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小田中親王塚古墳2025年12月29日 00:07

小田中親王塚古墳(こだなかしんのうづかこふん)は石川県にある4世紀代の円墳である。

概要

能登で最大の穀倉地帯である邑知平野は弥生時代から遺跡が現れる。小田中親王塚古墳は石動山麓の斜面に築かれ、北陸では最大の円墳である。『能登誌』では村人が田畑を広げるために墳墓を削ったところ、種々の異変が起こり、村人を怖れさせたという。しかし幕末までに盗掘が行われており、副葬品の一部が神社のご神体になっている。 宮内庁は第10代崇神大王の皇子「大入杵命墓」と定め、陵墓参考地とする。陵墓参考地のため詳しい調査はできない。

調査

従来は2段築成と見られていたが、宮内庁の調査により3段築成の大型円墳と判明した。副葬品として、銅鏡1面(三角縁波文帯三神三獣鏡)と鍬形石断片1の出土が伝わる。小田中の郷社である白久志山御租神社のご神体に銅鏡1面と碧玉製管玉1個がある。 清喜裕二 加藤一郎 土屋隆史(2015)によれば、宮内庁は平成23年5月31日から6月10日にかけてトータルステーションによる平板測量が行われた。墳丘斜面の傾斜角度は南側で25度、北側で28度から30度である。墳丘に葺石が見られる、石材は花崗岩と輝石安山岩である。宮内庁調査(清喜裕二 加藤一郎 土屋隆史(2015))によれば、墳丘裾の直径65m、墳丘高さ最大14m、墳頂平坦面の直径約21mとされる。

三角縁波文帯三神三獣鏡

完形品で面径21.2cmから21.4cmである。鈕は半球形、鈕孔は長方形、外区に鋸歯文、複線波文が表される獣像は龍とみられる。白久志山御租神社所蔵資料である。

名称

現在は「親王塚」と表記されるが、『平家物語』には「新王塚」と表記されており、幕末の勤王思想により名称が変化したと考えられている。

規模

  • 形状 円墳
  • 築成 後円部:2段
  • 規模 径67m、高15m

遺構

遺物 

  • 三角縁波文帯三神三獣鏡1
  • 三角縁獣文帯三神三獣鏡1
  • 鍬形石
  • 管玉

築造

指定

展示

考察

アクセス

  • 名称:小田中親王塚古墳
  • 所在地: 石川県鹿島郡中能登町小田中井部111番地外
  • 交通: JR羽咋駅前から北鉄バスで七尾駅域に乗車、小田中バス停下車、徒歩10分

参考文献

  1. 清喜裕二 加藤一郎 土屋隆史(2015)「大入杵命墓の墳丘外形調査および出土品調査報告」『書陵部紀要』第66号
  2. 大塚初重編(1981)『探訪 日本の古墳』有斐閣
  3. 和田文次郎編(1896)『能登誌. 初編』和田文次郎