内道西遺跡 ― 2024年09月30日 00:11
内道西遺跡(うちみちにしいせき)は縄文時代から平安時代までの複合遺跡である。
概要
さいたま市のJR埼京線与野本町駅から西南西に約1km、大宮台地の縁辺部に位置する。遺構の標高は12mから13mである。南側に諏訪坂遺跡、東側に内道東遺跡、北側に相野谷東遺跡がある。
第7次調査
縄文・弥生・古墳の3時期の遺跡を同時に確認した。遺構確認面までの深さは約40cmである。
縄文時代
縄文時代早期の住居跡が発見された。検出遺構は縄文時代中期の炉跡及びピット群(柱穴) 土器が埋没した土坑を確認した。炉跡の北半分はより新しい溝により壊されていた。南半分のみが残存する。周囲にピットが多く検出される。 土坑の土器は縄文時代中期である。上部を削られてしまっている。 竪穴式住居のような掘り込みを持たない平地式住居?がある。
弥生時代
第4号住居跡は弥生時代の竪穴式住居跡などである。直径約4.5mの円形である。壁周に溝があり、確認面からの掘り込みの深さは約60cmである。床面に張床が認められ、中央よりやや北側の床面に炉跡を検出した。住居跡の形態と遺物から、弥生時代後期の住居跡と見られる。 出土土器は縄文時代が多く、弥生時代の遺物はわずかである。
古墳時代
竪穴式住居跡1軒(第2号住居跡)を確認した。南東部(床面が一段低い部分)は、調査時には第1号住居跡としていたが、柱穴等はないため性格不明の竪穴状遺構とみられる 出土土器は縄文時代が多いが古墳時代の土師器もみられる。壁周溝があり床面に柱穴とみられるピットを複数検出した。 古墳時代の竪穴式住居跡、第3号住居跡、古墳時代前期の住居跡で長軸7mを超える住居跡は珍しい。
住居跡 3軒、第1・2号住居跡
遺構
縄文時代
- 早期住居跡1
- 中期住居跡1
- 後期住居跡1
- 縄文時代住居跡1
- 基・土杭98
- ピット1
遺物
縄文時代
- 早期土器
- 前期土器
- 中期土器
- 後期土器
- 石器
指定
考察
アクセス等
- 名称:内道西遺跡
- 所在地:埼玉県さいたま市中央区上峰2丁目
- 交通:JR埼京線与野本町駅から徒歩15分
参考文献
- さいたま市教育委員会(2020)「さいたま市内遺跡発掘調査成果発表会」
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