倭人字磚 ― 2025年11月29日 22:54
倭人字磚(わじんじせん)は「倭人」の字が刻まれた古代中国の出土煉瓦である。 「倭人磚」とする論文もある。
概要
倭人字磚は1977年に中華人民共和国安徽省亳県の郊外の元宝坑村一号墓から出土した多量の字磚のうちの1つである。古墳群は「曹氏墓」と呼ばれ、魏を建国する曹操の祖先一族の墓である。墓の主は会稽の太守であったことは出土した磚から判明している。
「元宝坑村一号墓」は曹一族の曹胤(そういん)または曹騰の墓の可能性が考えられている。曹騰は曹操の父である曹嵩の養父である。つまり魏の武帝の曹操と同族となる。墓の築造年代は後漢末の建寧年間(168年から172年)である。古墳群の発掘は1974年から亳県博物館の副館長である李燦(り さん)らによって行われた。元宝坑一号墳の一基だけで154点の字磚が出土している。
磚の製作年代
出土磚の中に「建寧三年四月」と書かれたものがあるため、磚が焼かれた年代は西暦170年と特定できる。これは中国の霊帝の時代であり、倭国は「倭国乱」の頃である。
倭人字磚の文字
倭人字磚には「有倭人以時盟不」と刻まれている。この意味は「倭人、時を以て盟することありや」とされる(森浩一(2016))。「不」は直前の「盟」に対する疑問を表す。「不」の類例として、『魏志』東夷伝「東沃沮条」に「海東復有人不」がある。これは「海東に人があるだろうか」という意味に解されている(森浩一(2016))。この「倭」は日本列島に住む倭人を指しているかが問題となるが、森浩一(2016)は(1)朝鮮半島にいたであろう倭人と結びつけるのは日本列島に住む倭人の場合と比べて可能性は少ないとし、また(2)倭人伝にいう倭人ではないとするのは問題にならない、としている。
考察
倭人字磚に書かれる倭人が倭人伝に登場する倭人であるとすれば、年代は「倭国乱」の時期なので、中国人の目から見て「倭人が争乱をやめて会盟することはあるのだろうか」と解釈することが可能である。つまり、倭人字磚は卑弥呼共立の前夜の倭国の状況を表しているとと解釈することは可能である。これは李燦、森博達訳(1983)に「倭国乱の収拾を図ることは漢朝としても容易ではなく、解決策として(倭人間の)会盟を図るため漢朝が調停の労を執った」と指摘していることから、倭人字磚を倭国乱と結びつけることは自然な発想といえる。つまり同時代の中国で「倭国乱」を認識していた可能性がある。
参考文献
- 森浩一(2016)「曹氏墓出土の倭人字磚と二、三の問題」『森浩一著作集』第4巻、新泉社
- 森浩一(2016)「倭人磚と会稽」『森浩一著作集』第4巻、新泉社
- 李燦、森博達訳(1983)「倭人字磚-古代日本と中国との交流」『歴史と人物』151,中央公論社
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