鋸歯文 ― 2024年10月19日 22:10

鋸歯文(きょしもん)は、鋸の歯のような三角形を連続させた文様である。
概要
弥生時代から古墳時代にかけての土器・銅鐸・銅鏡、古墳の壁画、飛鳥・奈良時代の瓦などにみられる。青銅器の面に付けられることが多い。銅鐸・銅鏡の文様は複雑であり、鋸歯文の三角形の中に平行線を刻む文様がある、また彩色を施した文様もある。 銅鐸の鋸歯文帯は,常に三角形の内部には平行する斜線を引くハッチングが施される。 一方の列だけの場合と,向かい合う二列の鋸歯に相異なる方向のハッチングが入る複合鋸 歯文とがある。 なお1893年にベトナム河南省平禄県玉楼郷で発見された石寨山型東山系の玉楼鼓に腰部上辺にハッチングが施された複合鋸歯文帯が見られた。 日本では弥生時代中期頃の土器から登場したとされる。
意味
鋸歯文は魚の鱗の形を連想させるところから、鱗文とも言われ、魔除けの意味があるとの説がある。宗像(福岡県)の海女は胸に鱗(三角形)形の入れ墨をしてサメの害を避けたとされる。
近世の鋸歯文
近世になると「鱗文」と呼ばれ、厄よけの文様として使われたが、ハッチングは失われている。鱗文は竜蛇信仰とつながり、海難徐けに竜蛇の刺青をして守護を願ったとされる。歌舞伎『京鹿子娘道成寺』では鱗文は蛇体となった女の魔性を示す文様として、また死者の霊を現すものとして使われた。歌舞伎の終盤に清姫の身体を包むのは、蛇体を現す鱗文であった。幽霊の絵画などに死者が三角形の白布を額につけるのは、鱗文様である。三代歌川豊国、二代歌川広重の浮世絵「観音霊験記 秩父巡礼二拾五番久那岩谷山久昌寺 奥野の鬼女」では、鬼女の衣服に鱗文が表される。
出土例
- 鋸歯文・斜格文(高杯脚部) 唐古鍵遺跡、弥生時代
- 双鈕細線鋸歯文鏡 弥生時代、奈良県南葛城郡吐田郷村長柄出土、重要文化財、東京国立博物館蔵
- 三角縁鋸歯文帯四神四獣鏡 赤塚古墳、大分県宇佐市、3世紀、京都国立博物館蔵
- 有本銅鐸 紀ノ川の河原、弥生時代、和歌山県立紀伊風土記の丘、身の最下段に鋸歯文あり
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂
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