Bing
PVアクセスランキング にほんブログ村

下太田貝塚2025年07月24日 00:10

下太田貝塚(しもおおだかいづか)は千葉県茂原市にある縄文時代の遺跡である。

概要

房総半島は平坦な台地と丘陵、埋没谷で構成されている。下太田貝塚は房総丘陵の北東端に近い埋没谷に作られた低湿地遺跡である。縄文時代中期中葉から縄文時代晩期後葉にかけて営まれた遺跡である。縄文時代中期後葉から後期後葉に掛けては墓域が形成された。3時期の墓域が一時的に重なりながら、環状に埋葬した。人のほかイノシシやイヌの幼獣の埋葬も見られる。出土した高さ38cmの土器棺には2体以上の乳幼児骨が入っていた。 縄文時代中期から後期にかけての集団埋葬墓地から人骨が300体以上が出土した。土器、石器、勾玉、土偶、猪牙形ペンダント、鹿角製ペンダント、サメ椎骨製ペンダントなど多くの遺物が発掘された。

縄文時代の身分差

埋葬方法により縄文時代に身分差があったことを推測させる。男女数の差はほとんどなかった。多数遺骸集積土坑では2m前後の楕円形の土坑中に数十人文の遺体をまとめて埋葬する。乳幼児を含めて埋葬する。単独・単葬土坑では長楕円形の土坑中に1体づつ埋葬し、乳幼児は含まれない。明らかに埋葬時の取り扱いが異なっている。 単独・単葬例中に堀之内1 式から加曽利B3 式期までの人骨が含まれる。多数遺骸集積土坑には堀之内2 式から加曽利B1 式期までの人骨が含まれる。山田康弘(2018)は 縄文時代の後半期には集団関係の再構築や集団統合・紐帯強化のための手段として、人骨および墓の利用墓を集団の「記念墓」、「モニュメント」にしていると指摘した。

調査

遺構

  • 竪穴状遺構
  • 土坑
  • 土器包含層
  • 墓壙
  • 自然流路
  • ピット群
  • 貝層

遺物

  • 縄文土器(中期+後期+晩期)
  • 土製品
  • 石器
  • 骨角器
  • 石製品
  • 木製品
  • 人骨
  • 獣骨

指定

  • 昭和48年1月10日 茂原市指定文化
  • 平成10年10月1日 茂原市指定文化財

展示

考察

アクセス等

  • 名称: 下太田貝塚
  • 所在地:千葉県茂原市下太田1045-2
  • 交通:

参考文献

  1. 総南文化財センター(2003)『総南文化財センター調査報告50:千葉県茂原市下太田貝塚』千葉県茂原土地改良事務所
  2. 山田康弘(2018)「「モニュメント」としての多数合葬・複葬例再考」国立歴史民俗博物館研究報告 第208 集

廻間遺跡2025年07月24日 00:41

廻間遺跡(はさまいせき)は愛知県清須市にある古墳時代を中心とする遺跡である。

概要

廻間遺跡は清須市の東側を南北に流れる五条川右岸の沖積低地に立地する。標高は現況3m 前後である。古墳時代初頭を中心とする居住域(北側)と墓域(南側)が展開する。 1980年(昭和55年)3月に愛知県教育委員会が実施した環状2号線建設予定地内の水道 管埋設工事に伴う発掘調査により発見された遺跡である。 1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)にかけて発掘調査がされ、古墳時代初頭の竪穴住居群と墳丘墓群によって構成されることが判明した。器種は量的比率の高いものから甕・高杯・壷・鉢・器台・その他の6種類であった。竪穴住居跡75棟、墳丘墓6基などが検出されている。廻間式土器の標識遺跡として知られる。 墳丘墓のうち1基は3世紀初頭に築かれた約25mの前方後方型である。 最も古い「Ⅰ式」土器は3世紀初頭から半ばに位置付けられる。出土土器の編年から、廻間遺跡の築造年代は3世紀の初頭頃、200年~220年頃と考えられている。 赤塚次郎は廻間遺跡を狗奴国の遺跡として提唱する。

S字甕

S字甕(字状口縁台付甕)が出土したことで知られる。濃尾平野低地部で、廻間様式とともに誕生した台付甕である。口縁部は「S」字状に屈曲し、土器の厚さを薄くし、器面に刷毛目を入れて熱効率を高めているため、従来の甕と比べると短時間の煮沸ができる。廻間遺跡は他の遺跡に比べ、S字甕の出土量が多く、出現期のS字甕比率も高いのが特徴である。

遺構

  • 竪穴住居
  • 掘立柱建物
  • 土坑
  • 井戸
  • 墳墓
  • 畝状遺構

遺物

  • 高坏
  • 器台
  • 砥石

展示施設

指定

考察

アクセス等

  • 名称: 廻間遺跡
  • 所在地: 愛知県清須市廻間3丁目
  • 交通:

参考文献

  1. 愛知県埋蔵文化財センター(1990)「廻間遺跡」