横瀬古墳 ― 2023年05月26日 22:08
横瀬古墳(よこせこふん)は鹿児島県曽於郡大崎町に所在する5世紀半ばの前方後円墳である。埴輪のある日本最南端の前方後円墳である。大塚山古墳とも言われる。
概要
志布志湾の海岸線から約1km入った標高約7mの水田の中にある。鹿児島県内では唐仁大塚古墳に次ぐ、規模第2位の古墳である。鹿児島県内の代表的な古墳である。志布志湾の海岸線より約1キロ入りこんだ標高約7メートルの水田の中にある。 1824年(文政7年)の『大崎名勝誌』に記載されている。1902年(明治35年)頃、盗掘被害を受けるが、直刀・甲冑、鎧、勾玉類が出土したと言われている。江戸時代には石棺が露出していた。出土品は町中央公民館資料室に展示される。その後の調査では周濠の存在も確認されている。墳丘や濠から畿内地方の土器が出土した。墳丘周囲には周濠(盾形か)が巡らされている。滑石製品・須恵器(5世紀後半~6世紀初頭)なども出土した。
調査
平成22年、23年にトレンチ調査が行われた。甕、円筒埴輪、形象埴輪が出土した。外濠が作られていることが判明した。本格的な発掘調査は行われていない。後円部の中心よりやや前方部よりに竪穴式石室が露出する。 前方部は神社建設により一部破壊される。後円部頂は耕作により削平。12 月に横瀬古墳を中心として,2010、周辺の地中レーダー探査を実施した。トレンチの設定ができなかった箇所に土壌サンプラーを用いて土壌サンプリングを行った。地中レーダー探査の結果,横瀬古墳の周溝の位置を概ね把握できた。前方部の北側や後円部の南側では明らかに二重の濠を持つ可能性が非常に高いことが判明した。鹿児島県教育委員会の周濠確認調査では,周濠埋土内に葺石と思われる遺物は確認されておらず,古墳上にも葺石らしき石は見当たらない。*規模
- 前方後円 築成
- 前方部:1段、後円部:1段
- 墳長 134m 内濠墳丘側壁面の下端間。
- 総長 192m 南北の外濠の掘り込み上端間
- 後円部 径72m 高9.1以上
- 前方部 幅82m 長61m 高8.5m
- 外表施設 円筒埴輪 円筒・朝顔形Ⅳ式
- 形象埴輪 楯・草摺、馬・水鳥、武人、
- 葺石 なし
- 主体部室・槨 竪穴式石槨
築造時期
5世紀半の築造とされている。
被葬者
被葬者は中央政権と深い結びつきのある相当の権力者と推測されている。
指定
- 1943年(昭和18年)9月8日、国の史跡に指定。
出土品
アクセス等
- 所在地:〒899-7304 鹿児島県曽於郡大崎町假宿1029 番地
- 交通: 鹿児島交通バス 大崎三文字バス停から徒歩で35分2.2Km
参考文献
- 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
- 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
- 鹿児島県大崎市教育委員会(2016)『横瀬古墳』
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