田下駄 ― 2024年01月03日 14:09
田下駄(たげた)は弥生時代以降の農具で、田圃において体が沈まないようにするためのものである。
概要
水田の田植え、稲刈りなどで使う。木下忠は代踏み(土を均す)や緑肥の踏込み(肥料を踏み込み、土と混ぜ合わせる)に使用するものを「大足」とする。 足を乗せるための足板だけで使うものと、部材を四角く組んだ枠を足板に取りつけた枠木を使用するものがある。足板には足と直交する方向に履く「横長田下駄」と、足と平行する方向に履く「縦長田下駄」とがある。兼康保明(1985)は、横長田下駄、枠付き横長田下駄、縦長田下駄、枠付縦長の4種類に分類した。親指を挟む紐孔には右足用と左足用があり、それぞれ穴の位置が偏る。であり,3から4の孔をあけ、鼻緒をつけて縄を通して履いた。横長田下駄では4つの紐孔をつけたものが一般的である。足の形に合わせて、つま先側の2孔の間を広くし、かかと側の2孔の間を狭くする。枠付き横長田下は弥生時代Ⅴ期以降に登場する。縦長田下駄は3つの孔があるのが一般的である。 鳥取県内から出土した弥生時代から古墳時代の田下駄約50点の8割が横長であった。古代の鳥取県では、田下駄は横長向きに履くのが主流であった。横長では足が沈みにくく、歩きやすかったかもしれない。登呂遺跡でも横長が主流であった。 足板は紐孔がないものが多く、枠木でからませた紐で足に取り付けたと考えられる。東海地方の一部と山陰地方では、板の両側に切りこみを入れてそこに紐を掛けて足を固定するタイプもあった。 田下駄のサイズは長さ約 30~60cm,幅約 15~20cmである。登呂遺跡の田下駄の材質は杉と推定されており、板の四隅が丸く加工され、丁寧に仕上げられていた。。
出土例
- 田下駄 - 唐古・鍵遺跡、奈良県、古墳時代
- 田下駄 - 登呂遺跡、静岡県静岡市、弥生時代後期
参考文献
- 田中琢・佐原信(2011)『日本考古学事典』三省堂
- 木下忠(1985)『日本農耕技術の起源と伝統』雄山閣
- 兼康保明(1985)「田下駄」『弥生文化の研究』第5巻 (道具と技術 1)、雄山閣出版
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