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新田Ⅱ遺跡2025年07月16日 00:24

新田Ⅱ遺跡(しんでんにいせき)は岩手県遠野市にある縄文時代の遺跡である。

概要

新田Ⅱ遺跡は岩手県遠野市街地から西へ約4kmに位置する。新田Ⅱ遺跡のある新田集落は猿ヶ石川の左岸(南岸)に形成された河成段丘面および山麓緩斜面に立地し、それらの地形面を開いて流れる新田沢の谷底低地の標高250mの地点である。 縄文時代前期集落は20棟の住居跡、墓孔の可能性が高い土坑、貯蔵穴、道路跡、石列を伴う溝跡、広場からなる。中央の広場を囲うように住居が配置され、住居には貯蔵穴が作られる。 本遺跡の特徴は、1棟の小型住居を除き、幅4.5mから6m、長さ8mから14mの大型住居が主体である。特に3号住居は幅6m、長さ12.5mの大型住居として、新田Ⅱ遺跡では最大である。 大型住居が主体となる集落は大平洋側の遺跡では珍しい。多人数での共同作業などに使用されたと見られる。 住居の間や広場に土坑が存在し、集落は環状あるいは馬蹄形を呈していた。定住生活を生業として支えたのは、石錘、磨石などを使う堅果類の調理や川魚などの捕獲であった。

調査

縄文時代の川が発見されており、そこから大量の土器をはじめ食べかすのトチノミやクルミが出土している。中でも縄文時代のクルミなどが水の作用で状態が良いまま見つかることは非常に珍しく、新田沢沿いで営まれた縄文人の生活を知る手がかりになる。 縄文時代前期初頭から晩期末葉の新田沢の変遷が確認され、沢岸から捨て場や堅果類(クルミ・トチノキ・クリ)の堅果類集中が多数検出された。堅果類は、地下水位が高いため腐食せずに残りそのまま出土した。検出した遺構は、東区が竪穴住居跡1棟・土坑1基・ピット11 個、西区が沢跡7期・土器設置遺構2基・土器集積遺構1基・堅果類集中範囲多数・礫群2基・焼土遺構1基・ピット2個・溝跡9条であった。縄文時代中期中葉の住居から出土した土器を編年に当てはめると、ⅡA類は主に大木8a式新段階に相当し、ⅡB類は大木8b式中~新段階に相当すると見られる。

放射性炭素年代測定(AMS測定)

黒色から出土した種実、土器付着炭化物、建築部材(木片)、自然樹木などについてAMS測定を行った。14C年代は黒色土出土の種実は2450 ±30yrBP、土器付着炭化物は2660 ±30yrBP、暦年較正年代(1σ)は(1)744 ~ 417cal BC、(2)792 ~596cal BC、(3)793 ~ 597cal (4)BC1438 ~ 1393cal BC、(5)825 ~ 801cal BC、(6)3339 ~ 3114cal BC、(7)1371 ~ 1222cal BC、(8)2429 ~ 2211cal BCであった。(1)、(2)、(3)は縄文時代晩期後半から弥生時代への移行期にあたると見られる。(4)は縄文時代後期後葉、(5)は縄文時代晩期中葉、(6)は縄文時代中期前葉、(7)は縄文時代後期後葉から晩期初頭、(8)は縄文時代後期初頭とされる。幅広い年代が示されている。(7)は、土器で調理された海産物が焦げ付いたものである場合は海洋リザーバー効果により古い年代と見積もられる可能性が指摘されている。

遺構

  • 竪穴住居跡
  • 土坑
  • 焼土遺構
  • 土器集積遺構
  • 土器設置遺構
  • 礫群
  • 沢跡
  • 柱穴状ピット
  • 堅果類集中範囲

遺物

  • 縄文土器(前期初頭 中期中葉~末葉 後期初頭~中葉 晩期中葉~末葉)
  • 土製品(土偶)
  • 垂飾
  • 耳飾土版
  • 球状
  • 土錘
  • 円盤
  • 焼成粘土塊
  • 剥片石器
  • 礫石器
  • 石棒
  • 昆虫
  • 焼骨
  • 堅果類
  • 木葉
  • 樹木

指定

展示

考察

環状または馬蹄形の集落は縄文時代ではよく見られる。中央の広場では何らかの祭祀が行われたであろう。それを裏付けるのが長さ14.3cmのカツオブシ形石製品、長さ56.5cmの長大な石棒である。異形石器は三角形のような形で朱が塗られている。中央の広場は、共同作業や集団での儀式、葬送儀礼葬などに使われたようであり、集落にとって重要な場所とみられる。 大型の壺は胴部中央に最大径があり、口縁部を欠いているが50.9㎝(残存高)以上の器高のある大形土器である。曲線を多用する文様に特徴がある。

アクセス等

  • 名称 : 新田Ⅱ遺跡
  • 所在地: 岩手県遠野市綾織町下綾織31地割147-1地内
  • 交通 :

参考文献

  1. 岩手県文化振興事業団(2014)「新田Ⅱ遺跡発掘調査報告書」岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第622集