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東小田峯遺跡2024年07月04日 00:40

東小田峯遺跡(ひがしおだみねいせき)は、福岡県筑前町にある弥生時代前期から中期の遺跡である。

概要

東小田峯遺跡がある筑前町は福岡県の中南部、筑紫平野の北端に位置し、河岸段丘上に弥生時代初頭に農耕集落が展開した。日本列島に稲作が伝来してから早い段階で稲作が始まった。東小田峯遺跡は筑前町における弥生時代集落の中核的な遺跡である。『魏志倭人伝』の国に相当するような大規模遺跡といえる。 坩堝や青銅器鋳型、炉壁の出土から、青銅器製造(鋳造)集落と判明した。内陸部ではあるが、沿岸部の須玖岡本遺跡や三雲南小路遺跡に匹敵する技術を持っている集落である。

調査

1926年(大正15年)に甕棺に収められた前漢鏡と鉄戈が発見された。副葬品を伴う甕棺墓遺跡とみられた。昭和20年以降、地元の朝倉高等学校史学部が調査を実施し、弥生時代前期に成立した居住域と墓域からなる遺跡であると確認された。 昭和60年から62年にかけて県営圃場整備事業に伴い、筑前町が大規模な発掘事業を実施した。 遺跡は3区画に分かれており、甕棺墓などの墓域は北側と南側に密集し、調査区中央のL字型の溝に区画された範囲に生活区域が含まれる。

10号甕棺墓

南側の甕棺墓密集区域にある10号甕棺墓は墨丸方形の2号墳丘墓のほぼ中央で見つかったこと、重要文化財に指定されている前漢鏡2面(内行花文清白鏡、内行花文日光鏡)が出土したこと、鉄戈1本、鉄剣1本、鉄鑷子(毛抜き)1点、円形のガラス璧 2点が出土したことから、最有力の人物と想定できる。 須玖岡本遺跡や三雲南小路遺跡の出土品と比べると貧弱な面があるため、東小田峯遺跡の首長はより下位の首長と想定できる。それでも豪華な副葬品をもつことから、『魏志倭人伝』のその他の国に相当するレベルと見られる。

357号甕棺

調査区の南側にある長辺3.7m、最大幅3.3mの大型土坑に収納されていた。棺内から細形銅剣が出土した。小型銅剣のように背幅が細い。鋒は8.6cmあり研磨を丁寧に行ったと考えられる。

114号竪穴建物

114号竪穴建物から出土した銅矛の土製鋳型は朝鮮系青銅器の鋳型であるものの、製作技術は前漢鏡の土製鋳型と同じである。

土器

多量の丹塗土器、黒塗土器が出土した。顔料の塗り方は精緻なものもあれば、粗雑なものもある。丹塗りの注口土器はベンガラなどで赤く塗られ、ヘラ状の工具で表面を丁寧に磨いている。

遺物

  • 内行花文清白鏡 - 重要文化財
  • 内行花文日光鏡 - 重要文化財
  • 鉄戈 1本
  • 鉄剣 1本
  • ガラス璧 2点
  • 鉄鑷子 1点
  • 黒塗土器
  • 丹塗土器
  • 坩堝
  • 青銅器鋳型
  • 炉壁
  • 細形銅剣
  • 銅矛土製鋳型

指定

  • 昭和63年6月6日 国指定重要文化財(考古資料)、九州国立博物館に一括保管

アクセス

  • 名称:東小田峯遺跡
  • 所在地:〒838-0214 福岡県朝倉郡筑前町東小田
  • 交 通:九州旅客鉄道 原田駅から徒歩52分。

参考文献

  1. 文化庁(2022)『発掘された日本列島2022』共同通信社
  2. 「発掘された日本列島 東小田峯遺跡」東京新聞,2022年6月8日

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