宝塔山古墳 ― 2025年01月01日 10:45
宝塔山古墳(ほうとうやまこふん)は群馬県前橋市にある7 世紀中葉の方墳である。 日本百名墳に選出されている。
概要
榛名山から東南方向に伸びる丘陵裾野の末端、東南方向に傾斜する台地上に位置する総社古墳群の一つである。墳丘は三段築成で、斜面には葺石が葺かれていたと考えられている。愛宕山古墳までの自然石を積み上げる石室の築造法から、宝塔山古墳では加工された切石を巧みに積み上げる「截石切組積」手法が採用された。その上に漆喰を厚く塗って石室全体を白く平らに仕上げる。宝塔山古墳は周濠を含めると一辺102mに及ぶ。7世紀中葉に築造された終末期古墳である。畿内の有力者層の古墳に用いる技術が使われていることから大和政権との関係がうかがえる。
総社古墳群の意義
前橋市西部の総社町総社を中心に5世紀後半から7世紀後半にかけて6基の大型の古墳から構成される古墳群である。現在の利根川の西岸に南北約4km に分布する古墳群である。 地域の首長の墳墓が、約200年という長期間にわたって古墳をつくり続けた意義は大きいとされる(前橋市教育委員会(2023))。総社古墳群は上毛野地域の中で突出した存在となっている。それまでの前方後円墳から大型方墳に形状を変えながら造営を継続した。これは畿内と連動した変化であり、ヤマト王権とのかかわりや、政治形態の変化があったとみてよいとされる。
総社古墳群の編年
- (5 世紀後半、480年頃)遠見山古墳 (前方後円墳)
- →(6 世紀初頭、510年頃)王山古墳 (前方後円墳)
- →(6 世紀後半、570年頃)総社二子山古墳 (前方後円墳)
- →(7 世紀前半、620年頃)総社愛宕山古墳 (方墳)
- →(7 世紀中葉、660年頃)宝塔山古墳 (方墳)
- →(7 世紀後半、690年頃)蛇穴山古墳 (方墳)
調査
宝塔山古墳の埋葬施設は中腹部に南面する両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口し、複室構造である。玄室の中央に蓋と身の二部構成で、輝石安山岩製の刳抜式家形石棺が置かれる。 石棺の蓋部は長辺230㎝、短辺132.6㎝で、長辺に各2個、短辺に各1個の縄掛突起を造り出す。石室の全長は12.04mである。他の古墳と比較して極めて大規模な前庭が敷設されている。石天井石は落下していた。遺物は盗掘されているため残らない。1920年(大正9年)に福島武雄により、1958年(昭和31年)には群馬大学史学研究室により石室の測量調査が行われている。1979年(昭和54年)には、下水道工事に伴って本古墳南東の墳丘裾部が確認された。平成元年には墳丘及び石室の現況測量調査が行われ、墳丘長は56m以上、高さ約12mの3段築成の大型方墳であることが確認された(白石,1990)。令和4年度には、早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所との共同調査として、本古墳石室の3次元計測調査を実施した。
格狭間
下底部に精巧な「格狭間」という台の脚のようなくりぬきがある。棺の脚部に彫り込まれた格狭間は、大阪府南河内郡太子町叡福寺古墳(現聖徳太子墓 7世紀前半から中ごろ)、 御嶺山古墳(7世紀後半)、奈良県高市郡明日香村野口王墓古墳(現天武・持統合葬陵 7世紀後半)の漆塗棺をおいた棺台に格狭間がみられるが、類例は少ない。
前面に開けられた八角系の穴の蓋石があり、当初からの造作と判断された。 「格狭間」は古墳群近くに存在する山王廃寺とのかかわりが指摘されている。
規模
- 形状 方墳
- サイズ 南北54m×東西49m、高さ12m
遺構
- 石室全長12.04m、羨道長3.56m、前室長3.9m、玄室長3.32m
- 室・槨 両袖型横穴式石室。複室構造
- 棺 家形石棺
- 羨道長 3.56m、幅1.8m
- 玄室長 3.32m、幅2.9m、高さ2m
遺物
- 土師器
- 須恵器、
- 瓦、
- 陶磁器類
築造時期
- 7世紀中葉
被葬者
- 牛池川・染谷川の流域一帯を支配した豪族
展示
- 前橋市総社歴史資料館
指定
- 1944年(昭和19年) 国指定史跡 宝塔山古墳
- 2023年2月21日 総社古墳群(遠見山古墳・二子山古墳・愛宕山古墳・宝塔山古墳・蛇穴山古墳)
アクセス等
- 名称:宝塔山古墳
- 所在地:〒371-0852 群馬県前橋市総社町総社1606
- 交通:群馬総社駅 徒歩 15分
参考文献
- 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(2010) 「蛇穴山古墳・宝塔山古墳 総社町屋敷南遺跡』前橋市埋蔵文化財発掘調査団
- 前橋市教育委員会(1968)「宝塔山古墳石室調査概報」
- 前橋市教育委員会事務局文化財保護課(2022)「東国の雄総社古墳群」
- 前橋市教育委員会(2023)「総社古墳群総括報告書」
- 白石太一郎編(1990)『関東地方における終末期古墳の研究』国立歴史民俗博物館考古研究部
- 白石太一郎(1992)「関東の後期大型前方後円墳」『国立歴史民俗博物館研究報告』44,国立歴史民俗博物館
前二子古墳 ― 2025年01月02日 00:37
前二子古墳(まえふたごこふん)は群馬県前橋市にある6世紀の前方後円墳である。 日本百名墳に選出される。
概要
前二子古墳は大室古墳群のひとつである。大室古墳群は国道50号線東大室十字路から北へ2km、県道前橋・今井線と県道伊勢崎・深津線の交差点から北東1kmに位置する。標高は、122~137mである。5世紀後半から6世紀代に入って、この地域に強大な支配者が存在したと思われ、今井神社古墳、伊勢山古墳、前二子古墳、中二子古墳、後二子古墳、荒砥村120号墳、小二子古墳の前方後円墳が築造された。前二子古墳は地域の中で、初期的な構造の横穴式石室を持つことが最大の特徴とされる。 副葬品の多くは朝鮮半島とのつながりが想定されている。鉤状金具(百済・武寧王陵)、装飾器台(須恵器小像付筒形器台)は朝鮮半島の南部のものと共通した小像(亀、鳥、蛇、蛙など)で、新羅からも出土する。石見型埴輪(光州月桂洞古墳群)は百済系であるが、奈良県からも出土する。
調査
1878年(明治11年)に石室が調査され、3月24日前二子古墳の石室を開口し、3月25日~4月1日綿密な発掘調査が行われる。石室から土器、装身具、鏡、金メッキされた馬の飾り金具などの副葬品が出土した。明治13年に英国外交官アーネスト・サトウが調査に訪れた前橋市教育委員会(2021)。 横穴式両袖型石室で羨門・羨道・扉石・玄門・梱石・楯石・玄室・床面(敷石)・天井で 構成され、内面には全面的に赤色顔料を塗彩する。全長は西壁で最大13.89m、高さは 玄室で1.8mを超える。石材は粗粒安山岩と凝灰岩の2種類を使う。床面の敷石はすべて凝灰岩製であった。形象埴輪として、蓋・盾・靱・人物・馬・家・大刀・盾持人・鉾?の9種類があった。ラス製青色丸玉130・ガラス製緑色小玉17・ガラス製黄色小玉28・水晶製丸玉14・碧玉製管玉2・滑石製管玉1・滑石製臼玉1・銀製空玉3・金製耳環1が今回出土した装身具総数であった。
現状の力学的安定性
現状での静的力学条件下では直ちに崩壊する可能性は低いと判断されている。しかしながら、潜在的に不安定な状況に至っている部分があることから、地震や人為等による外力が加わった場合、石材の脱落に伴って一部が崩壊する可能性が指摘されている(前橋市教育委員会(2005))。 墳丘にはアカマツを主体とする高木が密生し、墳丘形状が展望できない状況である。さらに、樹木の倒壊に伴う墳丘の破損や、石室への根茎の侵入など、保存上の悪影響が指摘されている(同前)。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:2段
- 墳長 93m
- 後円部径 径72m 高13m
- 前方部 幅62m 長33m 高12m
- 室・槨 横穴式石室 13.8メートル
遺物
- 円筒埴輪 円筒Ⅴ式
- 葺石 あり 上段墳丘下半分
- 鏡1
- 耳環1
- 青色小玉300
- 鉄鉾2
- 鉄鏃多数あり
- f字形鏡板2
- 剣菱形杏葉4
- 輪鐙1
- 鉸具
- 留金具
- 素環状鏡板付轡1
- 土師器 高杯4
- 台付壺1
- 杯2
- 須恵器 装飾器台1
- 高杯形器台2
- 提瓶2
- 直口壺1
- 高杯3
- はそう(TK47~MT15)
築造時期
- 6世紀前半~後半
被葬者
- 東国の大豪族
展示
- 大室はにわ館
指定
- 1927年(昭和2年)4月8日 国史跡指定
アクセス等
- 名称:前二子古墳
- 所在地:〒379-2104 群馬県前橋市西大室町2545番地
- 石室見学時間 9:00~16:00
- 交通:前橋駅 バス 50分
参考文献
- 前橋市教育委員会(1993)「前二子古墳」前橋市教育委員会
- 前原豊(2009)『東国大豪族の威勢・大室古墳群』新泉社
- 前橋市教育委員会(2021)「前橋市大室古墳群-前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳・小二子古墳-」
- 前橋市教育委員会(2005)「史跡前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳ならびに小古墳 保存整備事業報告書」前橋市教育委員会
柳本天神山古墳 ― 2025年01月02日 23:57
柳本天神山古墳(やなぎもとてんじんやまこふん)は奈良県天理市にある4世紀後半の前方後円墳である。別名は「大和天神山古墳」「奈良天神山古」である。
概要
行燈山古墳の西側である。東側の半分は国道169号線の建設時に破壊され、西側のみが残存する。周濠の有無は判明していない。埴輪は出土しない。葺石はない。段築や周濠は不明瞭である。 山麓に立地し、前方部が南向きである。人物の埋葬は無く、遺物のみを葬った古墳としては最大規模である。大和盆地東辺に立地する柳本古墳群の中の1つ。天神山古墳は遺体を埋納した形跡がなく、すぐ東に行燈山古墳(崇神天皇陵)があり、同陵の遺物のみを埋納した陪塚とも考えられている。天神山古墳の築造年代は4世紀後半頃とされる。
調査
1960年に国道の敷設に伴い、奈良県立橿原考古学研究所により竪穴式石室の調査が行われた。竪穴式石室は全長6.1mで、石室内部には合掌式石室である。棺台は粘土を用いており、棺はコウヤマキ製の「木櫃」(木製の上蓋つきの棺)が安置されている。銅鏡23面や鉄製品の副葬品が多量に出土した。木棺中央に41kgに及ぶ朱が置かれており、周囲に銅鏡が置かれていた。銅鏡は、後円部中央の竪穴式石室の中の木櫃の内から20面がみつかり、棺外から3面が発見された。鏡は木櫃の周縁に沿って北から右廻りに20面を一周させ、櫃外の北側に2面、南側に1面が配されていた。剣は木製の柄装具に直弧文が描かれる。遺体を埋葬した形跡がないため、「木櫃」には遺体がなかった可能性が指摘されている。銅鏡には典型的な三角縁神獣鏡が含まれず、方格規矩鏡や内行花文鏡など中国・後漢時代の鏡(三角縁神獣鏡よりもやや古い)が主体であった。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:なし、後円部:なし
- 墳長 113m
- 後円部 径55m 高7m
- 前方部 幅50m 長43m 高さ4m
- 主体部
- 室・槨 竪穴式石槨
遺構
後円部のほぼ中央に長さ6.1mの竪穴式石室を検出。
出土遺物
- 内行花文鏡4
- 方格規矩鏡6
- ボウ製:人物鳥獣文鏡1
- 変形神獣鏡2、
- 画文帯神獣鏡4
- 獣形鏡3
- 画像鏡2・
- 獣帯鏡1
- 鉄剣:4
- 鉄刀:1
- 鉄鏃
- 刀子。
- 鎌
- 板状鉄斧。
- 水銀朱(41kg)。
展示
- 奈良国立博物館
- 流雲文縁方格規矩鏡(奈良県天神山古墳出土)727-1
- 画文帯神獣鏡(奈良県天神山古墳出土)
- 内行花文鏡(奈良県天神山古墳出土)
- 内行花文鏡(奈良県天神山古墳出土)
- 三角縁変形神獣鏡(奈良県天神山古墳出土)
- 画文帯神獣鏡(奈良県天神山古墳出土)
- 獣形鏡(奈良県天神山古墳出土)
- 流雲文縁方格規矩鏡(奈良県天神山古墳出土)727-8
- 流雲文縁方格規矩鏡(奈良県天神山古墳出土)727-9
- 画像鏡(奈良県天神山古墳出土)727-10
- 画像鏡(奈良県天神山古墳出土)727-11
- 画文帯神獣鏡(奈良県天神山古墳出土) 727-12
- 獣形鏡(奈良県天神山古墳出土) 727-13
- 画文帯神獣鏡(奈良県天神山古墳出土)727-14
- 三角縁変形神獣鏡(奈良県天神山古墳出土) 727-15
- 波文縁方格規矩鏡(奈良県天神山古墳出土)727-16
- 内行花文鏡(奈良県天神山古墳出土) 727-17
- 獣形鏡(奈良県天神山古墳出土) 727-18
- 波文縁方格規矩鏡(奈良県天神山古墳出土) 727-19
- 内行花文鏡(奈良県天神山古墳出土) 727-20
- 流雲文縁方格規矩鏡(奈良県天神山古墳出土)727-21
- 半三角縁人物鳥獣文鏡(奈良県天神山古墳出土)727-22
- 獣帯鏡(奈良県天神山古墳出土) 727-23
- 朱(天神山古墳出土) 727-29
指定
- 2002年(平成14年)6月26日 重要文化財(考古資料)出土品 一括(考古資料)
- 2008年(平成20年) 木棺は県の有形文化財に指定
- 2009年(平成21年)奈良県指定史跡
アクセス
- 名称:柳本天神山古墳
- 所在地: 〒632-0052 奈良県天理市柳本町
- 交通:JR柳本駅徒歩14分/940m
参考文献
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 伊達宗泰・森浩一(1963)『大和天神山古墳』奈良県教育委員会
横穴式石室 ― 2025年01月03日 00:30
横穴式石室(よこあなしきせきしつ)は、古墳の墳丘に横穴をあけ、羨道と玄室を石を積んで築造した墓である。
概要
横穴式石室は朝鮮半島北部で発達し、古墳時代の後半に日本列島でも行われた。完成後も石室の開閉が可能であるため、追葬、合葬ができる埋葬施設である。古墳時代の前期・中期は竪穴式石室が主流であったが、古墳時代後期からは横穴式石室が主流となった。
事例
鋤崎古墳(福岡県福岡市)は北部九州型の横穴式石室の祖型で、 4世紀末から5世紀初頭の前方後円墳であり、日本最古の横穴式石室とされる。 宮山塚古墳の横穴式石室は近畿で最古級のもので5世紀後半~末頃に築造された。新沢千塚221号墳(新沢千塚古墳群)は5世紀後半頃で近畿地方における初期の横穴式石室の例である。
構造
遺体を安置する玄室と玄室への通路となる羨道がある。玄室の入口部では玄室の幅が狭くなり、羨道との接続部を袖石という。
九州型と畿内型
横穴式石室は「九州型」と「畿内型」に大別される。「九州型」は初期横穴式石室と呼ばれ、4世紀末頃から福岡・佐賀県沿岸部を中心に前方後円墳の埋葬施設として築造され、その後5世紀に九州各地へ拡がる。玄室の閉塞には板石を用いる。当初のものは前庭部、羨道、玄室の境界に段差があり、徐々に降下する。 普及する過程で「肥後型(熊本県)」や「地下式横穴(宮崎県)」などに変化し、地域色がみられる。「畿内型」は5世紀終わり頃に出現するが、6世紀はじめに前方後円墳に採用された。畿内型の特徴は(1)玄室平面は矩形であり、平天状である、(2)立柱石を立てるが壁体に組み込まれて、せり出すことはない、(3)鴨居石を置かず、両袖式または片袖式に羨道を接続させる、(4)閉塞石に板石を使わない、(5)極端に狭い羨道はない、(6)石材は大型化の傾向がある。(7)玄室の隅角は丈夫まで保たれる。
袖
両袖型は玄室との境界の両側に袖があるものをいう。片袖型は片側だけに袖があるものをいう。玄室と羨道との間に袖がないものを無袖型という。
百濟
百済の最初の王都の漢城(現ソウル市)周辺に位置する、ソウル市可楽洞・芳イ洞古墳群でみつかった横穴式石室は、百済の初期横穴式石室とされる。
参考文献
前橋市総社歴史資料館 ― 2025年01月03日 00:38
前橋市総社歴史資料館(まえばししそうじゃれきしみんぞくしりょうかん)は群馬県前橋市にある歴史系資料館である。
概要
2016年(平成28年)10月に開館した。常設展示は、総社地区の文化財、総社古墳群、山王廃寺、秋元氏及び天狗岩用水などがある。古代史の展示では模型や複製品が多く、一次資料はあまりない。前身の資料館が酒蔵を利用した建物のため、蔵倉をイメージした木造建築としてリニューアルした。
常設展示
- 総社古墳群
- 総社二子山古墳出土 頭椎の大刀復元品
- 宝塔山古墳石室ジオラマ
- 蛇穴山古墳墳丘模型・石室模型
- 山王廃寺
- 石製鴟尾・根巻石(複製品)
- 緑釉陶器一括資料(複製品)
- 緑釉陶器の水注椀、
- 皿、
- 銅椀
- 山王廃寺出土塑像群
企画展
- 第9回ミニ企画展「総社古墳群発掘調査速報」
- 展示期間 令和3年4月30日~令和3年8月29日
- 第8回ミニ企画展『遠見山古墳の調査』
- 遠見山古墳出土埴輪・土器
- 舞台1号墳出土高坏・石製模造品(想像復元品)
- 第7回ミニ企画展「火の用心!」
- 期間:平成31年4月27日(土)~令和元年7月19日(金)
指定
アクセス等
- 名称:前橋市総社歴史資料館
- 所在地: 〒371-0852 群馬県前橋市総社町総社1584番地1
- 休館日: 毎週月曜日(祝祭日の場合は、祝祭日後の休日ではない日)、年末年始
- 開館時間:午前9時~午後4時(最終入館は午後3時30分)
- 入館料: 入館無料
- 交通:JR群馬総社駅より徒歩17分。
参考文献
草加市歴史民俗資料館 ― 2025年01月04日 00:15
草加市歴史民俗資料館(そうかしれきしみんぞくしりょうかん)は埼玉県草加市都北区にある歴史系資料館である。
概要
1983年(昭和58年)11月1日、草加市の文化財を保護するための施設として開館した。建物は大正15年(1926)に草加小学校西校舎として建てられた埼玉県初の鉄筋コンクリート造りの校舎であったが、1979年に校舎は利用を終えた。
常設展示
- 第一展示室
- 原始から近代までの草加の歴史に関する資料等を展示
- 丸木舟(縄文前期)
- 鉢(土師器)大型
- S字状口縁台付甕(土師器)縁のみ
- 台付甕(土師器)
- 高坏(土師器)
- 坏(土師器)
- 第二展示室
- 草加の民俗文化、産業の歴史に関する資料を展示
- 鋤
- 鍬、
- 唐箕
- 地場産業の草加せんべいの製造工程を伝える道具
企画展
指定
- 2008年(平成20年) 国の登録有形文化財(建造物)
アクセス等
- 名称:草加市歴史民俗資料館
- 所在地:〒340-0014 埼玉県草加市住吉1-11-29
- 休館日: 月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日から1月3日)
- 開館時間:9:00~16:30
- 入館料: 無料(特別展を除く)
- 交通:東武スカイツリーライン草加駅 徒歩 8分 0.6km
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