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取掛西貝塚2024年07月08日 00:18

取掛西貝塚(とりかけにしかいづか)は、千葉県船橋市にある縄文時代の貝塚である。

概要

千葉県船橋市飯山満町1丁目から米ケ崎町に渡る東京湾に面した標高約25mの下総台地上に立地する縄文時代の遺跡である。範囲は東西約320m、南北約100m 、面積は約76,000平方メートルである。宮前川と飯山満川に開析された東西に長い舌状台地上にある。 取掛西貝塚は東京湾東岸部で最も古い貝塚を伴う集落跡であり、地域で貝塚が形成されはじめた時期の環境や人々の生活・文化を知ることができる。

調査

平成11年(1999年)から令和2年(2020年)まで、8回の発掘調査を実施した。発掘調査の結果、約1万年前(縄文時代早期前葉)と約6千年前(縄文時代前期前半)の2つの時期の貝塚を伴う集落跡を検出した。50棟を超える縄文時代早期前葉の竪穴建物を検出している。

貝層

遺跡の東部で見つかった竪穴建物には厚さ70cmの貝層が堆積していた。貝類は99%以上が汽水域に生息するヤマトシジミであった。しかし魚類は淡水域から内湾の沿岸部に生息するクロダイ属、スズキが見られることから、広範囲で漁労を行っていた。丸木船で東京湾に進出していたのであろう。動物はイノシシ、シカが中心であるが、タヌキ、キツネ、ノウサギなど小型哺乳類、キジ、カモなどの鳥類も見られる。

  • 縄文時代早期前葉…ヤマトシジミ(汽水産)主体
  • 縄文時代前期前半…ハマグリ、ハイガイ、マガキ(内湾干潟産)主体

堆積した貝殻に混じり縄文人が食べた動物の骨がたくさん見つかった。貝塚の下から動物の骨(主にイノシシ・シカの頭骨)が集められた状態で見つかり、その場で火を炊いた痕跡が残っていた。

  • 哺乳類(イノシシ、シカ、タヌキ、キツネ、ノウサギ、ムササビなど)
  • 鳥類(キジ類、カモ類、ハクチョウ類、キジバトなど)
  • 魚類(クロダイ属、スズキ、コイ科、フナ、アユなど)

遺構

  • 竪穴住居跡(縄文時代早期前葉)…58軒
  • 竪穴住居跡(縄文時代前期前半)…18軒
  • 竪穴住居跡(弥生時代中期後半)… 6軒
  • 遺構内貝層(縄文時代早期前葉)… 6基(竪穴住居跡5軒、土坑1基)
  • 遺構内貝層(縄文時代前期前半)… 7基(竪穴住居跡7軒)

遺物

  • 縄文土器(井草式、稲荷原式、花輪台式、東山式、平坂式、大浦山式など)
  • 石器(石鏃、礫斧、石皿、スタンプ形石器、磨石など)
  • 骨角歯牙製品(刺突具、骨鏃、針、錐、装身具など)
  • 貝製品(貝刃、装身具など)
  • 動物遺体(鳥獣骨角、貝、魚骨など)
  • 植物遺体(炭化種実、土器圧痕など)

考察

貝殻の食物をみると、現代人の食卓より豊かな食生活ではないかとも見られる。稲作はまだ無いので、1日の摂取カロリーはどうであったろうか。里浜貝塚の縄文人の例とみると、1日に2390キロカロリーのエネルギーを摂取し、たんぱく質や脂質、ビタミン類やミネラルはしっかりとっていた。それでも人口学者の小林和正は縄文時代前期から晩期にいたる男性133体、女性102体の人骨を調べ、縄文人の平均寿命を推定した。縄文人の平均寿命は男性31.1歳、女性31.3歳とされた。十分に栄養をとれない冬などの時期もあったと想定される。

指定

  • 令和3年10月11日 - 国の史跡指定 - 船橋市では初

アクセス

  • 名称:取掛西貝塚
  • 所在地:千葉県船橋市飯山満町
  • 交 通:東葉高速鉄道 飯山満駅 北西800m

参考文献

  1. 文化庁(2022)『発掘された日本列島2022』共同通信社
  2. 船橋市教育委員会(2011)『取掛西貝塚総括報告書』
  3. 小林和正(1967)「「出土人骨による日本縄文時代人の寿命の推定」、『人口問題研究102』国立社会保障・人口問題研究所