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石核2024年01月02日 14:04

石核(せっかく,core)は原石から剥片をはがし取ったあとに残る母岩をいう

概要

打製石器の製作では自然礫に打撃を与えてその端や周辺を打ち欠くが、剥離が生じたかけらの側を「剥片」、残った礫の中心部を「石核」という。石核を石器に仕上げると石核石器という。打撃の打面が1面だけ野場合は「単打面石核」、打面が剥離作業面の上下にあるものを「対向打面石核」という。 剥片をはがした後には凹形のバルブが残る。残った剥離面の形や切合いからどのような作業が行われたかを推定できる。これは打製石器の中で最も古い形式である。 石刃石核の製作では、薄く細長い剥片を得るが、剥離作業の前に石核調整を行い、剥離作業を行うが、そのプロセスにおいても打面調整や打面再生を繰り返して製作する。 剥片を取り尽くしたものを「残核」というが、ときには再加工して用いられたものもある。打面転移を繰り返し剥片剥離を行ったため、多面体の残核残核は極限まで剥離が進められて放棄された資料である。八幡一郎(1935)は黒色牛透明の黒曜石の石核を報告した、カムチャツカに石核の發見があり、更に石核・石匁は北米からメキシコにまで發見される核(nucleus)であるが、アイヌの所持品から見つかったことは、北海道・樺太方面にこのような技術による細石器的石器の探索が重要となると指摘した。

円盤形石核

阿部 祥人(1992)は1990年、山形県の寒河江市長岡山の標高180の尾根上で発見された円盤形石核を報告した。輪郭がほぼ円形の頁岩である。縄文時代以前のナイフ形石器の時期における技術基盤は石刃であるが、本資料はそれと結びつかず、シリア・ドゥアラ洞窟出土のルヴァロアタイプの石核表面に残された剥離工程と類似すると指摘した。

出土例

  • 石核 - 山方遺跡、茨城県常陸大宮市、後期旧石器時代
  • 石核 - 天祖神社東遺跡 - 東京都練馬区、縄文時代中期
  • 石核 - 岩宿遺跡 – 群馬県みどり市、旧石器時代
  • 石核 - 神子柴遺跡 – 長野県上伊那郡、先土器時代
  • 石核 - 中原遺跡 - 佐賀県唐津市

参考文献

  1. 田中琢・佐原信(2011)『日本考古学事典』三省堂
  2. 阿部 祥人(1992)「山形盆地の丘陵上で発見された円盤形石核について」第四紀研究/31 巻4号,pp.255-257
  3. 八幡一郎(1935)「北海道の細石器」人類學雜誌/50 巻3号,pp.128-130

前漢鏡2024年01月02日 16:01

前漢鏡(ぜんかんきょう)は中国の前漢時代(紀元前202年~紀元8年)につくられた鏡である。

概要

岡村秀典(1984)は漢鏡は文様と銘文が多様であり、時間の変化が激しいとする、 広範な地域に出現し、多数の遺跡から出土するため、年代決定の材料として中国・朝鮮・日本で重視されている。体系的な編年は、富岡健蔵、梅原末治、樋口隆康により進められてきた。紐座、主文、乳、周縁などをもとに形式分類が行われた。 紀元前2世紀前半には戦国鏡の特徴を残した蟠螭文鏡があり、紀元前2世紀後半では草葉文鏡が登場する。前1世紀前半に篆書体の銘文が主となり、連弧文を加えた銘帯鏡のほか星雲鏡が登場する。前1世紀後半には方格規矩四神鏡や獣体鏡、爬龍鏡が登場する。 日本では弥生Ⅲ期、Ⅳ期の甕棺から出土する。暦年代を決定する手がかりとして重要となる。

編年

岡村秀典(1984)による編年である。

  • 第1期 - 蟠螭文鏡(Ⅰ式、Ⅱ式)
  • 第2期 - 渦状爬文鏡、草葉文鏡、螭龍鏡、星雲文鏡(Ⅰ式)、蟠螭文鏡(Ⅲ式)
  • 第3期 - 異体字銘帯鏡(Ⅰ期からⅣ期)
  • 第4期 - 異体字銘帯鏡(Ⅴ期、Ⅵ期)、方格規矩四神鏡、獣帯鏡、爬龍文鏡

出土例

  • 前漢鏡 - 唐古・鍵遺跡、奈良県、弥生時代(後期)
  • 前漢鏡 - 立岩堀田遺跡、福岡県飯塚市、弥生時代
    • 連弧文「日有喜」銘鏡(1号鏡)、連弧文「日有喜」銘鏡(4号鏡)
  • 前漢鏡 - 森北町遺跡跡、兵庫県神戸市、
    • 前漢鏡の近畿地方での発見は非常に少ない。

参考文献

  1. 岡村秀典(1984)「前漢鏡の編年と様式」『史林』67巻5号、pp.661-702
  2. 高倉洋彰(1993)「前漢鏡にあらわれた権威の象徴性」国立歴史民俗博物館研究報告(55), pp.3-38
  3. 田中琢・佐原信(2011)『日本考古学事典』三省堂