飛鳥浄御原宮跡 ― 2025年05月31日 00:33
飛鳥浄御原宮跡(あすかきよみはらあと)は奈良県明日香村にある飛鳥時代の天武・持統時代の宮殿跡である。
概要
『日本書紀』に岡本宮の南に宮室(宮殿)を造ったと書かれる。この宮の名前は、後の686年(朱鳥元年)に飛鳥浄御原宮と名付けられたと『日本書紀』に記される。672年までは存続した。673年、天武天皇は飛鳥浄御原宮で即位した。673年(天武2年)2月、壇場(高御座)を設けて即位し、『日本書紀』では鸕野讚良皇女(後の持統天皇)を皇后とした。飛鳥浄御原宮は後飛鳥岡本宮を引き継ぎ、それを拡充整備した宮殿とみられている。天武天皇は飛鳥浄御原令を制定し、日本で最初の銭貨の富本銭を作ったとされる。 飛鳥浄御原令は、天武天皇の死後に施行されたと言われる。694年に藤原宮に遷都して、飛鳥浄御原宮は廃止された。
調査
飛鳥寺南方の「伝飛鳥板葺宮跡」では3層の地層の宮殿遺構が重複する。Ⅲ期の遺構が年代的に飛鳥岡本宮と飛鳥浄御原宮に相当する。かっては石神遺跡が飛鳥浄御原宮跡だとする通説があったが、石神遺跡は饗応施設や客館あるいは官衙と判明している。飛鳥寺南方の「伝飛鳥板葺宮跡」が後飛鳥岡本宮と飛鳥浄御原宮に相当することが明らかになった。 発掘調査で判明した飛鳥浄御原宮の構造は東西152mから158m、南北197mの内郭とその南東にある東南郭(東西94m、南北55m)を中核とし、広大な外郭が囲む。内郭は中核部分であり、玉石敷の空間と砂利式の空間で構成され、正殿といわれる宮殿が作られた。正殿は9間×5間であり、大極殿の可能性が高い。
遺構
- 石敷広場
- 大井戸跡
遺物
- 文銀銭
- 海老錠
- 柱根
- 土器
- 飛鳥宮跡出土木簡
考察
展示
指定
所在地等
- 名称: 飛鳥浄御原宮跡
- 所在地:奈良県高市郡明日香村飛鳥
- 交通: 橿原神宮前駅からバス10分(飛鳥下車)
参考文献
- 林部均(2008)『飛鳥の宮と藤原京』吉川弘文館
- 小澤毅(2003)『日本古代宮都の研究』青木書店
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