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楯築弥生墳丘墓2023年12月16日 00:20

楯築弥生墳丘墓(たてつきやよいふんきゅうぼ,)は岡山県倉敷市にある墳丘墓である。「楯築遺跡」「楯築墳丘墓」とも呼ばれる。

概要

倉敷市域北東の足守川によって形成された平野を広い平野を一望する小高い丘の上に位置する。弥生時代に足守川は楯築から南に2kmほどで瀬戸内海に注いでいたと考えられている。当時、河口に位置していたと思われる上東遺跡からは製塩土器や波止場状遺構などが出土した。また上流に向かう4km以内に、矢部美南向遺跡、足守川加茂遺跡、津寺遺跡、加茂政所遺跡、高塚遺跡など弥生時代から古墳時代にかけての大集落遺跡が密集している。 楯築弥生墳丘墓の中心となる埋葬施設は、木棺の外側を木の板で囲んだ木棺木槨構造であることが判明した。同時代で木棺木槨構造をもつ弥生墳丘墓は、ほかに雲山鳥打一号弥生墳丘墓、立坂弥生墳丘墓、西谷三号弥生墳丘墓がある。自然地形を利用した盛り土により、墳丘の規模は、弥生時代の墳丘墓として最大級である。 弥生時代の吉備地方で成立発展した特殊器台特殊壺が出土した。それぞれ10個体前後が確認されている。特殊器台と特殊壺の最古の形式であることが判明している。 主墳の頂上の平坦な部分に木棺を取り囲むように5個の立石が配置されている。 円丘に2カ所の長方形の突出部が付き、前方後円墳の原点という説もある遺跡である。

調査

  • 調査-調査年-期間-調査内容-調査者-
  • 第一次-1976年-7/15-8/1-円礫、墓壙、墳端部、斜面列石-近藤義郎、岡山大学考古学教室--岡山大学考古学研究室による発掘調査により、朱の敷き詰められた棺とそれを納めた木製の槨の痕跡が発見され、鉄剣と大量のガラス小玉、土製の勾玉などが出土した。
  • 第二次-1978年-7/17-8/7-立石、北東突出部、埋葬主体-近藤義郎、岡山大学、岐阜大学-
  • 第三次-1979年-2/24-5/14-弧帯文石片、特殊器台、木棺、副葬品-近藤義郎、岡山大学、大阪大学、國學院大學-
  • 第四次-1983年-8/20-9/21-くびれ部、トレンチ調査-近藤義郎、岡山大学-
  • 第五次-1985年-9/30-10/26-突出部先端石列-近藤義郎、岡山大学、山形、法政、早稲田-
  • 第六次-1986年-9/30-10/31-石列東端を確認-近藤義郎、岡山大学、山形、明治、筑波-
  • 第七次-1989年-8/23-9/5-立石の復元-近藤義郎、岡山大学-

遺構

  • 円丘部両側に突出部あり、
  • 木棺木槨墓

遺物

  • 木棺木槨構造
  • 特殊器台
  • 特殊壺
  • 高坏
  • 脚付小壺
  • 勾玉型土製品
  • 管玉形土製品
  • 鉄製品
  • 炭灰
  • 弥生土器
  • 玉類
  • 弧帯石
  • 人形土製品

指定

  • 昭和56年12月9日、史跡指定 史跡名勝天然記念物

アクセス等

  • 名称:楯築弥生墳丘墓
  • 被葬者: 地域の有力者
  • 築造時期: 2世紀後半-3世紀前半
  • 全長:186メートル
  • 所在地: 〒710-0833 岡山県倉敷市矢部
  • 交通: JR吉備線「吉備津駅」から徒歩45分(3.2km)

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 福本明(2007)『吉備の弥生大首長墓』新泉社

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