唐招提寺 ― 2025年06月08日 17:03
唐招提寺(とうしょうだいじ)は唐の高僧の鑑真和上により奈良時代中期に創建された南都六宗の一つである律宗の総本山である。
概要
鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、759年(天平宝字3年)、官が没収していた新田部親王の旧邸宅を下賜されたのが唐招提寺の始まりである。戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として唐招提寺を開いた。当初は戒律を説く学問所として「唐律招提」という名称であった。唐では官寺でない寺を「招提」と称しており、四方から僧が集まり居住する所を意味した。
建築の変遷
当初の建物は講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵だけであった。僧坊は藤原清河 邸から施入された。8世紀後半の鑑真の死後に金堂が完成した。 平安末期には興福寺の末寺となった。1900年(明治33年)に興福寺から独立して律宗総本山となる。1998年(平成10年)、奈良時代の建築が残るものとして、世界遺産のひとつとして登録された。天平時代の金堂と講堂が残るのは唐招提寺だけである。金堂の柱間は中の間の三つが等間隔が一般的であるが、当金堂は中央の間から端の間に向けて逓減している。金堂の垂木の伐採年代は781年と判明しているので、金堂の建立はその数年後であろう。『招提寺流記』に、食堂は藤原仲麻呂家から施入され、羂索堂は藤原清河家から寄進されたと記される。両者とも現在は失われている。
金堂
- 国宝 奈良時代(8世紀後半)
- 奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものである。
- 外観は、正面桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺で南面する。
講堂
- 国宝 奈良時代(8世紀後半)
- 平城宮の東朝集殿を移築・改造したものである。
宝蔵
- 国宝 奈良時代(8世紀)
- 唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵より一回り大きい。
鼓楼
- 国宝 鎌倉時代 仁治元年(1240)
経蔵
- 国宝 奈良時代(8世紀)
- 高床式の校倉
- 唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれる。
- 唐招提寺で最も古い建造物
礼堂
- 重要文化財 鎌倉時代
- 礼堂は、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂である。
基本事項
- 名称:唐招提寺
- 本尊:盧舎那仏
- 宗派:律宗
- 拝観時間:8:30~17:00(受付は16:30まで)
- 拝観料 大人・大学生 1000円
- 国宝 鑑真和上坐像 特別公開 1000円
- 所在地:〒630-8032 奈良県奈良市五条町13-46
- 交通:近鉄西ノ京駅徒歩10分/ 奈良交通バス「唐招提寺」「唐招提寺東口」
参考文献
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