水子貝塚 ― 2024年12月06日 00:17
水子貝塚(みずこかいづか)は埼玉県富士見市にある縄文時代の貝塚および環状集落遺跡である。
概要
水子貝塚は武蔵野台地の端、荒川低地に面している。1894年(明治27年)10月25日にこの地を訪れた遺跡探索を趣味としていた元棚倉藩主の阿部正功によって発見された。『東京人類学会雑誌』第10巻、第106号に紹介された。酒詰仲男は安部立郎の報告した地名表から水子貝塚を認識し、1938年(昭和13年)12月、和島誠一等とともに2カ所の貝層を伴う竪穴住居を発掘した(第1次調査)。1939年(昭和14年)10月、最大の貝塚の竪穴住居を中心に発掘した(第2次調査)。 1967年(昭和42年)1月に行われた第3次調査で貝層を伴う前期黒浜式の竪穴住居1軒、諸磯b式の竪穴住居1軒などを発見した。1967年までの3回の調査により縄文時代前期の小貝塚が環状に分布するを発見した。遺跡から約60ヵ所の小さな貝塚が直径160mの円形(ドーナツ状)で見つかった。小貝塚は竪穴住居跡に貝殻が捨てられた跡であった。貝の種類はヤマトシジミが大部分であった。ほかにハマグリ、サルボウ、カキなどがある。クルミ、クリなどの炭化殻がみつかった。煮炊きに使われた煤けた土器が見つかった。1つの住居跡から、屈葬された30代女性の人骨と、若い雄犬の骨がみつかった。 縄文時代前期の縄文海進期に、内陸部に形成された代表的な貝塚である。前期末には次第に海退が進み、海岸線は後退した。小貝塚の分布状況から貝塚形成当時の集落の規模形態を推測できる遺跡として学術上価値が高いとされた。 史跡指定地39,346.85 ㎡のうち、98.4%を公有地化し、1994年(平成6年)6月に「縄文ふれあい広場 水子貝塚公園」が開園した。隣接地に水子貝塚資料館があり、資料館と史跡、自然が一体となった野外博物館である。
遺構
- 土坑2
- 竪穴住居
- 集石
- 住居5
- 貝層
遺物
- 縄文土器
- 石器
- ケツ状耳飾
- 軽石製品
- 鮫歯製垂飾
- 犬牙製垂飾
- 平安布目瓦
- 埋葬人
展示
- 水子貝塚資料館
指定
- 1969年9月9日 国指定史跡、「水子貝塚」
考察
アクセス
- 名称:水子貝塚
- 所在地:埼玉県富士見市大字水子2003 番地1
- 交通: 東武東上線 みずほ台駅東口から約1.2km。徒歩約15~20分
参考文献
- 富士見市教育委員会「史跡水子貝塚整備基本計画」
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