広域交流の重層性 ― 2024年07月17日 00:03
広域交流の重層性(こういきこうりゅうのじゅうようせい)は2021年12月15日に開催された「第5回 歴史文化講演会座」の特別講演会のテーマである。
概要(講演概要と要旨)
- タイトル:「第5回 歴史文化講演会座」
- 主催者:古代歴史文化協議会(8県で構成する)
- 開催日:2021年12月15日(土) 13:00-16:00
- 会 場:会場:岡山県立美術館ホール(オンライン配信)
特別講演
- タイトル:「広域交流の重層性 -1~3世紀の東アジア・日本列島-」
- 講師:石川日出志先生
- 明治大学文学部 教授・明治大学日本古代学研究所 所長)
要旨
序論
様々な検討課題があるが、本日は3つに絞って論じる。璽印、ガラス、鉄器からみる日本列島の広域交流の重層性である。弥生時代の後期から古墳出現期にかけて、日本列島内で活発な地域間交流が行われてきた。遠隔地とも密接な交流が見られ、古墳時代社会形成の基板となっている。これは日本列島だけみても分からず、朝鮮半島さらにアジア大陸の王権も視野に入れて見なければならない。
璽印
アジアの国家間の様相は、まず璽印(判子)から描ける。これまで日本では鏡の研究が多く、そこでは日本列島、中国の黄河中流域、楽浪郡あるいは帯方郡の3つの関係を論じていた。しかし日本列島と楽浪郡帯方郡との間の地域、朝鮮半島の地域を含め、横断的に見る必要がある。 金印は印面に漢字五文字、三行で「漢委奴國王」と書かれる。「漢」は漢王朝、「委」は仮借により倭である。「奴」は北九州の奴国を指す。漢王朝が倭人中の奴国王として皇帝が認めたことを示す。金印は封泥用の印である。中国古代に相手の王に物品を封じて親展とするとき、第三者が開けないよう泥で封印し、ひもで結んだ上に璽印(判子)で封印する。開けると封泥が破壊されるので容易に分かる。紙に印を押すのは、だいぶ後世になる。
金印偽作説
江戸時代以来繰り返し偽物説が登場し、最近も鈴木勉先生と三浦佑之先生が、江戸時代の偽作説を提唱している。1968年に九州大学の岡崎敬先生は金印を詳しく計測して、その1辺が後漢代のお墓から出てきた物差しの一寸と一致するから偽作ではないと主張した。二人は漢代の一寸は2.3 ㎝、一尺23.5 ㎝ということは江戸時代にわかっていると反論した。つまみの蛇の鈕の形は前漢時代から後漢、魏、晋の時代まで続いている。江戸時代にも蛇の鈕の印は知られていたが、具体的にどのような形かは知られていなかった。蛇の形で首が後ろを向くことは20世紀になってから分かったことで、江戸時代には知られていない。 偽物を作るとしたら、金属組成を漢代の基準に合わせる必要があるが、江戸時代では知りようがない。金の純度の変遷を調べると、漢代の金製品は金の純度95 ~ 99.9%であり、金印の95%はこれとまったく矛盾がない。漢から後漢の漢字の文字形の変遷は著しい。前漢の時代の特徴、王莽時代の特徴。後漢の時代の特徴の3つを併せ持つのは、後漢前期しかない。今や真贋論争は終結したと考える。
『後漢書』の信頼性
璽印の真贋論争決着により、『後漢書』の記事の信頼性が高まった。倭国王帥升と金印の二つの記事は『魏志倭人伝』に書かれていない。『後漢書』記事は長らく疑念が持たれていた。福井重雅先生は、『魏志倭人伝』を持ってきたのではなくて、華嶠、すなわち『魏志倭人伝』が編まれたのと同じ時期の別の『後漢書』から范曄が持ってきたと指摘した。
下賜物のランク
魏の皇帝から、倭国に与えられた下賜物には重要度のランクがある。これは書かれる順番に現れる。ランクは詔書、印綬、その次に金帛、錦罽、それから刀、鏡、采物である。金、織物系が最初で、刀、鏡、采物の順番である。魏が倭王に物品を与えるときのランク付けとみてよい。刀は鏡より上位である。
広域交流の重層性
五尺刀をより重視すべきである。五尺刀は当時の物差しで、大体120㎝である。湖北省の北端、魏の領域の中に115.5 ㎝の素環頭大刀があった。日本列島では福岡県の糸島市の上町向原遺跡に119 ㎝の鉄刀がある。まさに五尺刀である。伊都国の墓からは大型鏡と共に、長さ80 ㎝の素環頭大刀が出土した。奈良県天理市の東大寺山古墳では環頭部が断ち切られているが、環頭部があれば五尺に近づく。三津永田遺跡に素環頭大刀、佐賀県唐津市の桜馬場遺跡、長野県の根塚遺跡では、三本の鉄剣があるが、これらは韓国、朝鮮半島島南部の釜山・金海周辺のデザインである。遠距離の物流、発注・供給という事態が起きている。首長間の広域連携が認められる事例としては、出雲の西谷3号墓がある。吉備の特殊器台と壺に加え丹後、北陸方面の土器が出土する。首長の葬送の場面に各地域の有力者が立ち会う。銅鐸の地金は、洛陽、後漢の都周辺からきているが、どのルートで流通したのか。瀬戸内ルートか日本海ルートか。青銅の地金の流通はどうか。鉄器の流通を考える場合は、銅鐸の原料がどう動いたかも検討しなければならない。結論はないが、そのような目で研究していきたい。
参考文献
- 石川日出志(2021)「広域交流の重層性 -1~3世紀の東アジア・日本列島-」第5回 歴史文化講演会座、動画、資料(「講演録」)
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