惣座遺跡 ― 2025年08月09日 00:56
惣座遺跡(そうざいせき)は佐賀県佐賀市にある弥生時代の遺跡である。
概要
福岡県と佐賀県の県境に位置する山地の脊振山系から流下する嘉瀬川が形成する扇状地の扇頂近くに惣座遺跡は所在する。縄文時代から平安時代にまたがる複合遺跡である。 弥生時代後期には外壕と内壕を二重に巡らす環濠集落が形成された。遺物は倭製鏡、銅剣・矛の石製鋳型、石錘などである。土壙墓から銀製指輪および大量のガラス製小玉が一括して出土した。銀製指輪は3個が発見された。径2センチメートル前後で、針金状の薄板を曲げて作り、純度の高い銀が使われる。ガラス製管玉は総数6,810個であった。
発掘調査
九州横断自動車道建設に伴う発掘調査である。検出した弥生時代の遺構は溝5条・竪穴住居跡43棟・掘立柱建物跡14 棟・柵2列・石蓋土墳墓1基・聾棺墓3基・土墳11 基であった。遺物は弥生後期後半~終末を中心とする土器、鉄器(農工具) ・石器が多く、また鏡は舶載鏡片l点と完形品l点を含む小型伶製鏡3点分以上などが出土した。竪穴住居跡、および掘立柱建物跡は総数57 基に及んでいる。弥生時代の掘立柱建物跡は集落の中で高床倉庫など特別な機能をもつと推定される。埋葬遺構を4基検出し、1基は後期前半の小壷を副葬し、他3基は蓋棺であった。
石製鋳
石製鋳型は上下端が割れた破片であり、残存長5.2cm、残存幅4.2cm。表裏両面に銅剣型、側面に銅矛型、計3本分の型が彫り込まれる。これから鋳造された製品は剣・矛とも細形形式である。青銅器生産の開始は弥生前期前半まで遡ることが明らかになった。
環壕
外壕は途中で吉野ヶ里遺跡に似る弧状の突出部を持つ。環濠は古墳時代前期に埋没してしまう。壕は西側の最も残りの良いところで幅2.8m、深さ0.9m である。削平により、現在より0.5m程度は壁面が高かったと考えられるので、それから復元すると元の幅は約4.0m、深さ約1.4m程度と見られる。土塁が付設されていたとすれば濠底からの高さは人の背丈をこえ、防禦機能を果すに十分な高さとなることが推定された。内濠のほぼ中央と対応する位置にIケ所弧状突出部が造られ、さらにその東側にも約58m離れて別の弧状突出部が設けられている。第I突出部、第2突出部という。ほかに第3突出部がある。第I突出部は半円形であるが、第2突出部の突出度は小さい。
遺構
- 土壙墓
- 竪穴建物
- 溝
- 土坑
- 土壙墓
- 甕棺墓
遺物
- 弥生小型倭製鏡(内行花文鏡)(銘文なし、欠損6.25cm、1978年発掘)
- 弥生小型倭製鏡(銘文なし、完形、1984年発掘、大和町教委蔵)
- 弥生小型倭製鏡(銘文なし、8.0cm、1983年発掘、佐賀県教委蔵)
- 弥生小型倭製鏡(完形7.5cm、1983年発掘)
- 弥生小型倭製鏡(内行花文鏡)(銘文なし、完形6.1cm、1977年発掘、佐賀県立博物館)
- ガラス製管玉
- 鉄斧
- 鍬鋤先
- 鉄鎌
- 刀子
- ヤリガンナ
- 手鎌
- 鉄鏃
- 壺
- 甕
- 高杯
- 器台
- 支脚
- 鉢
- 銅剣鋳型1
- 弥生土器
- 鉄器
指定
- 平成2年3月30日 石製鋳型、銀製指輪、ガラス小玉 佐賀県指定重要文化財
展示
所在地等
- 名称:惣座遺跡
- 所在地:佐賀県佐賀市大和町久池井六本杉3057
- 交通:JR長崎本線神埼駅から西鉄バス「惣座」バス停下車、徒歩約10分。
参考文献
- 佐賀県教育委員会(1990)「惣座遺跡」
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