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金環2025年08月22日 00:14

金環(きんかん)は古墳時代後期から飛鳥時代にかけて使われた装身具である。「耳輪」ともいう。

概要

環状の金を使った耳飾りである。①金製、②金メッキ、③金張りの3種類がある。韓国出土に比べ、日本では金の使用量が少ない傾向がある。金属製耳飾りの断面は、飛鳥時代には楕円形になる。上田薫(2006)は耳環は垂れ飾りを付けた耳飾りを簡略化したものとする。つまり、伽耶の金製耳飾や新羅の太環式耳飾の耳環部分だけを抜き出したものと見られる(東京国立博物館、九州国立博物館)。耳環の部分が太い太環式耳飾は、新羅で独特にみられる装身具である。

①金製

  • 千葉県の江子田金環塚古墳では、純金製の耳環が出土している。江子田金環塚は市原市にある古墳時代後期前半の前方後円墳である。

②金メッキ

  • 宮中野古墳群大塚古墳では金鍍金(金メッキ)の金環が2点が出土する。祖父ヶ塚古墳の金環は2点ともに純金の黄色が全くみられず、緑青で覆われており、破断面観察も銀色となっている。光X線分析により金と水銀も微量に検出されたことから、銅芯を銀で覆い、鍍金を施した銅芯銀張鍍金製品である可能性がある。

③金張り

金張りは銅輪などに金の板を乗せて接着したものである。上塩冶築山古墳2号墳の金環は金張りの耳飾である。岩橋千塚古墳群(海草郡西和佐村岩橋古墳)出土の金環は2 点である。長さ2.7cm、幅3.15cm、断面縦厚(「縦厚」)0.65cm、横厚0.8cm、重さ19.13g の完形の金環であった。

使用者

男女問わず耳につけていたと考えられている。1か所に切れ目があるため、この部分で耳たぶの両側を挟んで押さえて使ったと見られる。耳飾りを付けた男女の埴輪が存在する。

出土した時代

弥生時代に出土例があるが、古墳時代前期に消滅した。古墳時代中期に再び登場したのち、古墳時代後期には盛んに使われた。飛鳥時代にも使われた。装身具を直接身体に装着する風習は、律令制が成立する唐の服装習俗の導入普及(7世紀以後)後にはなくなる。

出土

  • 金環 - 伝茨城県桜川市岩瀬出土、古墳時代 6世紀
  • 金環 - 萱曲古墳(若宮古墳群)、宇部市、古墳時代
  • 金環 - 祖父ヶ塚古墳、長野県北安曇郡松川村、飛鳥時代、宮内庁蔵
  • 金環 - 上塩冶築山古墳、島根県出雲市、古墳時代後期6世紀末
  • 金環 - 大塚古墳、茨城県鹿嶋市宮中、宮中野古墳群114号墳、7世紀前半
  • 金環 - 岩橋古墳、和歌山県和歌山市、古墳時代

参考文献

  1. 村上陸(2002)「古墳時代の金・銀製耳環の材質と製作技法をめぐる考察」
  2. 石丸彩・岩本崇・金澤舞(2022)「和歌山大学所蔵の伝岩橋千塚古墳群出土品について (2)」紀州経済史文化史研究所紀要 42,pp.1-29
  3. 上田薫(2006)「古墳時代の耳飾り」杉野服飾大学短期大学部紀要 5,pp.105-110
  4. 宇野愼敏(1999)「初期垂飾付耳飾の製作技法とその系譜」日本考古学 6 (7), pp.43-57