金冠塚古墳 ― 2024年07月10日 21:44
金冠塚古墳(きんかんづかこふん)は群馬県前橋市にある古墳時代の前方後円墳である。 「山王金冠塚古墳」「上陽村14号墳」ともいう。
概要
金銅製冠を出土したことで知られる古墳である。旧利根川が前橋台地を浸食して形成された、河岸崖沿の台地に所在する。朝倉・広瀬古墳群を構成する古墳の1つである。 かって「山王二子山古墳」と呼ばれていたが、1889年(明治40年、案内板は大正4年)、横穴式石室から金冠の金属片が多数出土したので、「金冠塚古墳」という名称で統一された。戦前に出土した遺物は、帝室博物館(東京国立博物館)で収蔵する。20年後に金銅製冠が復元された。 標高84m。墳丘一部現存。1907年乱掘あり。石室内はすでに荒らされていた。
発掘調査
1981年、前橋市教育委員会が調査した。 埋葬施設は南に開口する横穴式石室であり、全長約7.5m、奥壁の幅2.5m、後室・前室・羨道からなる複室構造である。榛名山二ツ岳起源の軽石(角閃石安山岩)を加工して積み上げて造られた。天井石は150cm×215cmの複輝石安山岩で羨道部に使用されたものと思われる。 葺石は根石に長径20cmから45cm、厚さ15cmから30cmの大きめの河原石を使用し、その上に長径20cm、厚さ5cmから7cmの扁平な河原石を小口積みとする。石室内から副葬品として金銅製冠・金銅製大帯・冑のほか装身具・武器・武具・馬具など多数が出土した。 円筒埴輪、形象埴輪は多量であるが、著しい削平のため、原位置を保っていない。多くは破片であり、復元は不可能であった。鉄鏃は細身で鋭い尖根式と見られる。
金銅製冠
追葬によって床面は3層に分かれており、各層から計13体分の人骨のほか金銅製飾金具や玉類、馬具、須恵器などが出土した。大正4年(1915)に出土した金銅製冠は、古代朝鮮半島三国時代の「出の字」型の新羅式冠(山字形金冠)である。朝鮮半島の文化の影響が見られる。額に巻く帯から、頭部が宝珠形で「出」字形の装飾が立ち上がった形態の金銅製の冠である。立飾り5個を、頭にかぶる部分の輪に鋲でとめ、形を作る。細部の文様は、精巧な打ち出し技法で描き出される。東京国立博物館が所蔵する。冠が出土した古墳は奈良県の藤ノ木古墳、熊本県の江田船山古墳、栃木県の桑57号古墳(小山ゴルフクラブ内古墳群)、千葉県の浅間山古墳、茨城県の三昧塚古墳(前方後円墳)などがある。江田船山古墳の冠は百済系で対照的である。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:2段
- 墳長 現存52.2m
- 後円部 径32.3m
- 前方部 幅推定42m 長19.9m
外表施設
- 埴輪 円筒埴輪 円筒・朝顔形
- 葺石 あり(河原石)
主体部
- 室・槨 横穴式石室(両袖型・切石積み、N-63-E)
遺物
- 【装身具】金銅製天冠・大帯1
- 【玉類】<碧玉>管玉1<メノウ>管玉4
- 【武器】<鉄刀>2以上<鉄槍>5以上<鉄鏃>多数
- 【武具】挂甲
- 【馬具】素環状鏡板付轡1以上・雲珠1以上・辻金具1以上
- 【土器】<須恵器>はそう1・杯身1・蓋2・脚付坩1
築造時期
- 6世紀後半
被葬者
展示
- 東京国立博物館 - 金銅製冠、金銅製大帯、鉄鉾、衝角付冑
指定
- 1986年(昭和6年) - 前橋市指定史跡。
アクセス等
- 名称 :金冠塚古墳
- 所在地 :群馬県前橋市山王町1丁目
- 交 通 :バス停団地南/日本中央バスから徒歩2分
参考文献
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂
- 前橋市教育委員会(1981)「金冠塚(山王二子山)古墳調査概報」
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2024/07/10/9700185/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。