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宮崎県総合博物館2025年01月22日 00:10

宮崎県総合博物館(みやざきけんそうごうはくぶつかん)は宮崎県宮崎市にある自然史、歴史、民族の展示を行う総合博物館である。

概要

展示は自然史展示室、民俗展示室、歴史展示室、特別展示室があり、常設展は無料で入館できる。歴史展示室は古代人の猟やの様子を表したジオラマである。宮崎県総合博物館民家園に、昭和47年から昭和53年にかけて移築復元している。「旧藤田家住宅」と「旧黒木家住宅」は国の重要文化財、「椎葉の民家」と「米良の民家」は宮崎県の有形文化財にそれぞれ指定されている。歴史展示室では宮崎県の約2万年前から現代までの歴史を紹介する。

常設展示

歴史展示室

日向のあけぼのに生きる

  • 県中央部にある川南町後牟田遺跡の地層剥ぎ取り
  • 剥片尖頭器 旧石器時代、朝鮮半島と九州地方に多く分布する。朝鮮半島起源と考えられている。
  • 南九州の縄文時代と土器
    • 縄文時代は小動物を獲る為の弓矢や煮炊き用の土器が使用され、食生活が豊かになった。
  • 花びら形住居模型
    • 家の床を地面より低くし、外側の花びらの部分は中心部より高く作られ、土壁で隣同士を仕切る。中心部では家族が火を炊いたり食事をする。外側の花びらの部分は石器を作る作業場、土器や道具などを置く物置き、またベッドとして利用する。宮崎や鹿児島に多い。
  • 石包丁
    • 稲やアワ、ヒエなどの穂を摘むための石器。穴を開ける代わりに、抉りを入れるタイプ。
  • 古墳が語るもの
    • 県中央部の西都原古墳群や生目古墳群などが代表的な古墳群。
    • 宮崎県内には古墳が約4,000基以上作られる。
  • 地下式横穴墓復元模型・地下式横穴墓に葬られたもの
    • 地下式横穴墓の復元模型
  • 女狭穂塚古墳
    • 5世紀前半の古墳。

古代から近世を生きる

6世紀から19世紀にかけての日向国の歴史

  • 倭名類聚抄
  • 日向国図田帳

企画展

  • 最近の古代史関係企画展はないようである。

指定

アクセス等

  • 名称:宮崎県総合博物館
  • 所在地:〒880-0053 宮崎県宮崎市神宮2丁目4番4号
  • 休館日: 火曜(民家園は年中開園)
  • 開館時間:9:00~17:00(入館は16:30)
  • 入館料: 常設展入館料 無料
  • 交通:JR / 宮崎神宮駅より徒歩10分

参考文献

青谷上寺地遺跡2025年01月22日 22:45

青谷上寺地遺跡

青谷上寺地遺跡 (あおやかみじちいせき)は、鳥取県鳥取市青谷町にある弥生時代前期の終わり頃から古墳時代前期にかけての集落遺跡である。

概要
山陰自動車道の建設に伴い発見された。鳥取市青谷町を流れる勝部川下流の平地にある遺跡である。青谷平野の中央に位置し、弥生時代の掘立柱の建物跡、火を焚いた跡、貝塚などが見つかり、玉作りや木器製作など、様々なものづくりに関係する鉄製や石製の道具や、中国大陸や朝鮮半島で製作された銅製品が出土した。周辺の溝から容器や農具、多量の木製品、漁労用の骨角製品、人骨などの遺物が出土した。 中世から古墳時代後期(約1,000~1,500年前)の耕作土の下に古墳時代前期前葉の造成土を確認している。造成土の中から遺構が見つかっており、造成を繰り返しながら使っていたことが分かる。

地域交流
土器は北陸・近畿・山陽地方の土器が出土しており、石材は青谷周辺では採れないヒスイやサヌカイトなどが使われている。400点をこえる鉄製品は、中国・朝鮮半島・北部九州の特徴がみられる。古代中国の鏡や「貸泉」が出土する。

人骨
集落中心域の東側から約5,300点、人数にして100人分以上の人骨が出土した。110点、少なくとも10人分に相当する人骨に殺傷痕があり、何らかの争いの痕跡である。出土した人骨の解析で、32体の人骨のミトコンドリアDNAに29系統のグループがあったことが判明した。各地からさまざまな人が流入したと見られる。集落中心域の東側から109人分の人骨が出土した。そのうち少なくとも10人分に相当する人骨に殺傷痕があり、何らかの争いの痕跡と見られる。側頭骨、大臼歯を分析した。38サンプルを用いて主成分分析(PCA)を行った。ミトコンドリアではD4b,N9a,M7b,D4cなどで、縄文系ハプログループはM7aが1例あるだけであった。母系DNAは弥生系渡来人である。核DNAによれば渡来系は21号頭骨一体のみで、残りは縄文系であった。ミトコンドリアDNA と全く逆の傾向である。婚姻は縄文系集団の男性と渡来系集団の女性との婚姻が続いた可能性がある。


木材年代
試料1は紀元前57年、試料2は紀元前105年であった。試料1は弥生時代中期後葉である。

銅鏡
 土坑から銅鏡が出土した。背面に同心円の区画を設ける重圏文鏡とよばれるタイプの銅鏡で、二重の同心円の外側に櫛の歯状の文様が鋳出される。直径37㎜、厚さ1㎜、重さ9.4gと小型であり、国産と考えられる。


遺構
平成30年度まで出土した遺構。

No 遺構名
1 掘立柱建物 8棟
2 平地式住居跡? 1棟
3 土 坑 597基
4 123条

第20次調査
第20次調査は2022年度から3カ年計画で進んでいる。2000年に人骨が大量に出土した「SD38」と呼ばれる溝に近接する225平方メートルの区画である。「とっとり弥生の王国調査整備活用委員会」の調査研究部会(座長・木下尚子熊本大学名誉教授)に予備調査で人骨の一部が出土したことが報告され、来年度の本格的な発掘調査の方針を確認した。下層の弥生時代後期の地層に人骨が眠っている可能性があるとされる。
指定
平成20年 - 約14.6haが国の史跡に指定された。

時期
弥生時代前期後半に集落が形成されし、弥生中期後半に拡大し、後期まで続くが、古墳時代前期初頭に消滅する。「倭国乱」の大量殺戮を受けた可能性がある。
展示
青谷上寺地遺跡展示館

アクセス
-名称:青谷上寺地遺跡
-所在地:〒689-0501 鳥取県鳥取市青谷町青谷
-交 通:青谷駅 徒歩10分

参考文献
1.鳥取県教育文化財団(2002)『青谷上寺地遺跡4』鳥取県教育文化財団 調査報告書74
2.「大量人骨のなぞ明らかに?」朝日新聞,2023年3月31日
3.篠田謙一他(2021)「鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡出土弥生後期人骨のDNA分析」国立歴史民俗博物館研究報告 第219 集