青谷上寺地遺跡 ― 2025年01月22日 22:45
青谷上寺地遺跡 (あおやかみじちいせき)は、鳥取県鳥取市青谷町にある弥生時代前期の終わり頃から古墳時代前期にかけての集落遺跡である。
概要
山陰自動車道の建設に伴い発見された。鳥取市青谷町を流れる勝部川下流の平地にある遺跡である。青谷平野の中央に位置し、弥生時代の掘立柱の建物跡、火を焚いた跡、貝塚などが見つかり、玉作りや木器製作など、様々なものづくりに関係する鉄製や石製の道具や、中国大陸や朝鮮半島で製作された銅製品が出土した。周辺の溝から容器や農具、多量の木製品、漁労用の骨角製品、人骨などの遺物が出土した。
中世から古墳時代後期(約1,000~1,500年前)の耕作土の下に古墳時代前期前葉の造成土を確認している。造成土の中から遺構が見つかっており、造成を繰り返しながら使っていたことが分かる。
地域交流 土器は北陸・近畿・山陽地方の土器が出土しており、石材は青谷周辺では採れないヒスイやサヌカイトなどが使われている。400点をこえる鉄製品は、中国・朝鮮半島・北部九州の特徴がみられる。古代中国の鏡や「貸泉」が出土する。
人骨 集落中心域の東側から約5,300点、人数にして100人分以上の人骨が出土した。110点、少なくとも10人分に相当する人骨に殺傷痕があり、何らかの争いの痕跡である。出土した人骨の解析で、32体の人骨のミトコンドリアDNAに29系統のグループがあったことが判明した。各地からさまざまな人が流入したと見られる。集落中心域の東側から109人分の人骨が出土した。そのうち少なくとも10人分に相当する人骨に殺傷痕があり、何らかの争いの痕跡と見られる。側頭骨、大臼歯を分析した。38サンプルを用いて主成分分析(PCA)を行った。ミトコンドリアではD4b,N9a,M7b,D4cなどで、縄文系ハプログループはM7aが1例あるだけであった。母系DNAは弥生系渡来人である。核DNAによれば渡来系は21号頭骨一体のみで、残りは縄文系であった。ミトコンドリアDNA と全く逆の傾向である。婚姻は縄文系集団の男性と渡来系集団の女性との婚姻が続いた可能性がある。
木材年代 試料1は紀元前57年、試料2は紀元前105年であった。試料1は弥生時代中期後葉である。
銅鏡 土坑から銅鏡が出土した。背面に同心円の区画を設ける重圏文鏡とよばれるタイプの銅鏡で、二重の同心円の外側に櫛の歯状の文様が鋳出される。直径37㎜、厚さ1㎜、重さ9.4gと小型であり、国産と考えられる。
遺構 平成30年度まで出土した遺構。
No | 遺構名 | 数 |
---|---|---|
1 | 掘立柱建物 | 8棟 |
2 | 平地式住居跡? | 1棟 |
3 | 土 坑 | 597基 |
4 | 溝 | 123条 |
時期
弥生時代前期後半に集落が形成されし、弥生中期後半に拡大し、後期まで続くが、古墳時代前期初頭に消滅する。「倭国乱」の大量殺戮を受けた可能性がある。
展示
青谷上寺地遺跡展示館
アクセス -名称:青谷上寺地遺跡 -所在地:〒689-0501 鳥取県鳥取市青谷町青谷 -交 通:青谷駅 徒歩10分
参考文献 1.鳥取県教育文化財団(2002)『青谷上寺地遺跡4』鳥取県教育文化財団 調査報告書74 2.「大量人骨のなぞ明らかに?」朝日新聞,2023年3月31日 3.篠田謙一他(2021)「鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡出土弥生後期人骨のDNA分析」国立歴史民俗博物館研究報告 第219 集
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