小見真観寺古墳 ― 2026年01月20日 00:24
小見真観寺古墳(おみしんかんじこふん)は、埼玉県行田市にある古墳時代の前方後円墳である。日本百名墳に選出されている。
概要
1634年(寛永11年)、真観寺観音堂の創建の時、第1主体部(後円部石室)が露出し、発見された。埼玉県北部、星川西岸の加須低地の沖積地に南面する低い台地上に位置し、真観寺境内の本堂の背後に所在する古墳である。古墳の規模は墳長112m(102m説もある)、前方部高さ7m、後円部高さ7.6mの前方部を北西方向に向ける大型前方後円墳である。 墳長の違いは、測量時期や測定方法の違いによる差と推測される。 後円部南側に横穴式石室1基と、その北側の後円部中腹に石榔1基、2基の主体部がある。 行田市内で最後の前方後円墳とされる。築造時期は6世紀後半と考えられ、行田地域における前方後円墳築造の終末段階を示している。前方部が北西を向く点は、埼玉古墳群の主墳(丸墓山・稲荷山)とは異なる志向性を示している。秩父産の緑泥片岩による石室に巨大な石材を用い、玄門を一枚板をくり抜いてつくるなど、当地域では特異な構造である。
埋葬施設
埋葬施設は後円部と鞍部の2か所に設けられている。後円部には横穴式石室(第1主体部)が、鞍部には箱式石棺を主体とする埋葬施設(第2主体部)が存在する。石室は秩父産の緑泥片岩である。これは埼玉古墳群の多くの横穴式石室に共通する石材である。前室は奥行2.7m、幅2.2m、高さ2.1m、玄室は2.4m、幅2.2m、高さ2.1mである。
調査
1880年(明治13年)、狐が穴に逃げ込んだため鞍部にある石室が発見され、次いで発掘調査が行われ、金環(3)、圭頭大刀、頭椎大刀(2)、刀子、鉄鎌、桂甲小札、銅椀、有蓋脚付銅鏡、竪矧広板鋲留衝角付冑(甲冑)、須恵器などであり、出土品は東京国立博物館に保管される。 金環・東椎太刀・甲冑・銅椀などの出土は、被葬者が武人的性格を有する有力首長層であったことを示している。 発掘調査で周溝が確認され、その底付近から埴輪の破片が多数発掘された。埴輪の詳細な構成については不明な点が多い。
考察
6世紀末から7世紀にかけて、古墳が後世の寺院境内に取り込まれる事例は各地に認められる。例として弘法寺古墳(千葉県市川市、弘法寺境内、6世紀後半、)、正善寺古墳(栃木県足利市、正善寺境内、6世紀後半)、久野部1号墳(滋賀県野洲氏、円光寺境内、5世紀末から6世紀初頭)、姉崎妙経寺古墳群(千葉県、妙経寺境内、4世紀後半から7世紀後半)などがある。古墳は寺院に先立って造られたであろうが、寺院の境内に所在することにはメリットとデメリットがある。寺院境内に所在することにより、墳丘が大規模な破壊を免れてきた点は大きな利点である。一方で、信仰施設としての性格上、全面的な発掘調査が困難であること、既存建物が調査の制約となる点は大きな課題である。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:2段
- 墳長 112m
- 後円部径 径55m 高7.6m
- 前方部 幅48m 長57m 高7m
埴輪
- 円筒埴輪 円筒Ⅴ式
葺石
遺構
- 前方後円墳
- ①1号主体(後円部南側)
- ②2号主体(北側くびれ部後円部寄り)
遺物
- 金環3
- 圭頭大刀
- 頭椎大刀
- 鉄鏃 細身式
- 衝角付冑 竪矧広板鋲留衝角付冑
- 挂甲小札
- 刀子
- 鉄刀
- 銅鋺
- 蓋付高脚鋺
築造
- 6世紀末から7世紀初め (八世紀初頭説もある)-行田市内最後の前方後円
展示
- 東京国立博物館
考察
指定
- 1931年(昭和6年)3月30日 国の史跡指定
アクセス等
- 名称 :小見真観寺古墳
- 所在地 :埼玉県行田市小見1124-1
- 交 通 :秩父線武州荒木駅 徒歩 15分/行田市田駅市内循環バス 北東循環コース(右回り)15分 「小見武蔵橋」下車 徒歩 5分
参考文献
- 筑波大学歴史・人類学系(1991)「古墳測量調査報告書 Ⅰ」
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