杵ガ森古墳 ― 2025年06月23日 23:16
杵ガ森古墳(きねがもりこふん)は福島県河沼郡会津坂下町にある古墳時代の前方後円墳である。
概要
福島県会津市坂下町の市街地西側、標高約178mにあり、東北地方最古級の前方後円墳である。1961 年(昭和36年)遺跡分布調査により「古墳」として登録され、南北28m、東西15m、高さ2m の卵形の円墳と思われていた。平成2年からの発掘調査により前方後円墳と判明した。出土した土師器からは古墳時代前期前半(4世紀)の築造と考えられている。古墳の周辺に10基の周溝墓と13軒の竪穴住居跡等を発見(稲荷塚遺跡)したことなどから、遺跡の重要性が注目された。遺跡の中心部分を公園「稲荷塚遺跡」として整備、保存することとなった。発掘調査直前まで墳頂部に稲荷神社が祭られていた。参道入口に木製の鳥居、旗竿、石製標柱が建てられていたことから、「稲荷塚遺跡」と称される。1996 年、福島県指定史跡に指定される。杵ガ森古墳の場所は「稲荷塚公園」として保存されている。
発掘調査
杵ガ森古墳は、墳丘の長さ45.6メートルの二段築成である。南北に主軸がある。1995 年の調査報告書では、墳丘直下や古墳周辺から竪穴建物跡5 軒、掘立柱建物跡3 棟、方形周溝墓10 基が確認された。神社の造営時に盛土したため古墳は変形しており、当初の状況は不明となっている。墳丘の高さは2メートル前後と推定されている。前方部がバチ型の墳形は、日本最古の前方後円墳である箸墓古墳(奈良県桜井市)の1/6 相似形であると論じられた。出土した土師器は3 世紀末~4 世紀初頭 であり、高坏形土器、器台形土器、壺型土器等葬送儀礼道具が確認された。ヤマト政権の政治的連合体を構築する時期の初期墳墓と見られる。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 後円部:2段
- 墳長 45.6m
- 後円部 径径25m 高2m
- 前方部 幅推定18m 長21m
遺物
- 周濠内から土師器。
築造時期
- 3世紀末~4世紀初頭
被葬者
展示
指定
- 1996年(平成8年)3月22日 福島県指定史跡
アクセス等
- 名称 :杵ガ森古墳
- 所在地 :福島県河沼郡会津坂下町稲荷塚
- 交 通 :会津坂下駅から徒歩25分、1.8km。
参考文献
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂
- 大塚初重(2002)『東国の古墳と大和政権』吉川弘文館2
- 福島県教育委員会(1989)「福島県の文化財-国指定文化財要録-」
- 会津坂下町教育委員会(1995)「会津坂下町杵ガ森古墳・稲荷塚遺跡発掘調査報告書」会津坂下町文化財調査報告書;第33集
- 福島県河沼郡会津坂下町教育委員会(1991)「杵ガ森古墳・稲荷塚遺跡 : 坂下西第一地区発掘調査概報」会津坂下町文化財調査報告書 ; 第22集
- 会津坂下町教育委員会(2023)講演会『北越からみた弥生時代後期 : 終末期の会津 : 史跡古津八幡山遺跡の調査成果から』
- 吉田博行(1995)「各地の前期古墳 福島県杵ガ森遺跡」『季刊考古学52号』(前期古墳とその時代)雄山閣
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