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支石墓2025年04月13日 17:56

支石墓(しせきぼ)は埋葬施設を囲うように支石3枚から4枚を立て、その上に平らな大石を載せた墳墓である。

概要

北朝鮮において板石を3枚から4枚立て方形石室をつくり、平らな大石をかぶせた支石墓が始まりである。 支石墓には4種類がある。

  1. 卓子式支石墓
  2. 碁盤式支石墓
  3. 蓋石式支石墓
  4. 囲石式支石墓

卓子式支石墓は板石で構築した埋葬主体部が地上に露出している型式である。漢江以北から中国遼寧地方に集中して分布することから北方式と呼ばれる。 碁盤式支石墓は板石を立てたり割石、自然石を積みあげた埋葬主体部を地下に構築して、その周囲に支石を4個から8個設置し、その上に大きな上石を載せたものである。南方式支石墓と言われる。 蓋石式支石墓は埋葬主体部を上石が直接覆うことから無支石式、蓋式、大石蓋墓とも呼ばれる。遼東半島、韓半島、日本の九州地域に広く分布しており、支石墓の形態の中でも最も普遍的な墓である。 囲石式支石墓は埋葬主体部が地上に露出するが、数枚の板石が上石の下端に沿って立てられた形態である。済州式支石墓と言われ、済州龍潭竜洞4号支石墓が代表的である。 日本には縄文時代晩期に農耕技術とともに西北九州地域に伝来した。 九州北部を中心として現存する国内の支石墓は、碁盤式支石墓と蓋石式支石墓が混在するが、卓子式支石墓はない。 北九州に遺される支石墓は、朝鮮半島南部との関係を立証するものである。 地下に土壙、石棺、石室、甕棺などが設けられる。

分布

中国、朝鮮半島、日本に広く分布する巨石墳墓の一つの形態である。 1910年代に鳥居龍蔵により朝鮮で調査が行われ、埋葬跡と確認された。朝鮮半島では海岸沿い、河川沿いで支石墓が見られる。大同江流域の石泉山、江東、中和、祥原などに大規模な支石墓群がある。礼成江、臨津江、漢江、錦江、洛東江などの大河の河口から上流に支石墓群がある。日本でも10個所以上の支石墓群がある。福岡県糸島郡、筑紫郡、浮羽郡、佐賀県東松浦郡、長崎県南高来郡、熊本県玉名郡と大分県の一部に限られる。南朝鮮の碁盤式支石墓の下部に近く、源流は朝鮮にあることを示す。

名称

名称は朝鮮の支石(コヒンドル)に由来する。板石を4枚立て方形の石室を作り、上に平らな大石を置き、蓋とした卓子型の構造を朝鮮では支石または擋石という。中国東北では石棚という。

出土例

  • 新町支石墓群 福岡県糸島市 史跡名勝天然記念物
  • 大野台支石墓群 長崎県佐世保市鹿町町
  • 原山支石墓群 長崎県南島原 国史跡

参考文献

  1. 藤田亮策(1938)「大邱大鵬町支石墓調査」古跡調査報告
  2. 九州大学文学部考古学研究室(1997)「東アジアにおける支石墓の総合的研究」科学研究費補助金(基盤研究(A)(2))研究成果報告書

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