地乗り航法 ― 2025年12月10日 00:06
地乗り航法(じのりこうほう)は海における古代の航海法である。
概要
縄文時代から弥生時代の航海では海上から陸地の山、島、岩、岬、河口、樹木などの地形や海の色、潮の流れなどの目標物を目印として、それを頼りにする地乗り航法が使われた。 船員の経験と航海実績からえた知識が頼りであった。 逆に陸岸を遠く離れて走る「沖合航法」は、万葉集の頃でも「和磁石は存在せず、島や山の形状を確認するのが難しい広い海(灘)を直航することは」避けた(辻啓介(2023))。 袴狭遺跡(豊岡市出石)では、船団を組んで航海する船団が描かれている。一部は天測航法が使われていたかもしれない。天測航法は昼に太陽、夜には月や星の位置を観察して方角や緯度を推定する方法である。
万葉集
736年(天平8年)に新羅へ派遣された使人たちが海路で詠んだ歌に航路の途中の島や浦(停泊地)を詠んでおり、陸地の景色を見ながら航海する地乗り航法を示唆する。 例として「浦廻より漕ぎ来し船を風早み沖つみ浦に宿りするかも」(3646)を挙げておく。
魏志倭人伝
『魏志倭人伝』には「郡より倭に至るには、海岸に循ひて水行す。韓国を歴て、乍南乍東し、」 (從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東)と書かれている。海岸に循ひて水行とは、陸を見ながら航行する説明であるから、明らかに地乗り航法である。
参考文献
- 茂在寅男(1977)「日本の古代航海に関する考察」『航海』52巻 pp.1-5
- 辻啓介(2023)「萬葉集に見える奈良時代の瀬戸内海航路」大島商船高等専門学校紀要
- 佐藤知美(2020)「弥生時代の鹿児島-沖縄間の黒潮横断航路」
- 田中聡一(2013)「対馬島と韓半島南海岸地域との海上交渉」
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