
  • 小林達雄共著(2001)『世界史のなかの縄文 : 対論』新書館
  • 小林達雄共著(1994)『原始美術』小学館

参考文献

白鳥庫吉2025年07月26日 00:08

白鳥庫吉(しらとりくらきち、1865 - 1942年3月30日)は日本の歴史学者・東洋史学者である。

概要

1865年(元治2年)2月4日、上総国長柄郡長谷村に生まれる。千葉中学校、第一高等学校で学んだ。千葉中学の恩師に東洋史の先達、那珂通世(東洋史学者、後千葉師範学校長)・三宅米吉(考古学者、後帝室博物館総長)、木内重四郎がいた。 朝鮮古代史から、北アジア史、中央アジア史、古代中国史、古代日本史へと関心を移す。 大学予備門(一高)を経て帝国大学文科大学の史学科で西洋学を学び、東京大学在学中はドイツ人のルートヴィヒ・リースに師事し、実証主義的な手法を学ぶ。 1886年、東京帝国大学文科大学史学科を卒業する。卒業と共に学習院教授・歴史地理課長となる。1904年、東京帝国大学文科大学史学科教授となる。近代的東洋史学を確立し、北方民族並びに西域諸国の研究に貢献した。アジア全土の歴史、民俗、神話、伝説、言語、宗教、考古学など広範な分野の研究を行う。「実証学派の内藤湖南(京都大学)、文献学派の白鳥庫吉(東京大学)」と並び称せらる。弟子には津田左右吉がいる。『西域史研究』『満州歴史地理』『匈奴の起源』など多数の著書がある。墓は都営 雑司ケ谷霊園(1-8-12)にある。

経歴

  • 1865年、上総国(現千葉県)生まれ。
  • 1886年、東京帝国大学文科大学史学科卒業。
  • 1886年、学習院教授。同僚の市村?次郎が中国、白鳥は日本及び東洋諸国史を担当
  • 1900年、文学博士。
  • 1904年、欧米留学後、東京帝国大学文科大学史学科教授
  • 1907年、東洋協会学術調査部を設立
  • 1910年、「倭女卑弥呼考」を発表し、「邪馬台国北九州説」を主張する。
  • 1914年、東宮御学問所御用掛となる。
  • 1919年、帝国学士院会員。
  • 1922~1923年、欧州留学。
  • 1924年、東洋文庫の設立と共に理事・研究部長となる。
  • 1939年、林権助理事長の逝去後に東洋文庫理事長に就任する。
  • 1942年(昭和17年)3月30日、死去。78歳。

著書

  • 白鳥庫吉(1902)『新撰西洋史』富山房
  • 白鳥庫吉(1941)『西域史研究』岩波書店 白鳥博士東洋史論集 ; 1,2
  • 白鳥庫吉(1954)『神代史の新研究』岩波書店
  • 白鳥庫吉(1948)『卑弥呼問題の解決』オリエンタリカ / 東京大学東洋史学会 編

参考文献

町田章2025年07月14日 23:54

町田章(まちだあきら、1939年2月5日 - 2011年7月31日)は日本の考古学者である。元独立行政法人文化財研究所理事長。元奈良国立文化財研究所所長。

概要

1939年2月5日、香川県善通寺市に生まれる。1962年に関西大学文学部史学科東洋史専攻を卒業し、立命館大学大学院文学研究科に進学する。大学院在学中に白川静に師事して東洋史、東洋思想史を学んだ。中国古代墓葬の研究をおこなう。奈良国立文化財研究所の榧本亀治郎の指導を受けて『楽浪漢墓』の報告書作成に関わった。榧本の推薦で1964年に奈良国立文化財研究所に入所する。研究分野は考古学・東洋美術である。 1963年に設立したばかりの奈良国立文化財研究所平城宮発掘調査部に配属され、1965年から2年間、文化財保護委員会事務局記念物課に出向し、全国的な開発に伴う埋蔵文化財保護行政の基礎をつくった。 研究所に戻り、平城京の発掘調査に従事した。発掘調査では平城宮の東北に位置するウワナベ古墳と平城京条坊との関係を明らかにし(『平城宮跡発掘調査報告書Ⅵ』、奈良国立文化財研究所、1974年)、平城宮の中枢部である第一次大極殿地区の発掘成果をとりまとめ、その変遷と歴史的意義を提唱する(『平城宮跡発掘調査報告書?』、同所、1981年)。 高松塚古墳の壁画が発見された1972年に「唐代壁画墓と高松塚古墳」(『日本美術工芸』405号)を発表し、壁画が唐の影響を強く受けていると指摘した。 奈良国立文化財研究所で金属器・木器を中心とする遺物整理を担当したことから、日本古代の装飾具や武器へと関心を広げる。1970年「古代帯金具考」(『考古学雑誌』第56巻第1号)では、古墳出土の帯金具の系譜を中国、朝鮮にもとめた。姫路市宮山古墳出土の鉄器類を整理する過程で環刀を発見した。1976年「環刀の系譜」(『研究論集Ⅲ』、奈良国立文化財研究所)では、中国における環刀の変遷を明らかにした。2002年『中国古代の葬玉』と2006年『中国古代の銅剣』の単著をまとめる。1988年に平城宮跡発掘調査部長として長屋王家木簡を発掘した。2003年、中国社会科学院名誉教授称号を授与される。町田がこれまでおこなってきた中国考古学研究の成果が、中国において極めて高い評価を受けていたためである。2009年には勲三等瑞宝中綬章を受章する。2011年7月31日、肺がんのため奈良市の自宅で死去。

経歴

  • 1939年 香川県善通寺市に生まれる。
  • 1962年 関西大学文学部史学科東洋史専攻卒業
  • 1962年 立命館大学大学院文学研究科東洋思想専攻修士課程で学ぶ。
  • 1964年 奈良国立文化財研究所に入所
  • 1986年 平城宮跡発掘調査部長に就任
  • 1994年 京都大学大学院人間・環境学研究科文部教官を4年間併任
  • 1998年 文化庁文化財保護部文化財監査官
  • 1999年 奈良国立文化財研究所長、独立行政法人文化財研究所理事
  • 2005年3月 独立行政法人文化財研究所理事長・奈良国立文化財研究所長を退任

受賞

  • 2009年 勲三等瑞宝中綬章受章

著書

  1. 町田章(1986)『平城京』ニュー・サイエンス社
  2. 町田章(1987)『古代東アジアの装飾墓』同朋舎出版(角川書店)
  3. 町田章(1989)『古代史復元 8』講談社
  4. 町田章(1997)『古墳時代の装身具』至文堂
  5. 町田章(1998)『秦漢時代の漆器』小学舘
  6. 町田章(2000)『中国古代の漆器』小学舘
  7. 町田章(2002) 『中国古代の葬玉』奈良文化財研究所学報、弟64冊
  8. 町田章(2006)『中国古代の銅剣』 奈良文化財研究所学報、第75冊

参考文献

  1. 「町田章」東京文化財研究所『日本美術年鑑』平成24年版(436頁)

佐伯有清2025年07月13日 20:50

佐伯有清(さえきありきよ、1925年3月2日 -2005年7月19日)は日本の歴史学者である。専門は古代史。

概要

先祖は富山藩の儒者とされる。父の佐伯有三で、青山学院で英語を教えていた。 佐伯有清は数多くの著作や論文がある。平安時代に編まれた有力氏族の系譜を調査した全10巻の「新撰姓氏録の研究」で知られる。1962年に1巻目を出版後、その研究は2001年まで及んでいる。古代史研究に欠かせない価値ある史料の研究となったとして、1984年に「日本学士院賞」を受賞した。佐伯有清が残した膨大な図書を綾瀬市内に私設図書館「佐伯有清記念歴史図書館 清心館」を開館した。蔵書一覧が掲載されているホームページにはアメリカ・イギリス・インド・中国など海外からの検索がある。

経歴

  • 1925年、東京都赤坂区生まれ。
  • 1952年、名古屋大学文学部国史学科卒業
  • 1952年、母校の法政大学第二高校に赴任、後に校長
  • 1957年、東京大学大学院国史学専攻修了
  • 1962年、文学博士。
  • 1971年 、北海道大学教授
  • 1983年、成城大学教授
  • 1995年、成城大学教授退任。勲三等瑞宝章受勲
  • 2005年、没

著書

  • 佐伯有清(1971)『研究史邪馬台国』吉川弘文館
  • 佐伯有清(1975)『古代史への道』吉川弘文館
  • 佐伯有清(1985)『日本古代氏族の研究』吉川弘文館
  • 佐伯有清(1988)『三国史記倭人伝 他六篇 朝鮮正史日本伝 1』岩波書店
  • 佐伯有清(1989)『円仁』吉川弘文館
  • 佐伯有清(1995)『日本古代の政治と社会』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2000)『新撰姓氏録の研究 本文篇 』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2002)『高丘親王入唐記: 廃太子と虎害伝説の真相』
  • 佐伯有清(2007)『最後の遣唐使』講談社
  • 佐伯有清(2013)『慈覚大師伝の研究』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2017)『悲運の遣唐僧』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2017)『魏志倭人伝を読む』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2021)『日本古代氏族事典』雄山閣
  • 佐伯有清(2021)『古代東アジア金石文論考』吉川弘文館
  • 佐伯有清(2024)『円珍』吉川弘文館

参考文献

小林敏男2025年07月13日 00:19

小林敏男(こばやし としお、1944年 - )は、日本古代史学者、歴史学者。大東文化大学名誉教授。専門は日本古代史。博士(歴史学)。大東文化大学兼任研究員。

経歴

1944年、長野県長野市で生まれる。1970年、神戸大学文学部国史学科を卒業する。1978年、東京教育大学大学院文学研究科(日本史学)博士課程で単位取得退学した。1995年11月8日、「古代王権と県・県主制」で國學院大學より博士号を得る。鹿児島県立短期大学教授を経て、大東文化大学文学部教授。2015年に定年退官。6月11日、名誉教授。

研究内容

著書『日本古代国家形成史考』では、日本古代国家形成期(時代としては5世紀前後が中心)の国家論、王朝交替説とその方法論、日本書紀の紀年論、記・紀の方法論を論じる。著書『日本国号の歴史』では、「日本国号」の成立に関して、いつ誰が、どう定めたのか、それまでの「ヤマト」「倭」から名称を変更した理由や意味・由来を中国や朝鮮との関係を辿りつつ考察している。2014年以降は近代思想史の論考もある。

講演

  • 1993年7月  東京都中野区の「古代を学ぶ会」「女帝について」と題して講演
  • 1994年4月 よみうり・日本テレビ文化センター浦和「古代史講座」を開講(月、2回)
  • 1994年9月 東京都中野区の「あけぼの会」「善光寺の謎」と題して講演
  • 1995年1月 朝日カルチャーセンター(横浜)「騎馬民族説と日本古代国家の形成」と題して講演
  • 1995年1月  朝日カルチャーセンター(湘南藤沢)「王朝交替説」と題して講演
  • 1995年9月  東京都中野区の「あけぼの会」「善光寺の成立」と題して講演
  • 1995年11月 東京都府中生涯学習センター「河内王朝論」と題して講演
  • 1995年12月 東京都府中生涯学習センター「継体新王朝論」と題して講演
  • 1996年3月  東京都中野区の「古代を学ぶ会」「南西諸島の平家伝説」と題して講演
  • 1996年6月  埼玉県の県信連「騎馬民族説と古代の日本」と題して講演
  • 1996年10月 東京都中野区の「あけぼの会」「伊勢神宮の謎」と題して講演
  • 1997年10月 東京都中野区の「あけぼの会」「日本のなりたちと日本文化論」と題して講演
  • 1998年10月 東京都中野区の「あけぼの会」「継体新王朝説」と題して講演
  • 1999年1月  東京都中野区の「古代を学ぶ会」「ヲケ・オケ二王と忍海部女王」と題して講演
  • 1999年7月  朝日カルチャーセンター(横浜)「王朝交替はなかった」と題して講演
  • 2000年6月14日、東京都中野区「あけぼの会」「フダラク渡海海」と題して講演
  • 2001年6月21日、東京都中野区あけぼの会「神武天皇即位年について-辛酉革命説を中心に-」と題して講演
  • 2002年12月14日、国際シンポジウム「東アジアから見た日本古代国家の起源」(東アジアの古代文化を考える会主催)「日本の古代国家形成過程-五・六世紀を中心に-」と題して基調報告。討議。
  • 2002年12月19日、板橋グリーンカレッジOB会「日本人の成り立ちと邪馬台国」
  • 2003年6月19日、東京都中野区あけぼの会「邪馬台国と女王国」と題して講演
  • 2004年6月8日、東京都中野区あけぼの会「古代女帝の特質について」と題して講演
  • 2005年6月15日、東京都中野区あけぼの会「飯豊郎女-女帝の起源-」と題して講演
  • 2006年6月22日、東京都中野区あけぼの会「武蔵国造の乱・再論」と題して講演
  • 2007年6月22日、東京都中野区あけぼの会「日本という国号について」と題して講演
  • 2008年3月8日、シポジウム「水林彪著『天皇制史論』をめぐって」奈良女子大学COE研究会「水林彪著『天皇制史論』の論点と問題点」と題して報告、討論。
  • 2008年4月19日、東アジアの古代文化を考える会「日本という国号について」と題して講演
  • 2012年2月25日、明治大学古代学研究所・東アジア石刻文物研究所「白村江以後の「日本」国号問題――「祢軍墓誌」の発見に寄せて」と題して講演(新発見百済人「祢氏 (でいし ) 墓誌」と7世紀東アジアと「日本」:シンポジウム)明治大学駿河台キャンパス・リバティタワー1階 1011 教室
  • 2018年11月15日、「元号~その歴史と今~」講演。
  • 2018年6月15日、歴史文化学会「歴史文化学科の創設と大東文化大学と題する講演
  • 2019年7月11日、よみうりカルチャー浦和・日本古代史講座(『続日本紀』をテキストとして各記事を逐一読んでいく、その解釈と問題点さらに論争点を講義する
  • 2021年5月14日、「“伝説”から学ぶ古代東国史」大東文化大学地域連携センター
  • 2024年10月4日、「飛鳥時代にみる聖徳太子と推古女帝の登場」大東文化大学地域連携センター

著書

単著

  • 小林敏男(1988)『古代女帝の時代』校倉書房
  • 小林敏男(1994)『古代王権と県・県主制の研究』吉川弘文館 ,
  • 小林敏男(1994)『古代天皇制の基礎的研究』校倉書房
  • 小林敏男(2006)『日本古代国家形成史考』校倉書房
  • 小林敏男(2007)『日本古代国家の形成』吉川弘文館
  • 小林敏男(2010)『日本国号の歴史』吉川弘文館
  • 小林敏男(2014)『明治という時代―歴史・人・思潮』雄山閣
  • 小林敏男(2019) 『国体はどのように語られてきたか 歴史学としての「国体」論』勉誠出版
  • 小林敏男(2022)『邪馬台国再考 ――女王国・邪馬台国・ヤマト政権』筑摩書房

共著

  • 上田正昭, 熊谷公男, 小林敏男, 徐建新, 奥野正男(2004)『シンポジウム 倭人のクニから日本へ―東アジアからみる日本古代国家の起源』學生社

論文

  • 小林敏男(2019)「袮軍墓誌銘の「日本」と白村江の戦い白村江戦前後(再考)」大東文化大学紀要. 人文科学 (57), pp.288-269
  • 小林敏男(2018)「白髪首刎らるるとも恨みなし : 神澤杜口が橘南谿に語ったこと」青淵 (827),pp. 34-37
  • 小林敏男(2017)「ハンセン病と渋沢栄一 : いわれなき批判への反論」青淵 (819), pp.26-29
  • 小林敏男(2017)「東アジアと日本 : その歴史と文化」大東文化大学紀要 人文科学 (55), pp.308-289
  • 小林敏男(2016)「祢軍墓誌銘の「日本」と白村江戦前後」大東文化大学紀要 人文科学 (54), pp.272-255
  • 小林敏男(2015)「天皇の統治権を考える :「ウシハク」と「シラス」を通して (小林敏男教授退任記念号)」日本文学研究 (54),pp.1-21
  • 小林敏男(2007)「古代における神と仏」佐々木宏幹編『民俗学の地平-桜井徳太郎の世界』岩田書店
  • 小林敏男(2005)「古代初期日朝関係史--とくに好太王碑文辛卯年条を中心として(下)」大東文化大学紀要 人文科学 (43), pp.71-84
  • 小林敏男(2004)「継体王統出現の歴史的背景 (特集 古代社会の諸問題)」東アジアの古代文化 (121), pp.66-78
  • 小林敏男(2004)「古代初期日朝関係史--とくに好太王碑文辛卯年条を中心として(上)」大東文化大学紀要 人文科学 (42), pp.67-87
  • 小林敏男(2003)「邪馬台国と女王国」人文科学 8, pp.170-141