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石船戸遺跡2024年08月27日 00:21

石船戸遺跡(いしふなといせき)は、新潟県阿賀野川市にある縄文時代晩期の遺跡である。

概要

石船戸遺跡は東の五頭山を背にして、西に阿賀野川が流れる低地に広がる縄文時代晩期の初頭から中葉の集落遺跡である。阿賀野川右岸の自然堤防に立地する。 塊状のアスファルトと加熱に使用した土器、塗布に使用した用具が多量に出土しており、産油地で採取した塊を集落内に持ち込み、熱で溶かしながら利用していた様子が伺える。 土器は精製品と粗製品があり、精製土器は東北地方一円に分布する「亀ヶ岡式土器」と共通した特徴をもつ。 遺構は竪穴式建物、掘立柱建物、土坑・埋設土器からなる。微高地の南と北の斜面上に土器などが捨てられた廃棄場があり、集落北に集石遺跡がある。 遺物として出土した土製の錘は、網を使って魚をとった証拠となる。土器は晩期前半の大洞B式が主体を占め、BC式土器もある。遮光器土偶は新潟県内で最大である。首の破損部分にアスファルトが付着し、何度も修復した跡がうかがえる。細部まで丁寧に文様が描かれている。ほかに動物型土製品、岩版などは東北の影響を受けている。 土偶、石棒、羊歯状文・K字状文・三叉文を施した甕・鉢・壺・注口土器が出土する。

調査

1966年(昭和41年)から1967年(昭和42年にかけて排水路造成工事の際に発見された。応急的な発掘調査により、大量の土器・石器が発見された。 2012年(平成24年)から2014年(平成26年度)にかけて本格的な発掘調査が実施された。 下層で縄文時代晩期初頭から前葉を主体とする遺構や遺物が検出された・ 集落は南東から北西に伸びる幅約80mの微高地に広がる。石船戸遺跡の南側に大規模な河道が存在していたことが判明した。

遺構

  • 掘立柱建物
  • 竪穴建物
  • 円形土坑

遺物

  • 土偶
  • 遮光器土偶
  • 縄文土器
  • 岩版
  • 石棒
  • 動物型土製品
  • 石斧
  • 石槍
  • 石鏃
  • 遮光器土偶
    • 首の破損部分にアスファルトが付着し、何度も修復されたことが分かる。

アスファルト

アスファルトの使用

アスファルトの塊が64点出土した。塊状のアスファルトと加熱に使用した土器、塗布に使用した用具が多量に出土しており、産油地で採取した塊を集落内に持ち込み、熱で溶かして利用したと推測される。 アスファルトは石油の一種であり、粘着性が高いため、土器の補修や石鏃の着柄に用いられた。アスファルトが付着した土器は1300点以上が出土している。 アスファルトが採取できるのは新潟・秋田など日本海側の石油産出地に限られる。そのため、多くの地域には交易品としてもたらされたと考えられて

放射性炭素年代測定

7 層から出土したクリ果皮について、加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定が行われた。2σ暦年代範囲で1260-1119.cal.BC(95.4%)の結果が得られた。石船戸遺跡下層の時期と合致するから石船戸遺跡の下層集落は大規模な河道に沿って形成されていたことが判明した。河道は縄文晩期に形成されたものである。石船戸遺跡と境塚遺跡とはが同じ河道沿いにあったとすると、縄文晩期に大規模集落が同じの河道に沿って形成され続けていた可能性がある。河道の堆積とともに、集落が消滅した可能性がある。

指定

  • 2023年3月 - 新潟県有形文化財(考古資料)
    • 阿賀野市の所有する石船戸遺跡から出土した土器や石器など824点について、東北地方を中心に分布する「亀ヶ岡式土器」の文化圏の日本海側南端の様子を示す資料であるとともに縄文時代晩期の交易を考えるうえで学術的価値が高いとされた。

時期

縄文時代晩期初頭から前葉(約3100年前から3000年前)

アクセス

  • 名称:石船戸遺跡
  • 所在地:新潟県阿賀野市堀越字石船戸
  • 交 通:JR水原駅から10km、徒歩2時間15分。

参考文献

  1. 文化庁(2020)『発掘された日本列島 2020』共同通信社
  2. 新潟県教育委員会(2019)「石船戸東遺跡」
  3. 荒川隆史(2020)「阿賀野市における縄文時代晩期の大規模な河道について」「研究紀要 11号」公益財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団

男女倉遺跡群2024年08月27日 00:29

男女倉遺跡群(おめぐらいせきぐん)は、長野県小県郡長和町にある黒曜石原石を利用する旧石器時代の遺跡群である。

概要

「男女倉技法」と呼ばれる黒曜石の広域流通を支えた製作技法を開発した遺跡である。黒曜石の産出源から流れ出る渓流が集まる男女倉川流域に密集する遺跡である。 本州で最大規模の黒曜石産地である。 算出する場所は、和田峠、ツチヤ沢、ブドウ沢、牧ヶ沢、高松沢がある。 これらの沢が合流する男女倉川の周囲に旧石器時代の遺跡が集まり、「男女倉遺跡群」と呼ばれる。男女倉遺跡群は狩猟採取民が狩りの道具になる石器やその素材を作った遺跡である。約25000年前から23000年前には板状の原石や厚手の剥辺を素材として片面あるいは両面に加工し、最後に「ファシット」と言われる縦溝状の剥離によって仕上げる、「男女倉技法」を生み出した。 和田峠の黒耀石は質が良く、広範囲に豊富に産出された。作られた石器は、遠く東北・関東・近畿地方まで使われた。

調査

男女倉川の旧石器時代の遺跡は約20地点が確認されている。このうち1957年(昭和32年)から1975年にかけて7回発掘調査されている。各地点の特異性や共通性が把握されており、各群内での編年や器種分類が可能となっている。

遺構

遺物

  • 男女倉型尖頭器
  • ナイフ型石器 - 切出形と柳葉形とがある。切出形の方が古い。

指定

展示

  • 黒耀石体験ミュージアム

時期

アクセス

  • 名称:男女倉遺跡群
  • 所在地:〒386-0701 長野県小県郡長和町和田5309ー281
  • 交 通:JR下諏訪駅から15.4km。JR中央東線下諏訪駅から車で30分。

参考文献

  1. 文化庁(2020)『発掘された日本列島 2020』共同通信社
  2. 須藤隆司(2020)「男女倉石器群の削片技術」『資源環境と人類』10、pp.45-54