釣手土器 ― 2024年10月27日 00:59

釣手土器(つりてどき)は、縄文時代の土器で、鉢型の土器の上に「釣り手」がついている土器である。吊手土器、香炉形土器とも言われる。
概要
釣手土器は縄文中期中葉(約5200年前)の八ケ岳南麓で誕生したとされ、そのルーツは顔面把手にある。中央高地では中期末葉で消滅する。 縄文時代後期のⅡ期になると釣手土器は関東・中部・東北で登場する。 縄文時代後期Ⅴ期、Ⅵ期になると釣手土器は東北北部に偏在する。
用途
用途は不明であるが、いくつかの説がある。灯火具説が有力とされる。
- 儀式・祭祀用具説
- 住居廃絶儀式用説
- 灯火具説
- 篝火台説
出土例
- 釣手土器 馬場小室山遺跡、縄文時代後期Ⅱ期
- 釣手土器 長竹遺跡、縄文時代後期Ⅱ期からⅢ期
- 釣手土器 西広貝塚、縄文時代後期Ⅳ期
- 釣手土器 鹿島台遺跡、縄文時代後期Ⅲ期
- 釣手土器 栗屋元遺跡、縄文時代中期後葉
- 釣手土器 祇園原貝塚、縄文時代後期Ⅲ期
- 釣手土器 多古田低地遺跡、縄文時代後期Ⅵ期
- 釣手土器 寒川町岡田遺跡、神奈川県寒川町、縄文時代中期
- 顔面付釣手土器 小諸市郷土跡出土
考察
用途は灯火具説が有力である理由は使用痕があること、炉の奥ないし脇から出土することである。灯火の油は何を使用したのであろうか。諏訪市博物館ではシカのラードを用いた実験を行っている。
参考文献
- 新津健(2002)「縄文中期釣手上器考」山梨県立考古博物研究紀要18
- 八幡一郎(1937)「釣手土器の型式」人類學雜誌
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