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三内丸山遺跡2024年05月28日 00:03

'三内丸山遺跡''(さんないまるやまいせき, Sannai Maruyama Ruins)は青森県にある縄文時代前期から中期にかけての集落跡である。「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界遺産登録されている。

概要

丘陵の先端部、沖館川沿岸の標高約20mの海岸段丘上に立地する。 5500年前から4000年前までの1500年間に渡り営まれた縄文時代の村の跡である。 遺跡には竪穴建物、掘立柱建物、列状に並んだ土坑墓、埋設土器、盛土、貯蔵穴、道路、大型建物などが計画的に配置されている。3層の掘立柱建物が復元される。

発掘調査

1952年(昭和27年)県文化財専門委員の成田彦栄による調査をはじめ、慶応大学の清水潤三等の調査がある。 長い間湿った土の中にあったため、通常は腐朽するものが良い状態で残った。 縄文時代前期から中期に至る円筒土器(円筒下層式5型式・円筒上層式5型式)、大木系土器・石器・石製品(硬玉製垂飾品・黒曜石製品等)、縫い針、ヘアピン、牙製のペンダント、土製品(板状土偶・耳飾等)、骨角器(釣針・針・銛先等)、樹皮・イ草科の草で編まれたポシェットや各種の編物、木製の舟の櫓、漆を塗った容器、木製品(櫂・掘り棒等)のほか、魚類・鳥類・哺乳類骨、栗の木を利用した杭・柱等の木材、木の実の種が多量に出土している。

遺構

  • 環状配石墓3
  • 配石2
  • 土坑
  • 道路1
  • 埋設土器7
  • 掘立柱建物
  • 竪穴建物
  • 柱穴14
  • 焼土1
  • 包含層
  • 環状配石墓
  • 配石
  • 屋外炉

出土品

  • 第6鉄塔地区出土
  • 石器・石製品 911点
  • 骨角牙貝製品 406点
  • 木製品 2点
  • 編物 4点
  • 縄文土器・
  • 土製品
  • 石器・石製品 247点
  • 土器・-土製品
    • 深鉢形土器 369点
    • 浅鉢形土器 7点
    • 壺形土器 1点
    • 土偶 11点
  • 骨角牙貝製品
    • 針 133点
    • 錘 22点
    • 刺突具 85点
    • 釣針 24点
    • 銛頭 2点
    • 箆 4点
    • ナイフ形牙製品 4点
    • ハンマー 1点
    • 装身具 27点
    • 針入れ 3点
    • 骨刀残欠 3点
    • 未製品等 101点
  • 石器・石製品
    • 石鏃 134点
    • 石槍 45点
    • 石匙 530点
    • 石錐 83点
    • 石箆 17点
    • 削器 101点
    • 製石斧 13点
    • 敲磨器類 13点
    • 石錘 2点
    • 石皿・台石類 10点
    • 砥石 15点
    • 擦切具 8点
    • 半円状扁平打製石器 14点
    • 抉入扁平磨製石器 1点 石
    • 棒 6点
    • 石冠 1点
    • 異形石器 22点
    • 装飾品 6点
  • 木製品
    • 皿残欠
    • 鉢残欠
  • 編物
    • 編籠 1点
    • 編物残欠 1点
  • 骨刀
  • 漆膜
  • 人骨
  • 動物遺存体(動物(骨)+魚(骨))

指定

  • 1997年(平成9年)3月5日 史跡 指定
  • 2000年(平成12年)11月24日 特別史跡
  • 2014年(平成26年)3月18日 特別史跡(追加)
  • 2021年7月27日 - 三内丸山遺跡(青森市)など17の遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産登録される。

アクセス等

  • 名称:三内丸山遺跡-遺跡面積:約35万m2
  • 所在地:〒038-0031  青森県青森市大字三内字丸山305
  • 交通:東北道青森ICよりR7環状バイパス経由、三内丸山遺跡方面へ5分

参考文献

  1. 青森市教育委員会(1988)『青森市の埋蔵文化財:三内丸山Ⅰ遺跡発掘調査報告書』青森市教育委員会
  2. 青森県教育委員会(2017)『三内丸山遺跡44 総括報告書』青森県埋蔵文化財調査報告書第588集
  3. 文化庁(1995)『発掘された日本列島'96』朝日新聞社

版築2024年05月28日 00:17

版築(はんちく、rammed earth)は土や砂をつき固める古代から続く土木技術である。「ばんちく」ともいう。

概要

土台とする場所に板枠を組み、その中に土を入れて突き固め、突棒という重くて細長い棒でつき固める。その作業を繰り返し、層を重ねて作る。土の層が見えることが版築工法の特徴である。砂と粘土など性質の異なる土層を交互に突き固める工法である。

伝来

版築は古代中国で発明され、6世紀の終わり頃に日本に伝わった。「始皇帝陵」「万里の長城」は版築技法が使われる。版築は城壁や建築物の基壇、土塀の構築などに用いる。版築層の各層厚さは約10cmから15cmであった。周囲の自然堆積土に細かい石と砂が混在する。中国では版築に向いている粒子の細かい黄土が手に入りやすいため、多くの建造物に利用された。 「法隆寺」の築地塀も版築である。阿房宮基壇遺跡の版築の1層の厚さは、8~10cmである。 奈良時代の基壇も版築で作られる。高松塚古墳では版築は下位に向かって硬度を増すが、下位版築は特に硬く搗き固められており、地耐力調査により、上位版築の倍近い強度をもつことが判明している。下位版築の調査で層理面に凝灰岩の粉末が堆積する作業面が5面検出された。

語義

「版」は木の板で造られる枠であり、「築」は杵を意味する。枠と杵は版築の主要な道具である。

工法

土を握って形が残るくらいの水分で施工され、体積が半分くらいになるまで突き固める。

  1. 版築を作る場所を決め、両側を板などで囲み枠を作る。
  2. 板で挟まれた間に土・砂利・(にがり)・石灰を入れる。
  3. たたき棒や“たこ”と呼ばれる道具で、入れた土を硬く突き固める。
  4. 乾いたら枠(外板)を外す。

出土例

  • 版築層 - 牽牛子塚古墳(7世紀)、大規模な版築・
  • 版築 – キトラ古墳
    • 墳丘は版築によって築成されており、版築を築くための直径10cmの杭と4~5cmの厚みの幕板の痕跡がある。
    • 2種類の土を交互に突き固めて作った厚さ5~10センチの層が幾重も重ねられており、高さ約4メートル、幅約1・4メートルである。

参考文献

  1. 鬼塚克忠,陸江,唐暁武,甲斐大祐(2002)「中国における古代の版築技術について」
  2. 「奈良・明日香村 牽牛子塚古墳で強固な墳丘の基礎「版築層」確認」産経新聞、2016年2月13日
  3. 鬼塚克忠・陸江他(2002)「中国における古代の版築技術について」
  4. 松村恵司、廣瀬覚(2007)「高松塚古墳の調査-第147次」奈文研紀要2007、pp.102-104