金井東裏遺跡 ― 2024年10月18日 00:13
金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)は群馬県にある古墳時代の遺跡である。
概要
金井東裏遺跡は渋川市中心部から北西3.3kmにある。榛名山北東山麓で吾妻川南岸に形成された段丘面上に位置する。古墳時代中期後半にムラが始まり、20棟以上の建物が建てられた。畠の痕跡もあり、竪穴系の埋葬主体部をもつ古墳が築かれた。6世紀の榛名山の噴火で大打撃を受けた。Hr-FA年代については火山灰層の埋没木の炭素14ウイグルマッチング年代に基づき、「西暦497+3/-6年」と同定されている(早川ほか2015)。榛名山の噴火は3回あり、特に6世紀の2 回の噴火は規模が大 きく、大量の降下火砕物や火砕流が生じた。「榛名-有馬火山灰噴火」は西暦400年から500年、「榛名-渋川噴火」は西暦489年から498年、「榛名-伊香保噴火」は525年から550年の間とされている。金井東裏遺跡を壊滅させた噴火は「榛名-渋川噴火」と見られる。
甲冑
火山噴火で被災した成人男性(1号人骨)が鎧を着た状態で出土したことは特筆される。甲冑は埴輪の形で示され、人が装着した状態で甲冑が見つかったのは初めてであった。 鎧は1800枚の小札を組紐でつなぎ合わせたもので、腰に鹿角装刀子、砥石を下げていた。 顔を守る頬当て、首を守る錣もそのまま残る。「甲を着た古墳人」として知られる。
人骨
合計4名の人骨が発見された。40歳代男性、30歳代女性、5歳前後の幼児、乳児である。 1号人骨は鎧を着たうつぶせの状態で出土した。3号人骨は身長143㎝前後の成人女性であった。3号人骨の頸部付近には碧玉製管玉12点とガラス小玉(破片を含む)70点が出土している。また、左腰部には臼玉27点が集中して出土した。身に着けていた可能性が高い。4号人骨は頭部を東方に向け両手と両足を広げた状態の伏臥位で倒れていた。4号人骨は歯の状態から5歳前後の幼児と推定される。 人骨の頭蓋骨の形質分析では男性は顔と鼻が細い渡来系であり、女性はあごが水平で鼻が広く、がっしりした顔つきの在地系(縄文系)であった。女性は出産経験があるとみられる。 歯のスロロンチウム含有量から、両者は同じ地質の地域で幼少期を過ごしたことが分かっている。
遺構
- 竪穴建物33
- 平地建物10
- 掘立柱建物1
- 古墳2
- 祭祀遺構5
- 畠14
- 道19
- ヒト足跡852
- 馬蹄跡952
遺物
- 小札甲2
- 衝角付冑1
- 鹿角製小札50
- 銀・鹿角併用鉾1
- 鹿角装鏃25
- 須恵器、土師器
- 玉類
- 鉄製品
指定
展示
- 渋川市埋蔵文化財センター
- 群馬県立歴史博物館
考察
金井東裏遺の埋没時期は、「榛名-渋川噴火」の地質的な噴火時期推定の西暦489年から498年と埋没木の炭素14ウイグルマッチング年代がほぼ一致しているので、497年頃と考えても問題ないであろう。公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団の報告書では、「5世紀末という年代については確定的とは言えず、保留としておきたい。」と慎重であるが、噴火時期は限られるので、保留にする必要はなかった。報告書は慎重に過ぎたと考える。
アクセス等
- 名称:金井東裏遺跡
- 所在地:群馬県渋川市金井
- 交通:
参考文献
- 公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団(2019)『金井東裏遺跡』公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書 第652集
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