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天之日矛2025年04月12日 00:32

天之日矛(あめのひぼこ)は『古事記』に登場する伝説的人物で、応神の時代に新羅から渡航した渡来人とされる。『日本書紀』は「天之日槍」と記す。

概要

『古事記』では天之日矛は応神紀に登場するが、その時期は「昔」となっている。天之日矛は新羅の国主の子と示される。渡航した由来は、天之日矛が妻を責めたとき「私はあなたの妻になるべきものではない。祖先の国に行く」として難波に逃れた。妻を追って天之日矛は難波に向かったが、海神が遮ったため入れず、但馬に着いた。そこで俣尾の娘の前津見と結婚して子を産んだ。天之日矛の子孫は神功皇后の母となった。 『日本書紀』では垂仁3年3月に天之日槍が帰化したと記載する。渡来時に、羽太の玉(一書は「葉細の玉」)、足高の玉、赤石の玉、出石の小刀、出石の鉾、日鏡、熊の神籬、胆狭浅の太刀の八神宝を持参したとする。近江国「鏡村谷」(蒲生郡竜王町)の陶人は従者となった。天之日槍は『古事記』と同じ、但馬に住んだ。 『播磨風土記』では韓国(からくに)からやってきて、住む土地がほしいと天之日槍命は葦原志挙乎と土地争いをし、志挙乎は海の中なら良いと許す。天之日槍は剣で海をかき分け出来た島に宿った。志挙乎はその霊力に畏れをなし、天日槍命より先に国を抑えるべく北上した。天之日槍命は伊和の大神と戦争をして8000の軍勢を動員したのでその地を「八千軍(やちぐさ)」という。

考察

『播磨風土記』は天之日槍命と書き、神と認識している。『古事記』『日本書紀』では「命(みこと)」は書かれないので、ただの人間扱いである。神功皇后の祖先は天之日槍とされている、すなわち新羅の出身ということになる。

参考文献

  1. 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋(1994)『日本書紀』岩波書店
  2. 倉野 憲司(1963)『古事記』岩波書店
  3. 武田祐吉(2016)『風土記』岩波書店

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