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調銭2024年06月13日 00:19

調銭(ちょうせん)は税金である調を物品ではなく、銭で納めた銭をいう。

概要

租庸調は飛鳥時代から奈良時代に施行された税制度である。 調は布や各地の特産物(絹・糸、紙・工芸品など)を税として物納するものである。 708年(慶雲5年)正月、武蔵国から銅がとれたとの報告がなされた。政府は「和銅」と改元し、5月に銀の和同開珎、八月には銅による銭(和同開珎)を発行した。鋳銭司で銭を作っていた。 律令の規定では、調は物品で納めると規定されているが、銭の流通を図るため、調銭が新設された。709年には銀銭の流通を禁止し、銅銭だけを流通貨幣とした。 711年(和銅4年)には貴族の給料の一部を銭とした。712年(和銅5年)には、平城京造営の日当に一文(和同開珎一枚)が支払わた。 畿内近辺で税の調庸を銭で納めさせることにより銭を流通させる仕組みを作ったものである。当初、銭納は畿内だけであったが、722年(養老6年)には、伊賀、伊勢、丹波、播磨、紀伊などに広げた。

平安時代

平安時代には銭の流通を京と畿内だけに限定されたようである。「延喜式」では、左右京、山城、大和、河内、摂津、和泉の調銭が規定された。銭を都とその周辺に集中させるような政策をとったのである。銭の流通、畜銭が進んだため、都近辺では銭が不足し、また9世紀に入ると原料の銅が不足するようになったためと推測される。

考察

参考文献

  1. 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店

画文帯神獣鏡2024年06月13日 22:17

画文帯神獣鏡/明治大学博物館

画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)は中国後漢時代の銅鏡である。

概要

日本の古墳では出土例が多い銅鏡である。「画文帯」は外区の帯に車をひく竜や、飛ぶ鳥や、走る獣や、飛雲や、神仙などの絵画的な文様をいう。平縁部分の幅が広い。 「絵文様縁神獣鏡」「飛禽走獣文縁神獣鏡」とも呼ばれる。内区には神仙像を中心とする神獣文が表される。図像は浮彫により、細線を用いる細密表現がなされる。 ホケノ山古墳では画文帯の文様に仙人が走る姿が浮き彫りになっている。当初は左回りであった。右回りは後漢末期(3世紀始め)のものである。黒塚古墳では画文帯神獣鏡は木棺内に置かれた。立った状態で鏡背を南に向けて出土している。直径13.5センチメートで三角縁神獣鏡より一回り小さい。三角縁神獣鏡より重視されていたといえる。

位置づけと製作地

「それまでの北部九州に替わって初めて近畿地方に分布の重心を置いた中国鏡」との意見がある。画文帯神獣鏡は華南系であるため対江南貿易の主としておこなわれた四、五世紀の間にもたらされたと考えられている(樋口隆康(1960))。画文帯神獣鏡は主に後漢後期から西晋時代までに作られたとされる。製作は東漢末から三国、西晋代に中心があるとされる。

形式

画文帯神獣鏡は主文の構図により、同向式神獣鏡、環状乳神獣鏡 、求心式神獣鏡に分けられる。樋口隆康(1960)は三像対置式、騎獣神環線式、多神同行式、列仙重列式、独立像求心式に分けている。

出土例

  • 画文帯神獣鏡 - 柳井茶臼山古墳、山口県 柳井市、古墳時代前期末。約30片に割れた状態で発見された。内区に神像、走獣禽像を表す。県指定文化財。中国で作られた舶載鏡。
  • 画文帯神獣鏡 - 天神山古墳、奈良県天理市柳本町出土、径16.5cm。古墳時代、重要文化財。
  • 画文帯神獣鏡 - -和泉黄金塚古墳、中央槨の棺外から出土した画文帯同向式神獣鏡に、「景初三年」(239年)銘がある。
  • 画文帯神獣鏡 - --ホケノ山古墳、奈良県桜井市出土。古墳時代前期。
    • 大型品で精緻な表現である。直径19センチメートル 後漢製(舶載鏡)
  • 画文帯神獣鏡 --黒塚古墳、奈良県天理市、古墳時代前期

参考文献

  1. 樋口隆康(2005)「放射光を使った古鏡の分析」レーザー研究33 巻 Supplement 号
  2. 樋口隆康(1960)「画文帯神獣鏡と古墳文化」史林43 (5)、pp.673-689