東町田墳墓群 ― 2025年08月24日 12:15
東町田墳墓群(ひがしちょうだふんぼぐん)は岐阜県大垣市昼飯町にある弥生時代終末期から古墳時代前期にかけての墳墓と古墳である。
概要
金生山麓から連なる標高16~19mの段丘上に、弥生時代中期の環壕と方形周溝墓があり、弥生時代終末期に築造された直径17.6mなど2基の円形墳丘墓が遺存する。弥生時代中期の遺構と弥生時代終末期の遺構は重複しない。台地南西縁辺部に弥生時代終末期に築造された直径17.6mなど2基の円形墳丘墓が良好に遺存する。 近接して同時期の一辺10m前後の方形周溝墓2基がある。 方形周溝墓が一般的な弥生時代終末期に円形墳丘墓を築造していた。その後は、前方後方墳(前方後方形周溝墓)と方墳(方形周溝墓)が築造される段階から、前方後円墳が安定的に築造される。古墳成立期の東海地域の状況をよく表している。古墳時代初頭には周辺で水田遺跡が検出されている。古墳時代前期には墓域は東方に遷る。SZ02の周溝からパレス壺と水銀朱が付着した石臼、パレススタイルのS字状口縁壺が出土した。 近隣には昼飯大塚古墳や粉糠山古墳が所在する。
調査
方形周溝墓2基と円形墳丘墓2基を発掘調査し、方形周溝墓(SZ23の溝内から絵画土器(平成27年7月22日市重要文化財指定)が出土した。古墳時代前期に墓域は東方に移り,墳長22mなど2基の前方後方墳(前方後方形周溝墓)と一辺14mなど3基の方墳(方形周溝墓)が築造された。遺物としては口縁部内面に人物、外面の胴部上半に切妻高床建物、シカなどの動物を描いた絵画土器や水銀朱が付着する石臼などが出土した。
絵画土器
絵画土器は、方形周溝墓周溝の底部から10cm ほど上で潰れた状態で出土した。器高24.8cm、口径14.1cm、胴部最大径約24cm。絵画は壺口縁部内面に1 カ所、胴部上半に6カ所に線刻で描かれる。内容は口縁部内面に「人物」、胴部上半に①切妻高床建物、②辟邪視文、③鹿1 ④鹿2頭、⑤犬1頭、⑥棟持柱付切妻高床建物である。人物は両腕を上に上げ、魂振をしている姿とされる。鹿は地霊の象徴と言われる。『東町田遺跡Ⅲ』で、設楽博巳・辰巳和弘らは口縁部内面の「人物」は司祭(シャーマン)であり、被葬者の性格を表すとする。動物は鹿を追う犬とみている。辟邪視文は荒尾南遺跡からも出土しており、東海地方で多用される文様であり、中のものを守る意味があるとされる。線刻絵画土器、水銀朱に関係した遺物は当時の人々の精神世界や葬送儀礼を示すものとされる。建物は高床建物であり、うち1棟は独立棟持柱高床建物である。高床建物は壁のない屋根倉形式で、建物に窓が描かれ、棟先飾に雲のようなものが描かれている。 図柄は簡略化されているため、弥生絵画でも新しい時期と見られている。 絵画土器は大垣市民俗資料館が所蔵する。
円形周溝墓
弥生時代末期の遺構として2基の円形墳丘墓(SZ27、SZ28)が残る。岩永省三(2010は「弥生後期まで方形周溝墓が主流だったが、後期後葉に前方後方形墳丘墓が出現し、終末期後半に増加し、以後古墳時代前期まで東日本各地に前方後円墳が拡散する現象の震源地を、東海系土器の拡散と関連させて東海とみる説がある(赤塚1992・1995・1996)」と指摘する。 岩永省三(2010は「円形墳丘墓は、(弥生)後期に播磨・摂津を中心とし、讃岐・阿波・和泉・河内・丹波南部に及ぶ。終末期前半にも播磨・摂津中心だが、重心は摂津に移り、讃岐・阿波・丹波南部、河内から大和・山城、さらに近江に展開する」と述べる。東町田墳墓群の円形周溝墓はこの流れで生まれたと考えられる。同時期の県内円形墓はSZ27よりやや先行する象鼻山8号墳がある。しかし象鼻山古墳群では、その後の円形墳墓は作られていない。
遺構
弥生時代
- 竪穴建物
- 溝
古墳時代
- 前方後方形周溝墓 2
- 竪穴建物
弥生時代、古墳時代
- 環濠
- 土坑
- 方形周溝墓
- 溝
遺物
旧石器
- 槍先形尖頭器
弥生時代
- 弥生土器
- 石器
- 須恵器
- 土師器
- 石製品
- 土器
- 石製品
- 鉄製品
古墳時代
- 絵画土器
- 石臼
指定
- 2017年(平成29年)2月9日 国指定史跡
展示
考察
アクセス
- 名称:東町田墳墓群
- 所在地:岐阜県大垣市昼飯町東町田
- 交 通:JR東海東海道本線荒尾駅から徒歩25分(1.5km)
参考文献
- 赤塚次郎(2015)「2・3世紀の東海と関東 東海系トレース再論」『邪馬台国時代の関東』青垣出版
- 中井正幸(2005)『東海古墳文化の研究』雄山閣
- 中井正幸(2021)「地域首長層を考える-東町田墳墓群と荒尾南遺跡を例に」滋賀県立大学考古学研究室論集Ⅰ
- 岩永省三(2010)「弥生時代における首長層の成長と墳丘墓の発達」
2025世田谷区遺跡発掘調査速報展 ― 2025年08月24日 12:22
2025世田谷区遺跡発掘調査速報展(2025せたがやくいせきはっくつちょうさそくほうてん)は、東京都世田谷区が行った2024年の発掘調査を速報する展示会である。
概要
主な展示は次の通りである。
- ①釣鐘池北遺跡第12次調査(縄文時代)深鉢、(平安時代)灰釉陶器骨蔵器
- ②上神明遺跡第35次調査出土 スタンプ型石器(縄文時代早期)、土師器
- ③天慶塚古墳(古墳時代)周濠からの埴輪片
- ④諏訪山遺跡(縄文時代)深鉢、有孔鍔付土器
- ⑤等々力原遺跡(縄文時代)深鉢、石鏃、尖頭器(古墳時代)台付甕
展示の見所
等々力原遺跡の復元された深鉢、台付甕が展示される。上神明遺跡の縄文時代早期のスタンプ型石器が展示される。
考察
アクセス
- 名称:2025世田谷区遺跡発掘調査速報展
- 会場:世田谷区立郷土資料館
- 会期:2025年8月2日(土曜日)から2025年10月19日(日曜日)
- 所在地: 世田谷区世田谷1丁目29番18号
- 交 通: 東急世田谷線 上町駅徒歩5分
参考文献
切妻 ― 2025年08月24日 17:53
切妻(きりつま)は家の屋根の頂点から山型となり、二方向へ屋根が斜めに落ちる屋根の形式である。
概要
斜面が2面ある屋根であり、寄棟とともに日本の住宅建築における基本的な形式である。 弥生時代から続く基本的な形状とされている。 吉野ヶ里遺跡の高床建築も切妻である。古代の高床家屋や伊勢神宮正殿は切妻である。 構造がシンプルなので施工しやすい。屋根裏のスペースを広く確保できる。複雑な屋根ではないので、建設に要する工期が短くなる。屋根の断面が正面からみると、三角形になることから、「三角屋根」とも言われる。切妻屋根をもつ建物の外壁に三角形の壁ができた場所を妻壁という。
入口
入り口は妻入りと平入りとがある。軒と平行な面を平(ひら)、直角方向の面を妻(つま)という。。棟と平行な平側(軒先側)に入口がある場合を平入りという。屋根の棟と直角の面に入口がある場合を妻入りという。出雲大社の「大社造り」は、切妻屋根の妻側に入口を持つ「妻入り」が特徴である。伊勢神宮などの神明造りでは平側に入口がある「平入り」である。
雨漏りリスク
屋根と壁のつなぎ目部分が両側2個所と少ないので、構造が単純になり雨漏りリスクが少ない。屋根に傾きがあるので雨は屋根を急速に伝わり落下するので、雨漏りリスクが少ない。勾配が急になるほど雨漏りリスクが減る。
参考文献
- 石野博信(2006)『古代住居のはなし』吉川弘文館
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