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上岩田遺跡2025年08月09日 00:55

上岩田遺跡(かみいわたいせき)は福岡県小郡市にある縄文時代から飛鳥時代、奈良時代にかけての複合遺跡である。

概要

筑紫平野の北、宝満川の東岸台地の標高19m程度に位置する。 縄文時代では落とし穴や甕棺墓が見つかっている。弥生時代中期から後期の周溝と溝が見つかっている。 飛鳥時代では大型建物群、柵列、道、住居、井戸が見つかった。古代(飛鳥、奈良時代)では基壇建物、掘立柱建物、道路、竪穴建物、土坑、土壙墓、木棺墓、火葬墓、溝、土採穴、柵、ピットが見つかっている。計画的で規格性をもつ大型掘立柱建物群である。小郡官衙遺跡に先行する官衙または郡司の住居推定されており、国史跡に指定された。

調査

1995年から1999年にかけて発掘調査が行われ、縄文時代の落とし穴約140、弥生時代、古墳時代から奈良時代にかけての350軒、掘立柱建物200棟、土坑350基、道路上遺構を多数検出した。奈良時代では鬼板瓦、垂木先瓦、軒丸瓦、平瓦、獣脚硯、土器、墨書土器、土馬が出土した。

寺院跡

7世紀後半から8世紀前半の遺跡として、東西約18m、南北約15mの規模でに版築で土を固めた基壇が見られた。瓦葺の建物は、建物は3間、四面の金堂寺院と想定される。 礎石、根石を抜き取った孔が見つかったが、礎石は出土していない。2間×3間の4面の庇がついている。基壇とその周辺から、鬼板瓦、垂木先瓦、軒丸瓦、平瓦、丸瓦が出土したが、軒平瓦は出土しなかった。 基壇に多数の地割痕があり、建物群は地震のため倒壊したと推測される。『日本書記』天武7年(678年)条記載の筑紫大地震で建物に多大な被害が出たと考えられることから、その後、役所機能は小郡官衙遺跡へ移転されたと見られる。地震の最大震度はマグニチュード6から7と想定されており、筑後平野に大きな被害を与えた。白鳳時代に上岩田廃寺が創建され。基壇上部の縁辺や斜面には東西、南北方向に幅2cmから25cmの地割れにより、版築層がずれていた。寺の金堂は筑紫大地震によって倒壊した可能性が高い。造営から倒壊まで約30年である。

遺構

縄文時代

  • 落とし穴 - 縄文早期、縄文後期
  • 甕棺墓

弥生時代

  • 周溝

古墳後期から奈良時代

  • 竪穴建物200+
  • 井戸1
  • 掘立柱建物
  • 基壇建物
  • 道路
  • 竪穴建物
  • 土坑
  • 土壙墓
  • 木棺墓
  • 火葬墓
  • 土採穴
  • ピット

飛鳥時代

  • 大型建物群
  • 柵列
  • 住居
  • 井戸
  • 基壇建物
  • 掘立柱建物
  • 竪穴建物
  • 地震痕跡
  • 製塩土器
  • 土製品
  • 土馬
  • 鉄製遺物

奈良

  • 基壇
  • 土坑

遺物

  • 須恵器、
  • 土師器、
  • 瓦、
  • 石帯、
  • 硯、
  • 墨書土器、
  • 刻書土器
  • 鬼板瓦
  • 垂木先瓦
  • 軒丸瓦
  • 平瓦
  • 獣脚硯
  • 土器
  • 墨書土器
  • 土馬

指定

  • 1971年 国指定 史跡名勝天然記念物 小郡官衙遺跡
  • 2000年 追加指定 史跡名勝天然記念物 上岩田遺跡 小郡官衙遺跡群

展示

  • 小郡市埋蔵文化財調査センター 一部を展示

アクセス

  • 名称:上岩田遺跡
  • 所在地:〒838-0121 福岡県小郡市上岩田1082
  • 交 通: 甘木鉄道 松崎駅 徒歩6分。

参考文献

  1. 小郡市教育委員会(2018)「上岩田遺跡15」小郡市文化財調査報告書

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